防災訓練 | 呑気じじいのひとり言

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不思議な時代になっちゃった!

冬になって、火災が多くなるので、

防災訓練と称して、近くの広場で、20人ぐらいの人が集まって、
消火器の使い方を、多分消防士からだろうが
教わっている場面に出くわした。
 
 
今ではもう、
戦時中の話をする人も少なくなってきたから、
忘れ去られてしまう前に書いてみようと思うのだが、
あの頃も、やはり防火訓練というのがあって、
無理に参加させられたものだ。
 
 
バケツリレーなるものを。
 
 
一列に並んで、
10人くらいかな、水槽からバケツに水を一杯汲んで次の者に渡す。
次々とバケツが渡り、最後の人が燃えてる火にかける。
 
 
実際に火は燃えていないのだが、
丸太が組んであって、そこが燃えてる場所と仮定。
 
 
「早く!もっと早く!」
なんて誰かが号令を発する。
しかし、急げば急ぐほど水がこぼれて、
最後の人に渡った時は、半分とはいかないが少なくなっている。
 
 
空になったバケツを持って、列後ろの水槽まで走る。
次のバケツがもう来ている。
 
 
隣の列、またその隣の列との競争。
何杯火事のポイントにかけたかを見定める審判員までいた。
 
 
バケツの数より水の量だと後で思ったが、
負けず嫌いで、一生懸命やった。
 
 
さて、
こんな訓練、結局、何の役にも立たなかった。
 
 
アメリカ機が空から落とす焼夷弾によって、
5、6m間隔で街中が火事、消防署も交番も火事。
 
 
誰も消火活動なんてする者はいない。
逃げるのが精一杯。
 
 
今でも目に浮かぶ。
火事は”風上に逃げろ”と言われていたが、
風上も風下もない!周りがすべて火事。
 
 
今やっている防災訓練なんて無駄だと思う。
素人が実際その時になって、消火器を正確に使用できるのか。
 
 
また消火器で消えるような台所の火事なら、
パッと布団を被せ、上から水をかけた方が早い。
 
 
あの火事で家も焼失、町も消えてしまった。
今あれば値打ちの有るものが、みな灰になってしまった。
 
 
何の役にも立たなかった防火訓練の馬鹿らしさを思い出すと、
それでも当時は真面目にやっていたのかと可笑しくなってしまう。
 
 
しかし思えば、
その時、助かった時から危機一髪を逃れる事が何回かあった。
 
 
決して裕福ではなかったが、
幸運な人生でここまで来る事ができた。
 
 
関係はないが、
同じ1930年生まれの007の ショーンコネリーさんも黄泉の国へ。
 
 
災害が起きての生死もまた、
運命なのではないかと感じる。
 
 
 



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