視線が合う | 呑気じじいのひとり言

呑気じじいのひとり言

不思議な時代になっちゃった!

絵画
フェルメールの”ターバンを巻いた少女”
もそうかも知れないが、
どの角度から見ても視線が合う。
 
 
じっと互いに見つめ合っている様に。
 
 
毎日87歳で亡くなった妻の遺影に向かって、
「買い物に行ってくるな」とか、
「供えてある花も枯れてるのがあるから買って来たが、
バラは枯れるのが早いね」とか。
 
 
帰ると、「こんなの買ってきたよ」とまず供える。
そして、白木の骨箱に軽くタッチ。
 
 
そこを離れて、買い物袋の中にチョコレートが残っていたので、
「忘れてた、ごめん、ごめん、これはボクが食べたかったので」と言ったら、
じっとこちらを見ている視線に合った。  
「あれ?君知ってたの」
 
 
それを供えて、また別の所から振り返ってみたら、
また視線が合ってしまう。
左右、どちらから見ても。
 
 
この遺影は、そこそこに大きいのだが、
ボクの行動を見ているように、
視線がどの角度からも追いかけてくる。
勝手な思い過ごしか・・・。
 
 
こんど息子が来たら、同じ様になるか聞いてみるつもり。
 
 
 



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