鎌倉の鍼灸マッサージ院です~肩こり・腰痛・頭痛からガンなどの痛みをともなう病気・四十肩・ぎっくり腰・うつ病~光線治療  

鎌倉駅から歩いて7分
鎌倉市由比ヶ浜のあいらくマッサージ院
中医学に光線治療、アロマ、民間療法を加えて治療しています

デスクワークによるコリの原因

2017年10月02日 | 健康

筋肉の使い過ぎなら身体が痛いのもわかる。

運動をすれば筋肉は疲労するだろうから。

しかし、特に何もしないでいても身体が凝るのはなぜだろう?

ただ座っていても、じっとしていても痛いたくなるのは、、、


例として、オフィスでパソコンの入力作業をして肩が凝るまでに身体の中で何が起きているかを見てみましょう。

あなたは椅子に座ってパソコンの画面に向かっています。
そして、マウスを動かしたりキーボードをタイプしたり脇にある書類に目をやったりしています。

この時あなたは、椅子に座るという姿勢を維持しながら両手を動かし、頭が前に倒れるのを支えています。
この姿勢を維持し、頭を支えるということをするために多くの筋肉と筋膜が働いています。

たとえば、首の後ろの筋肉(伸筋群)、脊柱起立筋、僧帽筋などの筋肉は、それぞれ静止性収縮といって動きはないのですが緊張をつづけて姿勢を維持しています。
また、胸腰筋膜も背中と腰の筋群と協調して張力を高め安定化機能に寄与しています。
そして、作業が長時間化してくると、姿勢を維持するために緊張をつづけた筋肉の中には乳酸がたまり始め、神経伝達物質であるアセチルコリンが過剰分泌されます。

また、筋小胞体からはカルシウムイオンが大量に放出されることにより、筋繊維が収縮を起こします。
この収縮により、筋のエネルギー要求も増えるのですが、じっと座った姿勢でいるため血管は圧縮され、血流が悪くなっていて十分な酸素とエネルギーが運べません。

その結果、筋はエネルギー危機に陥り、過敏性物質(発痛物質)を放出してしまいます。
この発痛物質が、神経を刺激して痛みが発生します。
この痛みが筋肉を緊張させ、更に筋肉は収縮し血流が落ちてしまいます。

更に筋膜(筋肉を覆っている膜でコラーゲン繊維とエラスチン繊維、ヒアルロン酸でできている) も同じ姿勢をつづけたことにより、ヒアルロン酸が凝集化してゼラチン状に粘り気を増してしまい、筋膜の滑りが悪くなってしまいます。

このようにデスクワークのような長い時間同じ姿勢で作業する場合は、筋肉は緊張をしつづけなくてはならず、動きのある作業に比べて筋肉の血流が阻害されるために老廃物などがたまりやすく、コリを生じることが多くなります。

特にパソコンの画面を見ての作業は前かがみになり、重い頭が前に落ちこまないように首と肩の筋肉で支えなければならず、首と肩の筋肉に大きな負担がかかります。
また、多くの人が作業中、無意識に肩に力を入れていることが多く、このことが一層コリをひどくする要因になっています。

この状態を少しでも改善するには、こまめに首を回したり背伸びをしたりなど、なるべく同じ姿勢をとることにより固まってしまった筋肉を動かすように心がけ、できれば温めて血流を良くしたり、携帯用のマッサージ器などで老廃物がたまらないようにしてください。


流れが悪くなる、滞る、通じない、これらは私たちの身体にとって大敵です、

溜まった水は腐ってしまうように。

私たちの身体は水から出来ているのです。


自律神経のみだれ

2017年10月01日 | 健康

手でコップをつかんだり椅子から立ち上がったりという動作をするのとは違い、心臓が拍動するなどの内臓のはたらきや涙やよだれが分泌されるなどは、意識をしなくても自律神経が自動的に行っていることは広く知られていることです。

そして、この自律神経というのは、私たちのからだを正常に維持するための機能です。

この機能があるために私たちは、体温や血圧、血糖値などの複雑な調整を適切に行い生存することができます。

しかし、この自律神経のバランスがさまざまな要因によって乱れてしまうのも事実です。

その要因とは、気温の寒暖差が大きかったり、気圧の乱高下であったりという環境の要因もさることながら、今日でもっとも多いのは、やはり心因的なストレスです。

たとえば、人間関係のストレスが強い、または長時間集中して仕事を続けなければならない環境、また、常に緊張を強いられる生活などは、自律神経のバランスを崩す大きな原因になります。

大まかに言って、自律神経は、交感神経と副交感神経に分かれ、交感神経は活動状態、副交感神経は、休養・回復状態をそれぞれ担当しています。

そして、交感神経が優位なときは、活動するのに都合のいいように心臓の拍動リズムは促進され、内臓の働きは抑制されます。

一方で、休養・回復状態の副交感神経が優位なときは、心臓の拍動リズムは落ち着き、内臓が活動し、胃液、膵液などの分泌は、促進されます。

さて、現代の私たちの生活は、活動する神経つまり交感神経を常に働かせている状態です。

本来は交感神経と副交感神経は、バランス良く交代しなければならないのに交感神経のスイッチが入りっぱなしで、なかなか副交感神経にスイッチが入らない状態になっています。

このため、からだは常に活動状態に置かれ、休養・回復がしづらい状態になっています。

先ほども書いたとおり、内臓は副交感神経が入らなければ、うまく働くことができません。

この状態が長く続けば、健康が害されることは容易に想像ができることでしょう。

さらに、交感神経が優位な時は、血管が収縮して筋肉への血流は、低下した状態になります。

これは、闘うときなどに、ケガをしても出血量が少なくて済むためのものですが、この状態が長く続けば、筋肉への酸素や栄養の供給は低下し、老廃物の回収も低下している状態です。

これが、筋肉の疲労やコリを蓄積し、回復を阻害していることはお分かりでしょう。

また、自律神経の中枢である視床下部は、体温調節・摂食および血糖調節・日内リズム・ホルモン分泌の調整などを司るため、自律神経のみだれは、これらのからだの機能にも影響します。

