続き…

 

「あの時は大変でしたねー」

 

最近、僕の『屍春期』出版祝いに駆け付けた、この川本姉妹と一緒に久しぶりに夕食へ行った。

 

「実は……先生。言おうと思って忘れてたんですが、実は……あのマンションでは、昔、ちょっと嫌な事件……てか、噂があったんですよ……。いや私もあれから気になって調べてみてわかったんですが……」

 

過去、あのマンションでは、ある姉妹が、親の留守中に外出して失踪したという事件があった。

 

その妹の方は近隣の川で溺死体となって発見されたのだが、賢明な捜索にも関わらず、その姉の方はいまだ発見すらされていないという。

 

悲しい事故のように思えるのだが……その家庭には、精神を病んだ母親による虐待の噂があったらしい。

 

その事故が起こった当初、付近では「母親によって二人とも殺されたのでは……」という噂がまことしやかに囁かれた……。その後、その母親も錯乱し入院、その後はどうなったのかわからない。

 

 

この話を聞いて僕の頭に、あの時のこと、そしてあの時に感じた疑問点……が鮮明に記憶に蘇った。

 

あの時、天井裏で見つけたあの誰かのゲシュタルト崩壊を示す手帳……、あの手帳はある特定のページが開きやすくなるという癖がついていた……。つまりそれを美咲が書いたものとするには、どうにも古すぎるのだ。

 

最初にコンパスが狂ったのは本当に壁のマグネットのせいか?それなら置いた瞬間に気が付かないだろうか?またなぜ突然、化粧台の鏡が割れたのか……?

 

それらを頭の中で組合わせ、僕の頭にまたある仮定が立った。

 

あの手帳は……、ひょっとしてこの都市伝説の母親のものではないだろうか?

 

母親は精神を病んでいたという。

 

それが自分を見失なうという例のゲシュタルト崩壊のせいであると仮定する。

 

ゲシュタルト崩壊が進むにつれ、母親は子供に対して虐待を行うようないわゆる理解できないモノへと変わっていった。そして例の事故が起こった。

 

偶然にも、美咲はその母親と同じ『自分の改造』、つまり自身をゲシュタルト崩壊に導く行為をあの部屋で行っていた。

 

ゲシュタルト崩壊……、自身の崩壊後は、一体どうなるのだろう?

 

自分が自分じゃなくなる……?自分がいなくなる……?自分の中に自分がいなくなる?と、いうことは……自分は器だけの人形のようになる……?

 

人の形をしたものには、ナニカが入りやすいという……。

 

器だけになった人間にも……それは適用され、同調したナニカが容易く入れるのかもしれない……。

 

また最初に電話を掛けてきたきた時の、美咲の状況説明は完璧だったことから、初期は美咲の意識を改ざんし、操り、のちにすり替わるように蝕む……?

そう、あの『すり替わりマネキン』(すり替わりマネキン参照)のように……。

 

あの都市伝説において、厳密には死亡が確認されたのは、姉妹の妹の方だけだ。

 

あの時、美咲は「お姉ちゃんがいなくなった」としきりに訴えていた……つまり……、母親と同じことをしていた美咲に同調し、また器になりかけていた美咲に、その妹の霊がとり憑いた……?

 

そんな仮定の上で、美咲……いや霊が訴え続けていたこと。「お姉ちゃんがいなくなった」、あの都市伝説の中に事実があるとして、『親の留守中に姉妹が外出した』のではなく、『姉の姿が見えなくなったから、妹がそれを探しに外に出て事故に遭った』とも捉えられる。

 

だが……そうではない……恐ろしい……、実に恐ろしい……仮定も立つ……。

 

あの時、美咲が口走った言葉。「エッコは逃げろって言った」これは……一体何を意味するのか……?この言葉の主語は何だ?

エッコか?

 

日本語は主語を省略できる言語だ。逃げろと言ったのは、このエッコではなくて、そのお姉ちゃんの可能性もある……。

 

つまり『お姉ちゃんは「エッコは逃げろ」と言った』という可能性。

 

何にせよ、家から外に逃げ出さなくてはならない状況……この場合、その家の中にある脅威とは何だ……?母親……か?

 

このエッコは都市伝説上では、川で溺死したことになっている。だがなぜ姉は行方不明になった……?上記の仮定の上では、逃げろと言ったことから、姉は室内にいたはずなのに……?

 

つまり……姉は川で死んだのではない……。

 

まさか……世間の噂通り…、母親に……。

 

あの天井裏には、明らかに後からコンクリートを塗ったような壁があった。

 

あれは……本当に補修の跡なのか……?

 

あの冷たいコンクリートの中には……まさか……

 

 

 

…もうやめよう。まったく確証などない不吉な仮定を続けるのは…

 

「だから……ひょっとしたら美咲が住んでいたあの部屋が……」

 

と美香は美咲の方を見るが、僕は

 

「ああ……ただの都市伝説やろ……。あまり気にすんな。全部終わった。忘れよう……」

 

とだけ言っておいた。

 

「先生!この話はブログとか、本で書いてくれないんですか?」

 

と、人の気も知らないで当の美咲が言う。

 

「いや……嫌やろ……。自分がおかしくなったような話、書かれるのは……。竜介主演の話ならいくらでも書くけど……」

 

「全然いいっすよ。むしろ書いて欲しいです!」

 

あっけらかんと、当の本人の美咲が言う。

 

…何を言ってんだか…

 

「わかった。じゃあ、実名で住所入りで書いたるわ!」

 

「いや、待って!それは無理です!名前と……半分以上創作を混ぜて書いてください!」

 

「えー。じゃあせめて君らの電話番号は載せていい?」

 

と笑うと

 

「妹のならいいです」

 

と美香が僕にのる。

 

「あかんあかん、姉貴は黙っといて!」

 

と、美咲も笑う。

 

姉貴……ね…

 

「はは、いまどき『姉貴』はないやろー。お前、実は昭和生まれやろー?」

 

と僕も笑い、安心できる昔の仲間との夜は過ぎていった。