しんどい生き方だったなぁと過ぎたことと思えるようになれたら身体も和らぐ | からだとこころのつながりで良くなっていく

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心を守るために身体はいろんなサインを出してくれている・・・。

母親との縁を切ってから 

私は確実に自分の変化を感じ取れるように

なっています。

 

私を知り 私のことを思ってくれている人達は

私の選択を間違えていないと言ってくれて

私の変化に対して喜んでくれています。

 

他に 詳しい内容はわからなくても

私が選んだことだから

よっぽどだったんでしょう・・・と

私に対する安心感を根底に

持ってくださっている方々もおられます。

 

他には 私がどんな環境であっても

現在の部分ではその人達には関係ないという

今を普通に過ごしている方々

 

他に 家族は?とか 家は?とか

いろんなことをサラッと

話のついでのように聞いてくる人

 

う~ん、それ以外・・・

その人自身の中での

世間的常識というものがあり

ひとつの話題に対して

これはこういうものだというものがあるから

それに合わない事を聞いた瞬間に

わかったような雰囲気で

同感っぽくして聞いてはいますが

心のなかで ピシャっと

何かを閉じて (違うな・・・)と

判断して受けとめも受け入れもしなくなる方・・。

 

・・それと別に、必要以外は関係ないと 自分自身のことだけに

集中して周りに対して全く相手にしない方。

 

私たちは様々な関わりの中で 毎日を過ごしています。

 

私が頑張らなきゃ・・という

生き方を長い間してきて 

結構 細かい人の様子に気付き 

あ〜この人はこれが嫌なんだろうな・・とか

その人のしてほしいことは・・・なんて

がんばって、変に気遣い、

それをウザいと思われることもあったり・・

 

なんか割りの悪い生き方を当然のように

していました。

 

無意識にでも気を張るという生き方は

小さい頃からの環境の影響と

そういう状況に合わせていった

自分の性格かなと思います。

 

その時からの影響なのか

構えすぎる私の身体はとても硬く

前屈も出来ないし

マッサージしてもらっても

硬すぎ・・と よく言われました。

 

こころの部分で

小さい頃

自分の思いを前に出す・・・

自分がどうしたいとかを表したり

甘えるとか悲しむとか お願いするとか

こうしてほしいとか 

自分の感情を出すのを 

止められた事実は確かにあって

その後は その時の恐怖感と

あきらめ、絶望感、承認されない不満、

 

母親がよく私にしていたことは

こうしたらこれをあげるとか

お金を渡すとか

連れて行ってあげるとか

好きなものを食べさせてあげるとか

報酬をあらわし 今度こそ今度こそ・・と

それまで守ってもらったことが無いのにも

関わらず 今度こそ約束を

守ってくれるはずと 信じても

結局 子供の間も大人になっても

いいえ、最後に縁を切るまで

私にしてきた約束事は

ほんの小さなことでも全て何も

守ってもらったことや

してもらった・・という 記憶も事実も

ありませんでした。

 

それでも信じていたのは

世間的常識として 母親は何があっても

子供を大切にする・・とか

やっぱり親だから・・・とかいう

周りから聞いてきた情報と

その人達が決して嘘ではないという

心の奥から思っている自信のある

思い込みだけどまっすぐな気持ちを感じて

きっと私も どんな小さいことでも

私という存在を

認めてもらえるはずだ・・と

信じようとしていました。

 

信じようとする気持ちになる

他の理由は

 

お前なんか施設しかいくとこないんや!と

言われ続けていましたので

私はそれでも 家にいることができる・・とか

 

食事もいつも母親自身中心の 

辛いもの好きな大人メニューで

食べるのが全体的に辛くて

私が涙出しながらご飯食べているのを

みて喜ぶ母親でした。

 

たまに普通の卵焼きを作ってくれたら

それだけで私は嬉しくて大喜びして・・。

母親に「やっぱりお前はあほや」といわれる日々。

 

どれだけ

笑われてもおばあちゃんがいた頃の

普通の家庭の食事や 

おばあちゃんに抱かれたり愛されたり

してもらった数年の経験のおかげで

普通の卵焼きやおにぎりが

私からすると 何よりのごちそうだと

喜ぶ私。

 

そしておばあちゃんに愛されたその数年の出来事が

私のベースになっているようで

おばあちゃんが孫の私だけでなく

娘である私の母親のことを案じ

心からの想いを向け続けている姿を

みていたからなのか

結局 母親に対して 辛かったり

痛かったり しんどかったっていう印象と

この人は嘘をつく人だとは思っていましたが

 

許せないとか 恨むとか 裏切られた とか

は思えなかったです。

でも、

世間的常識を知ると

自分自身が被害者的な意識が

自分の思考に入って

それもまた しんどかったです。

 

・・・・今は

あの時からの固くなってしまった身体が

普通に足を伸ばして座ることもできるし

少しは身体が柔らかくなって

普通並みっていう感じにまでなっています。

 

それがこの1〜2年ほどで柔らかくなってきている・・

自分の体を通して 心の構えと体の硬さ具合

絶対では無いですが 関連性もあると思います。

 

身体のために 昔の思考の見直し・・。

いいかもと思います

 


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