臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

「花鳥佰第一歌集『しづかに逆立ちをする』」鑑賞

2018年04月21日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
びんたくらはす弟が欲し「ねえちやん」と大声に泣くやうなのがいい

麦の穂をいたくこのみし汝(なれ)なればくちもとにおくその一本を

また弾くとはおもはざりしよヴァイオリン天袋よりしづかにおろす

黒チャドルの女ら広場を埋めつくしそのただなかにきららめく井戸

ひとりきて「裸のマヤ」のまへだしぬけに口中ホワイトアスパラの味

わがまへにきみひざまづきどうしても脱げぬ長靴をひき剥がしたり

年とると化粧がすばやく崩れゆく 岸恵子簡明にいひけり

赤い水たたきこみをり青いのよりお肌むちむちする気がします

野放図なあをぞらが窓へ下りてきてシュプレヒコール「自分を捨てろ」

六月は来てやうやくに「かるい病気」わがそびらより剥がれおちたり

あくびする口ひとまはり大きくなり猫はおのれをいま脱がむとす

ガラス越しにオランウータンとキスをする老婦人をりベルリンの昼

レオナルドの人体図のひと耳から下、あゝ体毛のことごとくなし

支那飯屋「全開口笑」に「安宅歯科」もたれ口開く香林坊に

猿のように腰を突き上げターンしてボートの尻をぐぐぐと回す

この弓の尾の毛の主の鹿毛の馬の雲のごとくに駆けるを見たり

叔父の耳とわが耳の形なり似るゆゑんを明かして死んだショウジョウバエよ

ご近所の歯医者へ来たりて大男の太きおゆびに歯を抜かれたり

手首から肘まで黒き毛の渦まく腕のとなりに三時間をり

五月四日『毛皮のマリー』に青年の肉うすき尻四つならびぬ

かわきたる唇くちに触れたるくちびるに冬鉄棒の味はるかなり

そのゆふべ分子出でゆき入はひりきて蚊柱のごとくわが立ちてをり

履く靴の決まりわが身のなんとなくあるかたちにまとまりぬらし

われらみんな歪んでるのだしんしんと冷えたワインをかるくかざしぬ

とつぜんにあまたのにほひわれを充たすいつてきの雨落ちそむるとき

夜にゐて桃を食ぶれば桃のみづわたしの水とからんで揺るる

冬の夜に蛸を茹でたりトーマス・クック・ヨーロッパ鉄道時刻表の表紙の色に




かくの如きか

2018年04月21日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
暁に眼を開くあたり人のなしかくの如きか墓壙(ぼこう)の目ざめ 土屋文明

戦ひはかくの如きか火群(ほむら)立つ砂漠も油田もうつし世ならず  島田修二 

ぬぎし服ぞろりと垂るる衣紋掛わが現状はかくの如きか  宮柊二

銃眼はかくの如きか安倍首相の作り笑ひの中の一瞬  山崎芳彦


逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず  論語
 

  

「吉川宏志第七歌集『鳥の見しもの』」鑑賞

2017年12月21日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
○  かぜがおもい、風が重いと言いながら青い傘さす子ども歩めり