このため、頭痛・めまい・立ち眩み・冷え・のぼせ・吐き気・便秘・下痢など多くの不定愁訴を引き起こします。
 

自律神経のみだれとは、ほんの些細なことがきっかけで始まることもあるわりには、その影響は多岐に渡り、深刻な状況に至ることもあります。

この自律神経のバランスを取り戻すために大切なことは、昂進してしまっている交感神経を鎮め、副交感神経とのバランスを取ることです。

その方法としては、心身ともに緊張を和らげるのが肝要ですが、順番としてからだの緊張を先に取り除くことが早道となります。

自律神経のみだれている方は、交感神経が興奮しているだけではなく、からだも緊張しています。このことはご本人も気づいていないことが多く、当院にいらっしゃる患者さんも施術を受けて初めてご自身のからだの緊張に気づかれることも少なくありません。
このご自身の状態をご自身で気づかれるということが、回復への近道なのです。

多くの方がご存知のように、精神と身体とは密接な関係にあり、精神と身体は一方が緊張すれば、もう一方も緊張するのですが、一方が安らげば、もう一方も安らぐ関係にあります。

そして、自律神経のバランスが崩れるほどストレスがかかり交感神経が昂っている方にとって、精神的にリラックスする方法で交感神経を鎮めることは難しいことが多く、あれやこれやの方法もなかなかうまくいかないようです。

しかし、からだの緊張を取り去り、心地よい感覚を味わうことで、交感神経の昂りを鎮めることはそれほど難しいことではありません。

施術を受けた後、その晩ぐっすり眠れるのは、交感神経の緊張が鎮まり副交感神経と良好なバトンタッチができたことの現れです。

かなり強い緊張のある状態であっても、からだの緊張を取り去り、心地よい感覚を味わうことを繰り返していくことで、昂進した交感神経も鎮まりやすくなっていきます。

心にとっても身体にとっても、緊張のない穏やかで安らかな状態を思い出すことは、とても大切なことなのです。

こうして、間断のない緊張状態から解放され、休養と安堵の状態を思い出したからだは、本来の姿に戻っていきます。


痛みとの正しい別れ方~結論として~

2017年07月31日 | 健康

日々、治療を続けている中で、来院された患者さんから、
他で「うまく痛みと付き合っていきましょうと言われたんですけど、、」
「歳だから仕方ないって言われて、、」などは、よく聞く話です。
でもこれは、実際には、「痛み」が身体に及ぼす影響からして、
とんでもないことです。
ハッキリ言って、治す事の出来ない人が言う 誤魔化しだと思っています。

身体が必死になって発しているメッセージをそのままにしておいていいのでしょうか?
あれほど不快で嫌な感覚と、どうやって『うまく付き合って』いくと言うのでしょう?

ちなみに、高齢になり身体のあちこちが痛むのは、なぜなのでしょう?
その原因の一つとして、私たちの身体の中では、日々、細胞が生まれ変わっています。それは、寿命が来た細胞は死滅して、そこに新たな細胞が生まれているということです。
その時に、死滅した細胞からは様々な物質が流れ出しています。この死滅した細胞から様々な物質が流れ出すということは、ちょうど身体をどこかにぶつけて、その部分の細胞が死滅したことと同じことが起きているのです。
つまり、炎症が起きているのです。

このことは、子供でも、青年でも、高齢者でも、同じことです。
しかし、違うのは、身体が若く新陳代謝が活発に保たれている場合は、死滅した細胞から流れ出した物質は速やかに循環してその場に残ることはありません。
そして、打ち身や捻挫のように多くの細胞が死滅するわけではないので、炎症と言っても、極小さな炎症です。

しかし、高齢者の場合は、この小さな炎症の時に流れ出す物質を流すことが難しくなり、流れ出した物質の中に含まれる発痛物質が神経を刺激して痛みを感じてしまいます。
ですから、血液循環をよくして、発痛物質を流してやれば、かなり楽になります。

その方法としては、まず手軽に出来ることは、温めることです。
温めることにより、血流はよくなります。
もちろん運動も血流をよくするので効果的なのですが、高齢者の場合むずかしい方もいらっしゃるでしょう。
このような方には、かるいマッサージはとても効果的です。

高齢者ではなくても、これらの効果を実感できるのは、筋肉痛の時です。
筋肉痛の時には、筋肉の中ではちょうど同じようなことが起きているので、熱めのシャワーを痛む筋肉に当てたり、かるいマッサージをかけて血流をよくすると、発痛物質が流れてかなり楽になります。

はなしを戻します。
メッセージは、受け取ってその内容を理解したら、メッセージそのものは、もう必要ありません。
私たちは、大昔の人類や動物と違って、「痛み」というメッセージを受け取って、身体のその部分に何らかのトラブルが起きたことを知り、それに対処(治療など)することを決めたのなら、そこで「痛み」の役割は終わりなのです。
そして、何よりも本人は、出来るだけ早く痛みを消し去りたいと願います。
しかし、安易に痛みを消すことが、さらに問題を起こしてしまうこともあります。

それは、「痛み」だけをただ単に止めただけの場合は、身体のその部分の障害はそのままにしておいて、また以前の生活パターンに戻ってゆくことが多く、なまじ痛みが取れた為に更にひどい結果になることもあるからです。
本来、メッセージであり単なる現象である「痛み」を本質的なもののようにとらえてしまい、「痛み」を消すことが目的になってしまうことがあるのです。

そもそも慢性的な痛みなどは、生活習慣や日常生活の中に何らかの原因があることが多く、きちんと治療をしたとしても、日常の原因を改めていなければ再発する可能性が高いのです。
ましてや、トラブルの起きた部分に対処せずに、単に痛みを止めただけで以前と同じ生活を続けるということは、身体が緊急事態を知らせてくるほどのトラブルが起きている部分を、さらに痛めつけ続けることになるのです。
このことがどんな結果をもたらすかは、誰にでも予想のつくことでしょう。

話しが散らかってしまいました。
結論として、痛みとの正しい別れ方とは、
「痛み」という身体からのメッセージをしっかりと受け取り、
痛みを鎮めることよりも、痛みを発する原因を解決して、
その結果として痛みが消えるようにすることです。

