夕方の民放はおもしろいですね。
テレビ朝生活も二日目、
朝は少々疲れますが、
夕方は安らぐ映像でございました。


 朝のニュース映像は、
 ロシアの少女の名と
 その技術をもじった呼び名に
 ウッと退きまして、
 これ見続けるんかー………がございました。

 忙しい時間だからでしょうかね。
 映像全般、音響全般、編集全般、
 微妙に猛々しい。





 夕方の特集、
 今日は熱海再生でございました。
 昭和レトロの風情が町になじむ熱海、
 そこで暮らす方々、
 シャッター街の再生に取り組む小さな宿のお若いご主人に、
 温かさと希望とを感じました。


さて、





店主、
これはもう体力の限界と、
本日はほぼ定時退勤といたしました。
加えて明日は〝なーんちゃって出勤〟を生かし、
出勤だけは遅くいたします。

明日こそ定時退勤したいのですが、
それは叶いません。
せめて疲れの蓄積だけは抑える。



明日からのテレビ観戦と、



引き続くおっかしいなー勤務に備え、



ちょっと体を休めます。



ふうっ。
だから書けるかな。
どうかな どうかな
23時半開始のJr.男子SP見られるかな。


ほんとは休日の金曜日を前に、
ずいぶん久しぶりに
就寝時間を気にせずにいられます。




では、
本レビューいたします。


この書名、
おいくつくらいの方まで、
覚えておいででしょう。

職場では三十代の方々はまったく知らないという話でした。
四十代以上には伺うのがこわい。





亀井勝一郎氏。

店主の若き頃には、
たいそう有名なお方でした。




具是観音の章に亀井氏の語る聖徳太子像は
慈悲に溢れ、
蘇我蝦夷は極悪非道。
太子がその蘇我氏を捨てきれなかったのは血縁関係がゆえであり、
いっさいの罪禍をみずから担って、
ひたすら耐えられたのであろうか。
と詠嘆に結ばれます。



店主、
かつて読ませてはいただきながら、
この太子像は残りませんでした。


太子の政治意図に関して、
鮮烈に焼き付き、
かつ
説得力をもって迫ってきたのは、








山岸凉子著「日出処の天子」のそれでした。
そこに梅原猛著「塔」に語られる法隆寺の謎ときまして、
厩戸皇子のイメージは、
強烈な意志を抱いた畏れられて慎み祀られた孤高の存在として、
確立してしまいました。


亀井勝一郎氏、
その名を冠せられた賞は十四回まで授与が続きましたが、
今は途絶えております。


氏の語る歴史のロマンには
今は新たな説が取って代わっているものの、
古寺の風情を語る言葉は空想の翼をもってロマンティックです。
「なかろうか」に夢こもる。




金堂におまいりして、
仏前に祈りをささげたあと、
おそらく多くの人はなにげなくこの円柱にもたれかかって、
ほっとしたのではなかろうか。
あるいははるばるこの寺を訪れた旅人が、
仏前へまいる前に、
しばし身を寄せかけてあたりの風光をめでたのではなかろうか。
ないしはこの陰に身をひそめて恋人を待つ平城の男女があったのかもしれぬ。


この「かもしれぬ」を、
物語に具現化したなら、
その像は印象に残ったかもしれない。
「なかろうか」は弱いのだ。
そんなことを思いました。

 見上げれば、
 木々の梢は高く、
 塔はさらに高い。

 ふっと疚しさが身を焼く。
 円柱を回ると、
 そこに背を預けた。

 ひんやりと冷気が降りてくる。
 柱の陰に己の影をすっぽりと隠して、
 私は待った。

 
 ひそやかに階を踏む足音を。



自分の物語まで書けますかどうか。
短いなーーーー………休日のはずの休日。

画像はお借りしました。
ありがとうございます。


人気ブログランキング