○  ひらがなを初めて習う子に見せる「つくし」三つの釣り針のよう

○  ときどきは白き狐の貌をするむすめが千円くださいと言う

○  空条承太郎を共通の友として息子と暮らす冬深きころ

○  さむざむと風は比叡を吹き越すも酢の華やかに匂える夕べ

○  磔刑の縦長の絵を覆いたるガラスに顔はしろく映りぬ

○  陽と月の交合のあと目くらみてどくだみの咲く路をあゆめり

○  ヘッドライトに照らし出されて赤黒く立ち上がりたり曼珠沙華の花

○  読み終えし本は水面のしずけさのもうすこしだけ机に置かむ

○  石段の深きところは濡らさずに雨は過ぎたり夕山の雨

○  春雨は広場のなかに吹き入りて吹奏楽の金銀ぬらす

○  よく見てほしいと言う人がそばにいて泥の覆える家跡を見る

○  破られてまたつながれて展示さるる手紙に淡き恋は残りぬ

○  雨ののち冬星ひとつ見えており何の星座の断片かあれは
   
○  うちがわを向きて燃えいる火とおもう ろうそくの火は闇に立ちおり
  
○  錆ついた窓から見える風景だ どうしたらいいどうしたら雨
 
○  若者は抵抗しないということば我もいくたびも言われし言葉

○  やわらかな仏のころも波打ちてそこには風が彫られていたり
 
○  砂肝にかすかな砂を溜めながら鳥渡りゆくゆうぐれの空

○  学校は直角の場所 ゆうぐれにテストひとたば持ちてあゆみく

○  ぶどう食べ終えて小さな枝残る鳥が咥えてきたような枝

○  ビニールに包まれ白き櫛があり使わずに去る朝のホテルを

○  支社の人叱りていたり電話から小きざみの息感じながらに

○  白菊の咲く路地をゆく傘ふたつ高低変えてすれちがいたり

○  手に置けば手を濡らしたり貝殻のなかに巻かれていた海の水

○  立ち読みをしているあいだ自転車にほそく積もりぬ二月の雪は

○  ゆらゆらと雪の入りゆく足もとの闇をまたぎて電車に乗りぬ

○  雨のあと光の沈む路をゆくムラサキシノブの枝は斜めに

○  向かいのビル壊されてゆく窓だったところに冬の雲がはいりぬ

○  基地の柵に押しつけらるる人影をネット画像に見たり 見るのみ

○  ほほえみが顔となりつつ原発の案内をする若き女人は

○  反対を続けている人のテントにて生ぬるき西瓜を食べて種吐く

○  原発をなおも信じる人の目には我は砂男のごとく映らむ

○  透明の傘にて顔を薄めつつ列に加わる秋雨のデモ

○  叫べども言葉刺さらず夕闇の四条通りを歩みゆきたり
        
○  権力はまざまざと酷くなりゆくを日なたの雀でしかない我は

○  言葉にせねばついに怒りとならざらむ桜の花の鱗なす道

○  耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花

○  見るほかに何もできない 青海に再稼働を待つ大飯おおい原発

○  何もできず、何もできねば座りたり黒き舗道にてのひらを置き

○  明日はまた仕事があるので帰ります 電気に満ちた街に帰ります

○  窓の下緑に輝るを拾いたりうちがわだけが死ぬコガネムシ

○  夕立のまえぶれの風吹ききたりアメンボは横に流されてゆく

○  半分に切られし虫がまだうごくように日常は続いておりぬ

○  お母さん、殺していいものをこの紙に書いてよ蟻とか団子虫とか

○  死出の山越えゆく兵を西行は見き どこにでも現るる山





トンコ節

2017年12月08日 | 我が歌ども
○  貴殿より拝領したる帯留の達磨大師の面壁余念    鳥羽省三

○  上も行く行く下も行くどうせ行くならの大仏長谷の大仏

○  あまりにも静かすぎたる里の秋 栗を似てます囲炉裏火をもて

○  酒は飲め飲め飲むならば日の本一ノ蔵特別純米酒

 

ああ貴乃花貴乃花

2017年12月07日 | 我が歌ども
○  貴乃花ああタカノハナ貴乃花たかが相撲じやないかもう止せ    鳥羽省三

○  貴乃花鼻持ちならぬ貴乃花 聞いて呆れる巡業部長

○  親方の理事長選の道連れにされて哀れな貴ノ岩関

○  理事長の夢も虚しく総スカン食うか食わぬか瀬戸際の今

○  このままじや関取衆がかわいそう貴景勝関次代のホープ

○  このままじやひくにひかれぬ貴乃花だんまり決めてばかり居られぬ

○  とは言えど人気稼業の相撲取りタニマチ頼みの現状を知れ

○  時により八百長相撲も面白いガチンコ勝負を誇るのは止せ

○  過ぎたるは及ばざるとふガチンコで引退早めた例もあるぞ

○  そもそもは大名抱えの花相撲スポーツとして観るのは野暮だ

○  そもそもは大名抱えの相撲取りスポーツマンとはまるきしちやうで

○  グラサンを掛けちやダメだよ貴乃花マフラーなどはもつてのほかだ

○  だんまりで棒に振るかよ理事長を時の流れを待つのだ今は

○  父仕込み伯父さん譲りの勝負師の名をぱ惜しまんファンの吾は

○  貴乃花嗚呼貴乃花貴乃花若さ頼みのああ貴乃花

穂村弘第一歌集『シンジケート』編(其の6)

2017年12月07日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
○  泣きながら試験管振れば紫の水透明に変わる六月