長々と書いてきたわりには、まったく当たり前な結論でした。
でも、その当たり前なことを、ついつい忘れてアベコベな事をしてしまい、
重症になってしまった患者さんが、私のマッサージ院にもたくさん来られます。

その度に思っています。

もう、このメッセージは用が済んだので、消しておきますね。 


痛みとの正しい別れ方~痛みの害~

2017年07月30日 | 健康

前回のブログに書いたとおり、「痛み」とは身体が私たちに向けたメッセージです。

しかし、厄介なことに、この「痛み」というメッセージは、「暑い」というメッセージや「眠い」というメッセージと違い、余りにも強烈なメッセージなために、私たちの身体に様々な害も及ぼしてしまいます。

強烈な「痛み」を感じると、身体は緊張して筋肉をこわばらせ、

こわばった筋肉の中を通る血管を圧迫して血流を滞らせ、

痛みを感じている部分以外の血流も落ちてしまうために、

全身への酸素、栄養、エネルギーの供給量が落ちてしまいます。


また、「痛み」を感じることで神経、筋肉が緊張して交感神経が優位になり、自律神経のバランスを崩し、そのために様々な症状を引き起こしてしまいます。

さらに、強い痛みを長い間感じ続けたことによって、脳の痛みの信号を受けている部分が過敏になってしまい、必要以上に痛みを感じたり、身体のその部分は治っているのに、「痛み」だけが残るという事さえ起きる場合があります。


このように、本来は異常を知らせるメッセージであり、単なる現象に過ぎない「痛み」が続くことで、更なる悪循環を生んでしまうのです。


痛みとの正しい別れ方~痛みの意義~

2017年07月28日 | 健康

この「痛み」という感覚は、いったい何なのでしょう?

どんな意味があって、何のために私たちのところに

このとてつもなく不快で、嫌な感覚はやって来たのでしょう?

 
「痛み」とは、現象であって本質的なものではありません。

あらゆる感覚と同じように、私たちが生存してゆく上で

より有利な方向へ向かう道しるべであり、その方向を知らせるメッセージです。

 
では、このおそろしく不快なメッセージは、

具体的には何を伝えようとしているのでしょう?

どうしてこんなにも「嫌な」伝え方をするのでしょう?

 
「美味しい」や「気持ちいい」のような、

「うん、良いよ!これでOKだ♪」といったメッセージよりも、

もっと差し迫った、すぐに意識を向けて欲しいメッセージ。

それは「まずいことになった!ここにトラブルが発生した!」

「ここを修復しなければならない!修復が済むまで動かさないで!」

という切実なメッセージ。

切実な故に、意識を向けてもらおうと、

身体が仕方なくもっとも気づかれ易い方法で、メッセージを出しているのです。


痛みとの正しい別れ方

2017年07月26日 | 健康

私たちは毎日、様々な感覚を感じながら暮らしています。

「美味しい」という感覚、「暑い」という感覚、「気持ちがいい」という感覚、それら様々な感覚の中で、「痛い」という感覚はとても強烈で、不快で、精神や生活の質に、大きな影響を及ぼします。

身体をどこかにぶつけたという一時的な痛みならまだしも、身体のどこかが常に痛い状態が長く続くと、集中力も落ちてきますし、憂鬱で気力さえ萎えてしまうかもしれません。

私たちは、まずこの忌み嫌う感覚から逃れようと、あらゆる努力をします。

鎮痛剤を飲むことから始まり、病院に駆け込み、それでもこの「痛み」というものが立ち去ってくれなければ、書籍やネットでなにかいい方法がないかと調べ、熱心にその方法を実践して、、、

それでもこの「痛み」という感覚に苦しめられるのなら、それこそ藁にもすがる思いで、他人から見ると首を傾けたくなるような方法であっても、あえて取る人さえいるほどなのです。


光あれ!~人体にとっての光とは~太陽光線2

2016年11月19日 | 光あれ

『光の医学』光と色がもたらした癒しのメカニズム~ジェイコブ・リバーマンより。

太陽-根源的なヒーラー

聖書の冒頭の言葉「光あれ」(let there be light)から「啓発された」(enlightened)という観念まで、光はあらゆる生命の生長に一貫した重要な役割を持っている。

古代エジプト、ギリシア・ローマ等の大文明では、光の医学的利用が重要視されていた。

はじめて色を治療に使ったのはエジプト人の医師だが、日光を使った治療を理論と実践の両面ではじめて実証したのは実はギリシャ人である。

ギリシアの太陽神信仰の中心地ヘリオポリスには名高い癒しの神殿があり、そこでは日光がスペクトル成分(色)に分けられ、個々の色が特定の治療に使われた。

ヘリオセラピー(太陽療法。日光にあたることによる治療法)の父ヘロドトスは、次のように述べている。

 日光浴は健康を回復したり、体重を増やそうとする人には欠くことができない。
 冬、春、秋には、患者はまんべんなく日光を浴びるべきだ。
 しかし夏の日光は強すぎるので、虚弱な患者の治療には不向きである。

色とは光の具現であり、こうした歴史的な文明にとって神聖であるとともに治療的な意味があった。


○人間の場合、日光にあたると、生理学的にも心理学的にも機能の多くがかなりの影響を受ける。

中でも、生殖力と気分への影響がきわめて大きい。このことは、数か月間太陽が照らないノルウェーやフィンランドといった北欧諸国に多く見られる。

日光にあたる時間が少ないことと〈いら立ち、疲労、病気、不眠症、うつ病、アルコール依存、自殺〉との直接相関が、これらの国々で認められている。

興味深いことにフィンランドでは、妊娠する人の数は、一日の日照時間が約20時間となる
6月、7月の方が冬期よりも多い。

 


