店主、

マイバッグを忘れました。

 

裸の重たい米袋を、

えいやってシートに置き、

それから置き直そうと持ち上げました。




 

ざざざざざざざざっ……。

 

最初の一撃で

ぴっと穴が横に開いてまして、

お米零れました。

慌てて袋をひっくり返して穴を上にし、

万一の場合に備えてカバンに入れといたレジ袋に入れ、

零れたお米は残念ながらゴミ箱に。

 




 

やっちまいました…………。


家庭科2だからでしょうか。

いや関係ないか。

どうだろう。

決断力しかないと自動車学校でいただいた判定がちらつきます。

 

 




人間観察は年相応にできましても、

基本のスキルが欠け落ちてる。



これは

まあ

プライド投げ捨てて、

末っ子という立場の恩恵に

甘えるだけ甘えて生きて来た報いでございますね。

ボールペン数本を飲み物置くとこに置きっぱなしというだらしなさ。

誰か(姉)に怒られなきゃいいや、

というスタンスから抜け切れないアホでございます。

 

 

とはいえ、

姉は姉で、

どこまで追い詰められても自力救済しか考えないという、

まことに手助けしにくい行動パターンが身に付いているわけで、

人間というのはそれぞれの個性のもと、

損得ではない選択を繰り返す生き物ということでございます。

 

 

強引ではございますが、

そこのとこで

AIに繋げ、

本レビューに持ち込ませていただきます。

 

 

藤井二冠の特集番組を拝見いたしました。

そこでの柱は

AIを超えていく可能性だったように思います。

人工頭脳と人間の共存について考え抜いたSF小説と申しますと、

アイザック・アシモフのロボット・シリーズでございます。

 





 

昭和63年、

1988年に読ませていただいた「地球は空地でいっぱい」所収の

「お気に召すことうけあい」

 

店主は、

独身時代の最後を謳歌している頃でした。

家庭向け新型ロボットの実験が行われました。

少し引っ込み思案で、

派手で自信たっぷりな奥様仲間グラディスに引け目を感じている主婦クレアが

この上なくハンサムな新型ロボットのトニイと過ごし、

彼に励まされ、

彼の力添えで素晴らしいパーティーを開き、

彼のキスを受けそうになるところをグラディス以下

ご近所の皆様に見られます。

実験は終わりました。

 

そして、

クレアの生活は変わり、

その性格は華やかに自信溢れたものになりました。

なぜなら

こんなハンサムな恋人を持つ主婦はクレアしかいなかったからです。

 

 

男性と女性で感想が違うかもしれませんね。

店主はプリティー・ウーマンを観るノリで、

当時は楽しみました。

買い物シーン多し!

変身シーンあり!







 最高のハンサムで

 絶対に自分を守ってくれる

 どこまでも優しい男性

……いるわけない。



 

 

ところで、

このお話の最後までを店主が楽しく読めましたのは、

アシモフの造形した博士がスーザン・キャルビンという女性だったからと思います。

 

なぜトニイがクレアにキスしようとしたか。

男性は甘い見解を述べました。

「女主人に惚れるようなロボットはだめだ」

スーザンは却下します。

「あの機械は第一条に従ったまでですよ。

 危害が人間に及ぶのを見過ごすわけにはいかない。

 ところがクレア・ベルモントに危害が及ぼうとしている。

 彼女自身の劣等感を通じて」

 

この物語の結びはスーザンの言葉です。

機械は恋することができません。

でも

たとえそれが望みのない恐ろしい恋であっても

女にはできるんですよ

 

これが男性の言葉であったら、

女は馬鹿だ、というメッセージが感じられてしまいそうですもの。

 

 

ただ、

ますます人工知能が身近になってきますと、

むしろ、

本当にトニイがいたなら、

それで幸せになれてしまう人間は

男女問わずにたいそう多いような気がします。

 

 

既にその扉は開き、

何事につけ

人間の判断の不完全さを超えた人工知能の判断が

世の中を動かしていくようになるでしょう。

しかも

人間は

しだいにコミュニケーションが苦手になっています。

 

藤井二冠の可能性にドキドキしながらも、

トニイの存在が可能なものなら、

それぞれのトニイに優しく守られて暮らす人間たちという未来も

あるのかもしれない。

若い友人と話すごとに

そんな思いが強くなります。

 

ちょうど先々週の木曜あたりにLINEの不具合が始まり、

メール交換ができなくなっていたので、

久しぶりに話しました。

うーん

ほんとに

どんなものでしょう。

 

 

間違い多くとも

疑う必要もなく

己の判断で生きていくしかない。

今はまだぞれができる時代でございます。

 

お米はね

もったいなかったし

スマホ轢いちゃったときはショックでしたが、

どんなボロ船であっても自分で舵取りをしていきたいものです。

 


⭐はみだしっ子シリーズ
「山の上に吹く風は」より


 

あ、

でも、

最後の最後、

体が動かなくなったときには

欲しいなー

トニイ。

そうも思います。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 

 

 




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