○  限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月

○  プードルの首根っ子押さえてトリミング種痘の痕なき肩よ八月

○  にされた眼鏡が砂浜で光の束をみている九月

○  錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月

○  水薬の表面張力ゆれやまず空に電線鳴る十一月

○  風の夜初めて火をみる猫の目の君がかぶりを振る十二月

穂村弘第一歌集『シンジケート』編(其の5)

2017年12月07日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
○  「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月

穂村弘第一歌集『シンジケート』編(其の4)

2017年12月06日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
○  郵便配達夫(メイルマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月

 今朝の四時過ぎ、我が家の新聞受けに突っ込まれた朝日新聞朝刊の記事に拠ると、「(我が国の郵便局の中の)集配局の8割は赤字」とのことであり、政府与党はそれを救済するために、「ゆうちょ銀行」及び「かんぽ生命」に「負担金」を支払わせるという新しい制度を検討している、とのことである。
 本作中の「郵便配達夫」即ち「メイルマン」こそは、その元凶、郵便局の局員であり、かつては、勤務時間中に煙草を吸っていたり、局舎の陽当りの良い庭に置かれたベンチで昼寝をしたりしていても、月々の給料の支払いが約束され、一年三度ものボーナスの支払いが確約されているばかりではなく、どんなに鈍間で無能で横着であっても、年功を経ると共に昇給が約束されているサラリーマン、即ち、泣いても笑っても〈笑いの止まらない国家公務員様〉であったのである。
 歌人・穂村弘の第一歌集『シンジケート』が上梓されたのは、今を去ること十七年前の1990年のことであり、その前前年に彼は、本作を含む連作「シンジケート」で以て角川短歌賞の次席に選ばれていますから、未だ無名の少壮歌人・穂村弘が本作を詠んだ当時は、当然のことながら、彼ら「メイルマン」たちは、厳然として国家公務員であったはずである。
 その国家公務員の郵便配達夫、即ち「メイルマン」にして斯かる怠慢極まりない行いを、私たち、日本国民は決して決して容認しておくわけにはいきません。
 本作の内容をかいつまんで説明すれば、「来客の到来を告げる玄関のブザーが猛々しく鳴り響いたので、私、ホムホムが玄関扉の裏側の覗き窓の凸レンズに目をやったところ、その向こう側に大きく膨らんで映っていたのは、彼の無芸大食の国家公務員のメイルマンだったであり、しかも、あろうことか、件のメイルマンは、仕事先のホムホム宅の玄関先で、何の
必要があってのことなのかは判然としませんが、自らの不潔極まりない頭髪を整えるべく、百均で買い求めたところのプラスチック製の櫛を使っての櫛使いをしていたのであり、その全貌が、扉の裏側から覗いているホムホムのどんぐり眼に映ってしまった」のである。
 かかる事態こそは、醜態も醜態、私たち消費者は、彼ら「メイルマン」のこうした怠慢行為を厳しく糾弾しなければなりません。
 しかも、かかる醜態が展開されたのが、日本全国津々浦々に、ホムホムの故郷の北海道の果てにさえまでも、ものの芽が膨らみ、梅・桜・藤・躑躅の花咲く「四月」であると聴くに及んでは!!!
 ところで、私・鳥羽省三が、初めて、我が国固有の文芸たる俳句(らしき十七音)を詠んだのは、今を去ること六十数年前の、小学校五年時のことでありました。
 その当時の私が在籍していた、北東北の片田舎の小学校に於いては、何の必要があってなのかは知りませんが、毎年四月の学期初めに、短歌・俳句のコンクールを行っていたのでありましたが、そのコンクールの俳句の部の一等賞に、何を隠そう、私の詠んだ拙い作品「あられ降る朝の路ゆく郵便夫」が、級友や上級生の作品など、他の投稿作品を圧して選抜されたのでありました。
 私、鳥羽省三には、あれから半世紀以上も過ぎた今になって、そのことを人様の前に曝して誇ろうとする気持ちは、さらさらにありませんが、この度、上掲の作品を鑑賞するに当たって、作中の語、「郵便配達夫(メイルマン) 」に関わって、我が身の犯した過去の恥ずかしい出来事を振り返ってみた次第ではありました。

穂村弘第一歌集『シンジケート』編(其の3)