光あれ!~人体にとっての光とは~太陽光線

2016年11月18日 | 光あれ

人間が生命活動をするのに摂取しなければならないもの。

まず、空気(酸素)が無ければ生きてはいられません。

水分、塩分や食物(栄養)も無いと死んでしまいますね。

空気や水、食物などは、よく思考に上がってきていたのですが、意外と失念していたのが、光(太陽光線)でした。

頭上を太陽(お天道様)がいつも変わらずに照らしてくれていることは、わかっていたのですが、人体がそれを取り込んでいることはほとんど意識していませんでした。

「日に焼けてしまう~」と、日焼け防止にUVクリームを塗るくらいでした。

実はわたしたち人間は、太陽光線をからだ全体でパクパク食べて(吸収して)生きているのです。

光(太陽光線)は、植物(光合成)だけではなく、人間にとっても絶対必要な大事な要素だったのです。


『光の医学』光と色がもたらした癒しのメカニズム~ジェイコブ・リバーマンは、以下のように語っています。

人体は光電池

みなさんは不思議に思ったことはないだろうか。

人間の深淵な進化を「啓発」(enlightenment)と呼んだり、

私たちの住む銀河系の一部を「太陽系」(solar system)と呼んだりするのはなぜか、と。

「太陽系」というからには人間が太陽の一部である、

あるいは太陽からできていることを示すのではないだろうか。

私たちが「元気を出して」(Light up)とか、

「あなたは私の人生を明るくする」(You light up my life)とよく口にするのはなぜか。

〈光の中で生きること〉と〈暗闇〉を味わうこととはどう違うのだろうか。

著名な物理学者であるデーヴィッド・ボームのいう

「物質はどれも光が凍結したものである」ということはあり得るのだろうか。

人間の進化は、身体的レベル同様精神的レベルでも、

光を取り入れて有効に利用する能力と奥深いところで結びついているのではないか。


現在こうしたさまざまな疑問が、形而上学的に、あるいは精神的にというだけではなく、科学的にも検討されている。

千里眼を持った昔の賢人たちの洞察は、現在の科学的発見とそれほど違わないかもしれない。

科学的発見の歩調が速まっている現代では、科学的な理解と「直観的な」感知とのギャップが次第に埋められつつある。

光が生命や創造に不可欠であるといった考えは、有史以来ずっと存在している。

私たちにとって、光、暖かさ、エネルギーの最大の供給源である日光は、地球上のあらゆる生命ばかりか〈地球そのもの〉をも養っている。

日光が植物に光合成のエネルギーを与え、そのエネルギーが今度はすべての動物や人間を養っている。


それと同時に日光は、人間の多くの知識の源にもなっている。人間はたいていのことを眼を通して知るからである。

日光はさまざまなエネルギーからできており、そのエネルギーは電磁波となって地球に伝わっている。

実際は、このうちのほんのわずかが地表に届き、眼に知覚されるのは電磁波スペクトル全体の1パーセントにすぎないと考えられている。

電磁波スペクトルの可視領域は、紫(最短波長)から赤(最長波長)までの虹の全色を含み、人間の機能と進化にとってとても重要な鍵となっている。

私たちの生命、健康、幸福は、とりもなおさず太陽に依存している。



六気病機を今年にあてはめてみると・・

2016年11月17日 | 中医学

六気病機(こちら)を今年にあてはめて説明します。

六気とは、”風”、”寒”、”暑”、”湿”、”燥”、”火”、つまり、四季の気候のもとになる要素のことです。ですから、そのもの自体が、病気の原因になるものではありません。

問題になるのは、その要素が、太過と不及、つまり、過不足があった場合に、人間の身体に悪い影響を及ぼすということです。

具体的には、本来熱くなければならない夏に、気温が上がらず冷夏と呼ばれるような時には、”暑”が不及の状態であるといい、これは、暑い夏に”暑”が不足しているということです。

また、例年よりも寒さが厳しい冬は、”寒”が太過の状態であるといい、これは、冬にある”寒”が過度に強くなっているということです。

この様に、季節の天候の要素に過不足がある状態が、人体に悪い影響を与えるのです。

今年を例にとってみると、梅雨の時期に雨が少なかったのですが、これはその時期にあるべき”湿”が不足していたということです。
そして、その後の夏は、猛暑がつづきました。これは、”暑”が多すぎたことです。
その後の秋口には、雨がつづき、これは、”燥”が不足し、逆に”湿”が多すぎた状態でした。

この様に、それぞれの天候に過不足が多いことは、人間の身体に悪影響を及ぼし、病気のもととなります。

今年のように天候の不順がつづくと、なんとなく身体がだるく疲れが抜けなかったり、いろいろな不調が起きることは、みなさんも実感されているのではないでしょうか。

病気とまではいかなくても、なんとなく調子が良くない、すっきりしない、ということがつづいているのは、六気病機が原因となっていることがあるかもしれません。

by Yincho


病気とは?症状とは?

2016年11月16日 | 健康

今回も代替医療であるホメオパシーについて書いてある 海・森・大地の見えざる医師たち『ホメオパシー』伴 梨香著より、健康関連について引用します。

〇病気の〈意味〉と〈経過〉をまっとうする

われわれはつい、症状こそが病気のすべてだとばかりに、てっとり早い方法で症状をなんとか退却させ、これで万事終了という安易な対処をしてしまう。それでも内心では、症状はごく表面的な現象であって、どうやら病気の本質というものはその背後にひかえているらしいということに気づいている。では症状とは、いったい何だと考えるべきなのだろう?永松氏はこう解説する。

症状には異常を知らせるシグナルとしての役目があります。そしてこのシグナルが辛く苦しいからこそ、人は真剣にそれと対処するわけです。歓迎されることはあまりありませんが、有り難いものであることには違いありません。さらに症状は、病気の原因である患者の〈エネルギーの変調〉を、もとどおりにしようという働きのあらわれです。つまり病気を本質的に解決しようという働きのあらわれなのです。ですからホメオパシーはこれを抑えることはしません。その働きを手助けして、非常に短い期間で『病気の経過』と『病気の意味』をまっとうすることを目的にしているのです。

~略~ホメオパシーでは、病気の本質はその病気と縁をもってしまう、その人の感受性にあると考える。病原菌などもたんなるきっかけにすぎず、実際はそれらのエネルギーと縁をもってしまう個人の状態そのものを問題とする。ある人が結核菌のエネルギーと同調しやすい状態にあるとき、結核菌と出会うと感染する。するとその人の生命力は、結核菌のエネルギーを跳ね返そうとする。その働きが症状として表現されるのである。

このとき症状は、患者が病気をもたらすエネルギーに干渉されていることを知らせてくれるだけでなく、どうやってそれを押し出すかという〈方法〉をありありと見せてくれているわけである。

 

 


症状と病気はちがいます!

