介護の学び
「一人でないだけでちがう」



今回の通院の学びは、
そこでした。





 車椅子必要なし!
 歩行器押してスタスタ歩く!(速い)
 トイレ 見守りのみ!


これ、
同じ老人の姿????
くらいの回復ぶりは
次の介護認定では要介護2になるなー
の勢いです。



だから、
姉はもちろん
店主も
母の体を持ち上げたり支えたりは
まったく必要ありませんでした。



目標の
かかりつけへの移行も
自然に決まりました。



総合して、
人手は必要ではありませんでした。
姉の手術に先立って通院が決まっていて
店主が休暇の手配ができていてよかったです。





姉の手術は
歩くのを妨げる骨を削って
改めて閉じ合わせるものでした。

これまでに、
右手の親指での外科手術が
術後の経過が悪くての再手術にリハビリ、
この足の手術も術後に骨が突き出してきての再手術という流れでしたから、
入院期間もこれほど短く済むとは思えず、
リハビリもどのくらい進んでいるかも
予測できずで、
姉としては珍しく、
自分では動けないだろうと考えてくれたための店主登場でした。





そもそも
店主に期待される実際に
抜き差しならぬ働きは
書類上での保証人やら
話し合いへの親族参加の体裁やらが
一番であって
介護そのものに関しては
〝お使い〟〝伝令〟〝御用聞き〟、
にすぎませんでした。





いかに姉がスーパーマンで
ターミネーターでも
物理的に同じ時間に二ヶ所に存在することができない。
それあっての介護週末。
役立たずの店主なんです。


でも、
ほんとに、
心底、
今回来られてよかったです。


姉が休めたら
もっとよかったんですが、
自分が動けるときに休むということは
しない姉です。


でも、
よかったです。





母は
祖母の介護には指一つ動かさず
病院も行かず
終えました。
姉がしていました。

父の看病は〝銀座でお茶〟がメインで
最後の泊まり込みの間は
〝銀座のホテル〟でした。
娘二人がしていました。


母は
世話をするということに
向いていないし、
実家に関しては
そのすべてが自分のものです。


後妻である祖母にではなく
五歳の長女にすべてを遺した祖父には
勘弁してよ
と思ったりします。


無邪気に
悪意なく
ただそのままに伸びやかに膨らんだ自我は
人生の面倒全般、
〝誰かがやってくれるもの〟のまま
ここまできました。


姉は
介護を自分の務めとして
常に意識しています。



だから
投げ出すということはしない。
しなすぎるほどにしません。
ただ
洩らします。

〝自分では
 何もしてこなかったから
 わかんないんだな
 って思うさ〟



母は
可愛くないかというと
悪意はないです。
陰惨な呪う言葉はありません。


その代わり
本当に欲望に忠実です。

 
待たされたら
まだ?
まだ?
まだ?

喉が渇いたら
飲みたい
飲みたい
飲みたい


母の通院での一人で付き添っていたら辛いところは、
その対応だと思いました。


自分では
誰かの世話をしたことがない。
そして、
自分の感じたことはそのまま出す。



その感じたことそのまま
というのは、
不思議に
〝きれいね〟とか
〝すごいね〟ではありません。


甥が
実家でお風呂に入ると
〝汚い〟
甥の目の前でお湯を抜く。

そんな
一般には
思い切った行動を
〝ああー
 ○っ君入っちゃった!!
 汚い 汚い
 入れ直さなきゃ〟
不愉快剥き出しでできてしまうし、
甥には二度とするな!
お前は汚いんだから
と言い聞かせることは
母には当たり前のことでした。

母にとって
学習障害は恥です。
恥を恥と扱う当たり前。
悪意ではないです。
せめて悪意であれば、
そう感じることを罪とも認識できたでしょうが、
その認識はない母でした。


店主、
我が儘は母に似たと思いますが、
幸い、
母の当たり前は、
母だけを特別なものとするものでしたから、
真似ることはできません。





甥が生まれてからは
驚くことが多く
姉の怒りと悲しみに
え?
首を傾げるだけの母に
怒りを感じもしました。


が、


怒鳴られても
すぐに回復する点で
母と甥はよく似てましたし、
それを引きずらないというか忘れてしまうのも似てました。
変わることない無邪気な差別は
日常でした。




旅先で出会った
リンゴ投げつけ事件とは
また趣を異にする
悪意なき差別は
姉を繰り返し傷つけました。


同じ空間にいながら、
不思議なことに
母は自分だけの空間にいたように思います。


祖母と交わした
〝おもしろいねー〟
〝きれいだねー〟。
それを母に欲しかったと感じたかというと
それはありません。
たぶん姉もです。


なんというか、
猫がワンワンって鳴いたら
驚いちゃうじゃないですか。
母には必要ないことだったし
備わってもいなかった。
それは自然でした。



私たちの下着やら
普段着やらは
ほんとうにつんつるてんになるまで
母は気づきませんでしたが、
自分の開いていた音楽教室の発表会での晴れ着は
ほんとびっくりの豪華なものを
買ってくれました。


悪意で日常に気づかないのではなく、
自分に関わるもの以外、
ほんとうに見えないのが母の面白いところです。



店主は
母を嫌いだったというのは
ありません。
そういう対象ではなかったです。
これは姉はわかりません。

店主は
父の最後の一週間と向き合うまで
母については意識せずにきましたが
姉は繰り返し意識せざるを得なかったと思うからです。
何を?
〝家族とは本来どうあるものか。〟をです。




母が介護を受けるようになった今は
ほんとうに
悪意がない有り難さも
感じないではいられません。
これは
姉も申します。



病院で見かけた
常に誰かを攻撃している御老女に
つねられ、
金切り声を上げられながら、
ひたすらお世話するお嫁さんを思いますと、
もしかしたら〝世話をしたことがない〟というのは、
憎しみを生まないという点では
有り難いことかもしれないと感じるのです。


無邪気に繰り返す要求。
今回は
その母の繰り返しを
一緒に聞くことができて
よかったと思います。



姉が
一人で聞くのは
さぞきつかったろうと
思うからです。





美しいと思うもの
音楽や絵画
物語
映画にドラマ
おいしい食事とその空間
人の造り出した様々な美や
自然の景観

そこに
〝ああ
 わたしは
 これが好きだ〟
感じる心は
自分自身を支えるものだ。




姉がエネルギッシュに
それを求め
味わっては宝石箱にしまうように
大切に覚えていることに
つくづくそれを思います。


店主、
甘やかされてますので、
感受性の鍛え方も
まだまだです。



三月までを生き抜くためにも
この短い期間に触れる美しいものに
ちゃんと
反応できる自分でありたいです。


頑張ろっと。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。







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