2017年12月06日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
○  フーガさえぎってうしろより抱けば黒鍵に指紋光る三月     穂村弘

 何は扠て置いて、本作の作者・ホムホムこと穂村弘が、意外にも、伝統を守り、先輩歌人たちに対する礼儀を失しない男、つまりは、ただの律儀な人間であることを、まず真っ先に愛読者の方々に申し上げなければなりません。
 即ち、本作は、一首全体を〈ひらがな書き〉にすれば、「ふーがさえ/ぎつてうしろよ/りだけばこ/つけんにしもん/ひかるさんがつ」と言うことになり、紛れもなく、古典和歌以来の短歌の約束事である、(五七五七七のリズムはともかくとして)三十一音の定形の範囲に収まって作品なのである。
 それなのにも関わらず、私たち読者がこの定形短歌を音読した場合に感得するリズムは、「フーガさえぎって→うしろより抱けば→黒鍵に指紋光る→三月」、乃至は「フーガさえぎって→うしろより抱けば→黒鍵に指紋→光る三月」という四句仕立ての衝撃的なリズムなのである。
 こうした、〈句割れ・句跨り〉を縦横無尽に用いた手法は、彼の塚本邦雄以来の前衛短歌的手法であり、我が国伝統の古典和歌的手法やアララギ仕込みの近代短歌的手法とは真っ向から対立するものでありましょう。
 ところで、作中主体や私たち読者の目前の「黒鍵」に歴々として記された「指紋」こそは、あろうことか、本来ならば中世社会のキリスト教会で演奏されるべき音楽、敬虔なる宗教音楽たる「フーガ」を遮って、美しき女性(もしかしたら‘むくつけきおのこ’なのかも知れませんが?)を「うしろより抱」き締めるという、野蛮にして果敢なる行為、落花狼藉の蛮行に対して、天地を司る神様から与えられた劫罰のシンボル。即ち、アングロサクソン等の毛むくじゃらにして厚顔無恥な種族ならまだしも、生まれながらにして礼節を弁えるべき日本男児なら、決して決して犯してはならない行為を犯してしまったことに対する、天帝からの炎だつ折檻の徴なのでありましょう。
 であるが故にこそ、件の「指紋」は、煌々として「光る」存在なのであり、かかるが故にこそ、本作の作者・ホムホムにとっては、弥生「三月」という季節は、永遠に輝かしく「光る」季節であらなければならないのでありましょう。
 本作は、歌人・穂村弘氏作の〈傑作百選〉にも選抜せられるべき秀作として、文芸を愛する日本国民、なかんずく、短歌ファンの脳裏に末永く記憶せられることでありましょう。


「穂村弘第一歌集『シンジケート』編(其の2)

2017年12月04日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
○  九官鳥しゃべらぬ朝にダイレクトメール凍って届く二月     穂村弘

 いくらお喋りで律義者の「九官鳥」とは言え、口を引き裂かれようが、米沢牛の霜降り肉を一万トンも目の前に積まれようが、一年に一度や二度くらいは、「絶対にしゃべらないぞ!」「あの生意気なホムホム相手には、口が裂けてもしゃべってなんかやるもんか!」などと覚悟を決める場合がありますから、件の「九官鳥」の怠慢行為自体は決して責められません。 
 問題は、その朝に限って、「ダイレクトメール」が「凍って届」いたことである。
 作者のホムホムも、当然ご承知のことと思われますが、季節が「二月」ですから、ままあることではありますが、貴殿宛の「ダイレクトメール」が「凍って届」」いた責任は、一に媒介業者の郵便局もしくはクロネコヤマトにありましょう。
 だが、つい先日、耳にした話によりますと、昨今に於いては、ダイレクトメール代行業者なる、新手の中間媒介業者が業界に現れ出て、件の業者どもは、〈くろねこDМ便〉や〈Uメール〉などと結託して儲け仕事を企んでいる、とのことでありますから、事の責任の一端は、そこいら辺に存在するかも知れません。
 とは言え、悲憤慷慨の余り、見ず知らずの業者に手当たり次第にクレームをつけても逆襲されるかも知れませんから、事前に、よくよく調査して、事に当たらなければなりませんよ!
 再読してみるに、本作の趣旨は、ただ単に「二月という季節は、あのお喋りの九官鳥が口を閉じて黙る程にも、砂子屋書房からのダイレクトメールが固く凍って届く程にも厳寒の季節なのだ」と言いたいだけのことなのかもしれません。
 伝書鳩ならまだしも、南蛮渡来の九官鳥とダイレクトメールのミスマッチ的な取り合わせがホムホム的で面白い。