2016年11月15日 | 健康

代替医療であるホメオパシーについて書いてある 海・森・大地の見えざる医師たち『ホメオパシー』伴 梨香著より、健康関連について引用します。

〇症状は自己回復反応の表現である

~略~
くわえてハーネマンが画期的であったのは、病気の症状を病気の本質とはみず、むしろそれは体の〈自己回復反応〉であるとしたことである。つまり発熱や腹痛、発心、下痢などは健康を奪った犯人ではなく、よってそれらの消失を目的とする治療は誤っていると考えたのである。これは現代でもまだ見そこなわれている場合が多いが、留意するべきだという声は高まっている。

たとえば前世紀のはじめにアスピリンが広まって以来、発熱するとただちに解熱剤を飲むという人が多い。しかし発熱はまさに自己回復反応である。血液中に細菌やウイルスなどが侵入すると、白血球が発熱物質を放出し、それが脳に達して視床下部が身体の体温を上げる。この発熱物質は血液中の鉄分を少なくする作用があるのだが、細菌は鉄分がないと増殖することができないので、発熱は病気の悪化を食い止めることになる。またウイルスも平熱の36度台の環境でもっとも活発に活動する。したがって風邪のひきはじめに「悪くならないように」などと解熱剤を服用することは、身体の防衛機能を台無しにしていることになる。

体に備わった治療のための反応はもちろん熱だけではなく、くしゃみや鼻水も防衛反応である。気道に入ったウイルスなどを排出したり、粘膜の上皮細胞に入りこむのを阻止している。また下痢は悪性の細菌などを体内から排泄しようとする反応である。あるいは痛みは患者が心身の異常に気づくための欠かせないサインであり、痛みの詳しい観察と分析は治療の大きな助けになる。さらに痛みや発熱、だるさが患者の安静を余儀なくさせ、治癒のための環境を整えるという側面もある。ハーネマンの考えは、これらの〈自己回復反応〉と類似した症状を起こす薬によって、自己回復反応を後押ししようというものだった。

「類は類を治す」という考えは、古代ギリシャにあった医学の祖、ヒポクラテスの治療をはじめ、古代インドのチャラカ、中世ヨーロッパのパラケルススなどが著した書物に記されており、世界のあちこちで治療のひとつの法則として実践されていた。たとえばヒポクラテスは発熱にうなる患者の身体を温めて治療したと書物に残されている。彼の理論によれば、発熱という症状は身体が病気を追い払うための反応であるから、その症状と〈類似の〉、温めるという方法で外部から支援し治癒につなげるべきだとした。

ヒポクラテスの考えの基底をなしているのは、あらゆる生命にみられる自然の力にたいする畏れである。人間の生命活動は観察すればするほど美しいまでに完全なシステムであることが、ヒポクラテスには理解された。さまざまな機能が智恵を出し合い力を合わせて生命活動を運営し、たとえどこかに不都合があらわれても、たいていは自然の力だけで治癒にたどりつく。ヒポクラテスは人間に備わっているこの自然治癒力をあがめるべきだと説いていた。

 


光線治療とは?~その広大な歴史をひもとく

2016年11月14日 | 光治療

光線治療とは?

以下、黒田光線株式会社のページより引用します。

あいらくマッサージ院では、こちらの会社で作っているコウケントー(2台)で、症状、状態に応じて光線治療も組み合わせて治療しています。

【光線治療の歴史】
 
●光線治療の起源
太古の昔から「太陽は生命の光である」と崇められていた。
紀元前1350年頃エジプト王アメンヘテブ4世、後のアクナトン王が太陽神アテンを礼拝する姿とその家族と共に日光を浴びている姿の石の刻板が発見されている。
王はすでに太陽が宇宙の中心であることを理解していたと現代に解されています。古代ギリシャ人が太陽の光を治療に応用したと想像できる遺跡が発見されている。
光線治療の起源

人工光線治療器の歴史
●人工光線治療器の歴史
ギリシャに生れ後年医聖と称えられたヒポクラテスこそ太陽光線で病気を治した最初の人である。
その後19世紀になり今日の光線療法の基礎が確立された。 19世紀末にデンマークの医師、N・R・フィンゼンによりカーボン・アーク灯が発明され近代光線療法に道を開き、光線療法の成功により1903年にノーベル医学賞を受けた。
この後、スイス・フランス・ドイツとヨーロッパで盛んになった。
日本でも20世紀初頭に光線療法がはじめられた。
-------- ご興味ある方は指導書、【 光線と健康 】P.437~をお読みください。 --------

●光線治療との出会い
---------------------- 当時の光線治療法との出会いを本人(黒田保次郎)の著書から抜粋 ----------------------
42歳の時、商売上のお得意様である高城さん(村役場の収入役)が千葉医大病院で胃ガンの末期と診断された。
さらに東京帝国大学の塩田博士の診断を受けたいと依頼あり、塩田先生を訪ね快諾されたので千葉医大より寝台車で上京した。
塩田博士の診断もすでに手術不可能、余命1カ月、早く郷里に帰ることをすすめられた。

高城さんの親戚である京橋桶町の家に泊まった際、親戚のご主人の話で築地3丁目に太陽光線治療で難症の病気が治ると評判であるというので、光線治療を受けてみることになった。

約2カ月(40回)の治療を受け、途中より人力車から電車で通うようになり普通食が食べられるようになった。
治療は摂氏40℃くらいの気持ちよい温かさで1日40分間照射した。
8月の旧盆には帰省でき、秋から村役場に通うようになった。
薬は服用せず、注射1本せず、光線治療のみであまりにも素晴らしい奇跡的な効果であった。