「穂村弘第一歌集『シンジケート』編(其の1)

2017年12月04日 | 〈近現代短歌集の鑑賞〉萬夜萬冊
○  停止中のエスカレーター降りるたび声たててふたり笑う一月   穂村弘

 歌い出しに「停止中のエスカレーター降りるたび」とあるが、そもそもの話をすれば、〈使って安心〉の三菱電機や日立製作所製造のそれにだろうが、彼の〈悪名高い〉シンドラー社製造のそれにだろうが、選りも選って、彼ら(もしくは、彼と彼女)「ふたり」が、一体全体、どんな理由で以て、「停止中」の「エスカレーター」なんぞに乗ってしまったのか、という点に就いて、評者の私としては、先ずを以ての問題としなければなりません。
 件の二人は、その時その場で、拠ん所ない事情があって慌てていたのかも知れません。
 だが、類い希なる理性を以て知られる評者の私としては、作中の三句目の末尾に用いられている、風体怪しい名詞「たび」の存在を無視して、この傑作の論評に係るわけには行きません。
 手元に在る国語辞典『新明解国語辞典』(第五版)の解説によりますと、「たび」とは、{ときは(いつも)」という意味で使われ、その用例としては「見るたび」と記されていますが、こうした我が国語の常用語・基礎的語とも言うべき語の使用に就いては、他人ならともかくとして、他ならぬ私の場合は、敢えて『新明解国語辞典』なんぞのお世話にならなくても宜しいのである。
 即ち、上掲の三句目の末尾の名詞「たび」が、「ときは(いつも)」という意味であり、「見るたび」などという表現に使うことが許されるならば、「乗るたび」「降りるたび」、或いは、「死ぬたび」「生きるたび」「セックスするたび」などという表現にも使うことが許されましょう。
 したがって、作中の「ふたり」は、「停止中のエスカレーター」に、一度ならぬ二度も三度も百度も千度も乗っていたのであり、乗ってはみたものの擦っても叩いても動くはずはありませんから、そのたびごとに、慌てて「降り」なければならないハメに陥っていたのでありましょう。
 私の生活周辺の出来事を見回してみても、そうしたことはままあることでありますから、そのこと自体はそれほど問題視しなければならないことではありません。
 だが、私が問題にしなければならないと思うのは、「停止中のエスカレーター」から慌てて「降り」てからの、彼ら「ふたり」の不届き極まりない態度なのである。
 何と驚いたことに、彼ら「ふたり」は、揃いも揃って、自分たち「ふたり」の不注意が原因で乗ってしまった「故障中のエスカレーター」から「降り」た後に、「声たてて笑う」などという、前代未聞の不届き千万の行為をしでかしてしまったんですよ。
 しかも、揃いも揃って「ふたり」してですよ!、しかも、年の初めの「一月」からですよ!
 かかる事態こそは、絶対に見過ごすことが出来ない行為。
 即ち、アベノミクス顔負けの破廉恥行為、重大な責任転嫁ではありませんか!
 私、鳥羽省三は、今後一切、彼ら「ふたり」を、なかんずく、その首謀者たるホムホムを人間として認めるわけには行きませんから、その点に就いては、本ブログの愛読者の方々も、宜しくご承知おき下さいませ!








「1970年代の日本テレビ系列の人気番組〈全日本歌謡選手権〉に於ける十人抜き歌手・飛柿マチカさん」のお孫さんからのコメントに寄せて

2017年11月16日 | ビーズのつぶやき
 私が下掲の記事「歌手・飛柿マチカさんの消息(noahさんからのコメントに寄せて)」を当ブログに記したのは、去る2011年4月16日のことでありました。
 その後、私は、健康上の事情やその他の諸々の事情に因って、当ブログの更新さえも思うままにならないような状態に追い込まれておりまして、、数多くの愛読者の方々からは、厳しくも温かいお叱りや激励を頂戴していた次第でありました。
 然るに、つい先日、大凡数ヶ月ぶりに当ブログのコメント欄を開いてみたところ、往年のクラブ歌手・飛柿マチカさんのお孫さんと称する方から、下掲の記事に関する大変有り難いコメントを頂戴致しておりましたことを知りましたので、この機会に、下掲の通り、同記事を再掲させていただきまして、飛柿マチカさんのお孫さんに御礼を申し上げたいと思います。


     歌手・飛柿マチカさんの消息(noahさんからのコメントに寄せて)
            2011年04月16日 | ビーズのつぶやき
 起き抜けに“コメント一覧”を開いたところ、“noah”さんと仰る方からの「幼馴染」というタイトルのコメントが寄せられていたにも関わらず、私の怠慢が原因で、昨日の午後から保留状態のままになっていたのに気がつきました、遅まきながらここに公開させていただきます。
 取り敢えずは、“noah”さんからのコメントを、原文のままに、此処に転載させていただき、その下に、“noah”さんが当該コメントを本ブログにお寄せになられた動機を為したと思われる拙文をも再録させていただき、併せてそれらについての私自身の感想を述べ、コメントの発信者“noah”さんへの謝辞とさせていただきます。

 
     「“noah”さんからのコメント」

 「幼馴染・・・ (noah)/2011-04-15 15:45:07/
 初めまして、/突然ですが・・・/あの飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手は・・・/小学校3年~4年生のときの、クラスメイトでした。/とっても、歌の上手い子でした。/お寿司屋さんの娘さんで、明朗活発な子でした。/中学、高校と、別々になってしまい、疎遠になってしまいましたが/大好きな友達でした。/池田市にまだ、実家があるのでしょうか?」


 
 「“noah”さんが、上掲のコメントをお寄せになられた発端となったと思われる拙文」

○  今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ   夏実麦太朗

 今から30年以上も前のことを回想しての作品でありましょうか?
 司会者が「今週の第一位は」と叫んだ後、思わせ振りにわざとらしい数秒の間隔を置き、そして再び「今週の第一位は“サン・トワ・マミー”を歌われた飛柿マチカさんでした」と叫ぶと、テレビ画面一杯に「太鼓」が「デデデデデデ」と鳴り響くのでありました。
 で、あの飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手は、一体、今頃、何処で何をして暮していらっしゃるのでありましょうか?
 数年前までは、クラブ歌手として、ジャズのスタンダードナンバーを歌って、人気を博していらっしゃるとお聴きして居りましたが、その後絶えて彼女に関する情報は耳にしません。
 彼女が“全日本歌謡選手権”という、その頃の人気番組の優勝者となったのは1970年代でありましょうか?
 同じ時期に、後年「雨雨降れ降れ、もっと降れ」と歌った、あの超有名女性歌手も亦、それと同じ番組の優勝者になったのでありました。
  〔返〕 「今週のブービー賞は菅改造内閣の与謝野大臣でした」と叫ぶ   鳥羽省三