私は早速に太陽光線治療所の所長を訪ね、治療器(レンズで採光する型)を分けていただき、当時甥が脊髄癆で歩行困難となり、神田駿河台にある神経科で有名な佐野病院で入院治療したが、不治の病と診断され困り果てていた。

1か月の光線治療で症状の好転を確認した。下半身の麻痺が目に見えて回復し近所の困っていた病人にも治療して喜ばれ、次々と治療希望者が増え1台の治療器では間に合わず、更に新しい治療器カーボン・アーク灯(現在のアーク灯の小型の器具でカーボンは細い7粍で外国製)を購入した。

これを契機に昭和7年6月に東京市日本橋区小網町3-1に、東京光線治療所を開設し今日の一歩を踏み出した。
昭和7年(1931年) 黒田保次郎は東京市日本橋(現在の東京都中央区日本橋)に光線治療所を開業した。

光線の種類
●光線の性質と作用(近赤外線・可視光線・微量の近紫外線)
光線治療に用いる光は、太陽と同じような特性をそなえた光線(近赤外線・可視光線・微量の近紫外線の範囲の光線)を
人工的につくり照射いたします。
放射される可視綜合光線の波長は,約290nm~3000nmの範囲です。

●近赤外線
780nm~3000nmの範囲
( nm : ナノメートル=1mの10億分の1 , 1mmの100万分の1)
赤外線は目では見えない光線です。
赤外線は熱線ともいわれ透過性が強い。
波長が長いので生体組織のやや深部に達する熱作用があります。
深部の血行を良くし関節痛・筋肉痛・内臓痛・筋肉のしこりを和らぐなどの消炎作用、鎮静作用があります。
近赤外線

可視光線
●可視光線
380nm~780nmの範囲 可視光線は目に見える光線です。
この性質・作用は、人間や生物の存在、生活にきわめて密接な関係があり、ことに自然の物理的認識の媒介物として重要な光線であります。 赤外線・紫外線に比較し生体内への浸透は最も深く、赤外線、紫外線より体内で中心的な作用に関与していると推定されます。
また、可視光線は細胞を正常に戻す作用があることも知られています。

●近紫外線
380nm~290nmの範囲
紫外線は目では見えない光線です。
地上へ到達する紫外線の皮膚への浸透は強いが、皮下への浸透はわずかです。 皮膚に作用してビタミンD3を生成し、体内でのカルシウムの吸収を助け骨質を強化する働きや、皮膚の毛細血管に作用し循環器・免疫系を守り皮膚炎や虚弱体質を改善するなどの働きもあります。 綜合光線として作用する近紫外線は、皮膚内に光分解産物が生じ造血系を刺激し、血液の働きを活発にし生体の免疫反応を高めることが研究でも明らかにされています
近紫外線

黒田光線の光線治療とは?

治療器灯体にセットされた2本のカーボン(炭素の電極棒)に電気を通し、カーボンをスパークさせて人工的に可視光線をつくり肌に直接照射して治療します。

とても温かで優しい光ですので、ひなたぼっこをしているような感じです。
妊婦さん、赤ちゃん、病中病後の方、寝たきりの方にも安心してお使いいただけます
治療の様子治療の様子治療の様子

治療法は、両足裏・両ひざ・腹部・腰部・後頭部など各箇所約5~10分、各自の症状に合わせた光線を照射し、体の各器官に光線のエネルギーを送り、血液循環を良くし新陳代謝を促進させ、免疫力を高めるなどのさまざまな効果があります。
光線治療はエネルギーを補給し、疲労回復、 お体を若々しく保つなど、皆様方の日々の健康にお役立ていただけます。


私たちをとりまく世界から、健康とはなにかを理解してみる4

2016年11月13日 | 健康

前回、前々回のつづきです。以下『いのちの輝き』ロバート・C・フルフォード著から引用します。

健康とはなにかを理解するためには、われわれをとりまく世界に関する基本的な知識をもっていなければならない。

〇想念は物質である
生命場はエネルギーの流れの、つまりは光と力の進路の織物であり、その人の精神的/霊的な境地によっては色あざやかに輝くものである。
そればかりか、思考のパターンを変えたり、感情がかき乱されたりするたびに、生命場もいっしょに変化する。

たとえば、感情的なまでにある想念パターンに執着していると、生命場のなかでその想念パターンが固着しはじめ、肩がさがる、片脚が短くなる、まぶたがピクピクするなど、からだの反応の原因になる。
それが一定期間つづくと、それらのパターンが慢性的になり、からだのかたちが永久的にそこで固定してしまう。~略~

いってみれば、思考や想念はそのまま物理的な結果につながるものである。
だから、自分がなにを考えているか、その考えにもどづいてどう行動するかに、いつも注意している必要があるのだ。~略~

もうひとつの想念のかたちである欲望も病気の原因になりうる。
たとえば、なにかを実現したいという欲望をもった人がその欲望をじょじょに募らせていき、大きくふくれあがったときに、予期せぬことが起こって野心がくじかれたとしよう。
そんなとき、番狂わせのショックがからだの複雑なはたらきを阻害して具合が悪くなり、こころならずも寝こんでしまうことがある。
(ショックのあとこそからだに気をつけなければならないのに、そうしない人があまりに多い。カネ儲けや上司をよろこばせることにこだわっているから、休息よりも労働のほうが大事だと思うのだ。たとえ家で休んでいてもリラックスできず、あれやこれやをやってしまう)。

新しい車をほしがっている少年がいるとしよう。
もう一年も前から車のことであたまがいっぱいで、どんな色にしようか、それに乗ってどこに行こうか、友だちはどういうだろうかと、そればかりを考えていた。
ところが、父親に車は買ってやらないと宣言される。
父親の判断を素直に受け入れる子どもはまずいないだろう。
せいぜい落ちこむのが関の山だ。
なぜ買ってくれないんだ?自問自答をくり返す。
そのうち、神経系のバランスが少しづつくずれてくる。

その手のプロセスの後遺症が生涯つづく場合もある。
痛みやうずきを訴える患者がよくくるが、こころをひらかせると、子どものころにはじまった想念パターンを思いだしはじめ、固着していた昔のパターンや解決できなかった問題と現在の症状とがいかに密接に関連しているかに気づくことがある。
それに気づきさえすれば、ものごとを肯定的に考えられるようになり、健康を回復するチャンスはじゅうぶんにでてくる。

その反対に、肯定的な思考をすることによって自分で症状が改善できたという患者もかなりいる、といいたいところだが、残念ながらそうはいない。
だが、わたしはこう考えて自分をなぐさめている。
そういう人はたしかにいるが、かれらは自分で解決する方法を知っているのだからわたしのところにくる理由がないのだ、と。

なにかを思うたびに、からだからエネルギーが放射される。
さかんに両手を動かして相手を説得しようとしている人を観察したまえ。
その人は自分の生命場を投影して相手の生命場に影響をあたえようとしているのだ。~略~

必要なのは、こころをバランスのとれた、創造的な状態にたもっておくことだ。
われわれはこころの平衡状態をコントロールすることに慣れていない。
子どものころからずっと、脳を創造的にではなく、分析的に使うように訓練されてきたからだ。

われわれは想念の世界に住んでいる。
からだではなく、こころに寄り添って生きている。
こころが現実をつくりあげているのだ。
こころにしのびこんだちょっとした不調和が、
からだに好ましくない作用をおよぼしつづけている。  


私たちをとりまく世界から、健康とはなにかを理解してみる3

2016年11月12日 | 健康

前回のつづきです。以下『いのちの輝き』ロバート・C・フルフォード著から引用します。

健康とはなにかを理解するためには、われわれをとりまく世界に関する基本的な知識をもっていなければならない。

〇呼吸
人はパンだけで生きているわけではない。
呼吸によっても生きている。
パンは腹にはいって血や肉にエネルギーをあたえ、息は胸にはいって神経系に栄養をあたえる。
いのちは呼吸に支配されている。
生まれるときに最初の息を吐き、死ぬときに最後の息を吸う。

食物の消化サイクルは約24時間だ。
からだにはいり、消化されて、でていくまでにそれだけかかる。
呼吸つまり空気の消化サイクルは、約3秒である。

呼吸は宇宙とつながる手段だ。
呼吸がなければ意識もない。
呼吸は肉体の組織づくりをし、修復し、からだにとって必要なものと不要なものとのバランスを維持している。

食物がなくても何週間かは生きられ、水がなくても2、3日は生きられるが、空気がなければ数分しか生きられないという事実は、呼吸の決定的な重要性を示している。
深い眠りや麻酔薬で意識を手放すことはできても、生きているかぎり、呼吸をとめることはできない。

忘れていても勝手におこなわれ、通常の意識からは独立しているにもかかわらず、呼吸はこころにつながる唯一の重要な生理機能である。ほかの生理機能は、消化にしても心臓の拍動にしても、血液の循環、神経エネルギーの流れ、吸収や分泌にしても、意思によってコントロールすることはほとんどできない。

ところが、呼吸だけは別だ。
意識しなくても呼吸はおこなわれるが、深呼吸をしようと思えばそれもできる。
ということは、意識的に呼吸をおこなえば、もっと多くの生命力をからだのなかにいれることができるということを意味している。
呼吸は、なによりも大切な生命力の流れを調整し、最大限にするための最善の機会を提供してくれているのだ。
あなたにはよりよい呼吸をする機会があり、責任がある。~略~

ひとつ呼吸をするたびに、人は同時につぎの4つのプロセスをおこなうことができる。
物理的な固有・呼吸の型・いのちの呼吸・光の呼吸である。~略~

自分がちゃんとした呼吸をしているかどうかを知るには、鼻のしたに鏡を置いて、その表面の曇りぐあいを見ればいい。
左右の鼻の穴がつくる曇りが均等なら、たいがいいい呼吸をしているといっていい。

人は平均して、一日におよそ2万8000回ほどの呼吸をくり返している。
よく注意していれば、その呼吸1回ごとに、こころにあたらしい想念が生まれるか、古い想念が変化するのがわかる。
なぜなら、正しい呼吸をしていると、「いのちの呼吸」が脳細胞を刺激して、こころの活性化を助けてくれるからだ。

からだがストレスにさらされ、疲れを感じたときはいつでも、鼻から深く息を吸って、そのまま何秒か息をとめ、やはり鼻から勢いよく吐きだすと、不快な感覚をからだからとり除き、バランスのとれた、すっきりした状態にすることができる。

忘れないでほしいが、息をするときは、口ではなく鼻からすることが望ましい。
というのは、空気が臭神経の末端にふれて、それが脳を刺激し、脳に呼吸の自然なリズムを思いださせることに役立つからだ。
鼻から呼吸しないということは、ある意味で、半分しか生きていないということになる。

人は呼吸したとおりの人になる。
浅くて不規則な呼吸をしているときは、健康状態も悪く、エネルギーも低下している。~略~

浅くて不規則な呼吸はまた、作業効率の低下や、ときには、子どもの発達遅滞という結果をもたらす。
呼吸が浅く、吸った息が横隔膜の下部までとどかないと、血液の中の毒素が吐く息に運ばれず、脳に重大な障害をきたしてしまう。
脳のはたらきは新鮮な血液がじゅうぶんに供給されるかどうかにかかっているからだ。~略~

4へつづく。  


私たちをとりまく世界から、健康とはなにかを理解してみる2

2016年11月11日 | 健康

以下『いのちの輝き』ロバート・C・フルフォード著から引用します。

健康とはなにかを理解するためには、われわれをとりまく世界に関する基本的な知識をもっていなければならない。

28日周期の女性の生理サイクルが月の満ち欠けの影響であるという科学的な研究については、たいがいの人が知っているにもかかわらず、自分のからだが自然界にどれほど影響されているかを考える人は少ない。
気圧の変化も人間に影響している。オハイオの平原を嵐が吹き渡っているが、嵐が近づくにつれて、わたしの呼吸がみだれ、思考も乱れてくるのがわかる。急速にさがった気圧がわたしの体内の複雑な化学反応を変化させ、器官系を緊張させているのだ。

宇宙とのつながりについて理解することで得られる利益はたくさんある。なによりも、自然のいとなみのしくみがわかれば、それを味わい、楽しむことができる。その楽しみが深まるにつれて、自分がどんな環境にいるのかについての理解が自然に深まり、そのことが確実に健康にたいするより深い理解につながるのである。

〇生命場
半世紀以上にわたって本を読み、論争し、質問し、黙想をつづけた結果、わたしは人体が「生命場」とでもいうべきものに包まれているということを確信するようになった。
その生命場は全身にくまなく浸透し、さらに皮膚を大きく超えて、全身を包んでいる。
それがどんなものかを知りたい人は、からだをとりまく色のついたオーラを想像すればいい。
色はその人の状態によって、緑、赤、黄色など、さまざまである。~略~

この生命場は肉体に生命力をみちびきいれ、その人にスピリット(霊魂、気力)を供給している。
けがをしたりこころを痛めたりすると、生命場はそのショックを、エネルギーの消耗というかたちで肉体にあらわす。
そんなとき、それを放置しておくと、エネルギーの消耗が機能不全にまで発展して病気になり、ついにはからだの機能がまったく停止してしまう。
エネルギーの消耗に気づいて休息や補給をすれば、からだは失われた健康を自然にとりもどすようにできている。
生命場の安定度を知るには健康状態を観察すればいい。
健康状態が悪いときは生命場も不安定になっていることがわかる。~略~

ようするに、生命場は周波数の高い電磁場という特徴をもっているということだ。
バー博士はそれをいつも、「肉体を組織化する場」といっていた。
じつのところ、その場は物質的なからだがこの世に出現する前に姿をあらわし、成長する生物の原子や分子をみちびいて、正しいかたちに組織化していく役割をはたしている。

いってみれば、その電磁場のパターンが鋳型をつくり、その鋳型にしたがって物質がかたちづくられ、目で見え、手でふれられる肉体が生じてくるということである。
物質的なからだも「場のからだ」も、ともに「脳」をもっているが、生命場の「脳」は肉体の脳とは似て非なるものである。それは生物の肉体的構造を支え、肉体のあたらしい細胞-たえず死んでいく古い細胞といれかわっている細胞―に行き場所を指示する組織化のパターンのようなものだ。
その指示がなければ、あたらしくできた細胞が肝臓に、筋肉に、肺に行くことが、どうやってわかるというのだろうか?~略~

東洋では何千年も前から、似たような生命エネルギーの概念が認められてきた。
中国人はそれを「気(ち)」と呼び、日本人は「気」と、インド人は「プラーナ」と呼んできた。
残念ながら、アメリカにはそれを呼ぶことばがないのである。~略~

〇生命力
人体にくまなく浸透し、それを包みこんでいる生命場は電磁気エネルギーでできている。
そのエネルギーが体内にあるとき、わたしはそれを「生命力」と呼ぶ。~略~

〇波動
じっとして動かないものはなにもない。すべては振動している。
あらゆるものは、ほんのかすかではあるが、動いているのだ。
あなたがまいたトウモロコシの種子の、芽をださせるものはなにか?
ヒヨコはどのようにして殻を破り、たまごからでてくるのか?
すべては振動のなせるわざである。

あらゆる生き物は、宇宙に遍満している電気的な生命力の流れとともに脈動している。
その脈動、振動、波動は目に見えないが、手で、指で、感じとることができる。~略~

たいがいの人は光の周波数によって色が変わって見えるという、あの色のスペクトルの波動なら理解している。
基礎科学を学んだハイクスールの学生ならだれでも、赤と紫が二次のスペクトルの両端にあることの理由を知っている。
波動はまた、音楽やことばなどの音もつくりだす。
じつのところ、人間のあらゆる反応は波動的な反応なのだ。

われわれは五感―視覚・味覚・臭覚・聴覚・触覚―をつうじて、ほとんどの波動に反応し、わたし好みのいいかたをすれば、母なる自然の仕事を味わっている。
ところが、感覚は個人差が大きいから、内外の波動にたいする反応も人によって変わってくる。
同じ美しい景色を見ても、人によってその味わい方はまったく異なっている。
感覚の鋭い人はより高い周波数の波動をキャッチして、鈍い人よりはいきいきとした色彩を感じることができる。
同じ赤でも人によって見ている色が微妙にちがい、同じ音でも聞いてる音に多少の差がある。

人の会話においても同じことがいえる。
われわれはかならずしも全員が同じことばを聞いているわけではない。
ことばの解釈の差ばかりではなく、受ける波動の差で、聞き取る内容が変わってくる場合がある。
同様に、味覚も波動をつうじておこなわれる。
たとえば、同じ甘さでも人によって感じかたがちがうのだ。

この波動はよろこびをもたらしもするが、そこに欲望がからんでくると、面倒をひき起こすことにもなる。
音の波動をつうじて美しい歌曲がこころの中にはいってくる。
すると、その歌曲を愛するあまり、それを所有したいという欲望が生まれる。
波動がこころに欲望を喚起し、その欲望がときにはきわめて不健全な結果を生じる。~略~

波動は人間の健康に影響をおよぼす。
患者に手技をほどこしているとき、その患者のこころがオープンであれば、からだがかすかにピリピリと振動しはじめる。
患者の生命場と肉体とが同調してきたしるしであり、実際に本人もその波動を感じる。

どんな人でもつねに振動しているのだが、からだの一部の振動が弱いときは、生命力がスムーズに流れていないときである。
手をすべらしていって、からだの組織にひっかかるように感じるのは、そんなときなのだ。~略~

じゅうぶんに振動していれば、その人は健康である。ふだんよりも振動の比率が少なくなれば、なんらかの病気が進行していると考えなければならない。
自分のからだの最適の振動率に気づいている人がほとんどいないのは残念なことだ。
いつも思うのだが、それを知るのに最高な方法は瞑想である。
瞑想しているとき、人はこころが静まり、内部のリズムに気づくことができる。~略~

3へつづく