    「上掲二項に関わる私の感想及び“noah”さんへのお礼の言葉」

 上掲の拙文を記したのは今年の1月15日のことでしたのに、その内容についてはすっかり忘れておりました。
 わずか三ヶ月前に綴ったばかりの文章の内容をすっかり忘れてしまうのですから、今の私にとっては、当ブログの更新を毎日行うことが、自分自身の果てし無い“老い”や“呆け”との戦いみたいなものなのかも知れません。
 発端は、昨年行われた「題詠2010」のお題「079:第」への夏実麦太朗さんのご投稿作でありました。
 夏実麦太朗さんの作品自体は、作者ご自身が格別にお力を注いでお詠みになったとも思われないような、ごく軽めの作品のようにお見受けしたのでありましたが、私としては、その題材について思い当たることがありましたので、鑑賞対象の作品とさせていただいた次第でありました。
 思うに、作者の夏実麦太朗さんは、私と同世代の男性なのでありましょうか、「今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ」という当該作品の題材となっているのは、1970年代の日本テレビ系列の人気番組「全日本歌謡選手権」のことかと思われます。
 「全日本歌謡選手権」とは、新人歌手発掘の為の“オーディション番組”の一つであり、見事十人勝ち抜きに成功し、その後、歌手としてデビューして名を成した人の名前を列挙すると、「五木ひろし(出場当時の芸名は三谷謙)・天童よしみ・八代亜紀・中条きよし・真木ひでと(GSのオックスの野口ヒデト)・山本譲二」などのそうそうたる有名歌手の名が上げられるし、十人勝ち抜きこそならなかったが、「井沢八郎・南こうせつ・青山ミチ・ウイリー沖山・林家パー子・芦屋小雁・石野真子・片平なぎさ」などの有名人も数多くの出場者の一人であったのでありました。
 拙文中の「今週の第一位は“サン・トワ・マミー”を歌われた飛柿マチカさんでした」という表現中の「飛柿マチカさん」も亦、見事十人勝ち抜きに成功した歌い手の一人でありましたが、このフレーズは、「今週の第一位は“リンゴ追分”を歌われた天道よしみさんでした」とか「今週の第一位は“ヨコハマたそがれ”を歌われた山本譲二さんでした」などとする手もあり、いろいろ迷いましたが、私は、その時その場の思いつきで、“天童よしみさん”や“山本譲二さん”を捨てて“飛柿マチカさん”を選んだ次第でありました。
 その時、その場の思いつきとは言え、後年名を成した有名歌手を選ばずに、敢えて無名に近い“飛柿マチカさん”を選んだ理由はそれなりに在るはずであり、それらの一端を上げると、私の記憶の中では、彼女が十人勝ち抜きに成功した時期が、後の国民的大歌手・八代亜紀さんが十人勝ち抜きに成功した時期と重なっていたこと、彼女の歌った曲目が、その番組の一般的な傾向とは大きく異なったジャズ・ポップス系であったこと。
 更にもう一つ言えば、八代亜紀さんとほぼ同世代と思われる彼女のイメージが、“全身これ演歌歌手”“ザ・芸能人”といった感じの八代亜紀さんとは明らかに異なり、やや影を帯びていて、決して華やかと言えるような顔では無いが何処かにバタ臭さも感じさせるような顔、もう少し言わせていただければ、そのバタ臭さの中に普通の主婦としても十分にやって行けるような可能性をも覗かせないでもないようなイメージ、ご結婚なさってご主人との間に出来た娘さん二人を大阪教育大学付属池田小学校に入学させて、ご自身はプラダのハンドバックの中にハイカラなスリッパ一足と化粧道具を入れて、一週間に三度もPTAマダムの会合にご出席なさっていても、少しも不思議でないようなイメージだったからでありましょうか?
 合格後一年ぐらい経過した頃、同じ番組のゲストとして、八代亜紀さんと一緒に彼女が出演していたことが、私の微かな記憶の中にあります。
 その頃の八代亜紀さんは、プロの演歌歌手として、その後の大活躍を予見させるような順調な歩みを見せていただけに、私は、彼女・飛柿マチカさんのその後の活躍振りに大いに期待しておりました。
 しかし乍ら、司会者の長沢純さんの質問に答えて、「八代亜紀さんとは違って、今の私は、クラブ歌手としてそれなりに充実した歌手活動をしています」などと答え、私をがっかりさせたようにも記憶しております。
 彼女についての記憶はそれまでであり、その後の彼女の消息については、私には皆目見当がつきませんでした。
 それなのに、夏実麦太朗さんのあの作品に接した瞬間、私の頭の中に彼女の記憶が突如甦ったのは、真に不思議なこととも申せましょう。
 そうそう、たった今、気がついたことですが、夏実麦太朗さん作の短歌の題材となったのは、私が本稿で採り上げている「全日本歌謡選手権」ではなく、同傾向の番組ながら、それより若い世代を出場対象とした「スター誕生!」、或いは、私の知らない全く別の番組であったのかも知れません。
 いや、「今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ」という表現内容から判断すると、夏実麦太朗さんの作品は、明らかに「全日本歌謡選手権」とは異なるテレビ番組から取材したものに違いありません。
 だとしたら、私がこれまで記して来た文章は、私の記憶違いに基づいて書かれた“砂上の楼閣”の如き文章ということになりましょうが、それはそれとして、以後、夏実麦太朗さん作の短歌とは関わりのないような関わりのあるような形で、歌手・飛柿マチカさんの消息に関わる本稿をこのまま書き続けさせていただきます。
 “noah”さんからのコメントに拠りますと、「飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手」と“noah”さんとは「小学校3年~4年生のときの、クラスメイトでした」とのことであり、また、その当時の飛柿マチカさんは、「とっても、歌の上手い子」で「お寿司屋さんの娘さんで、明朗活発な子」でしたが、彼女と“noah”さんとは、「中学、高校と、別々になってしまい、疎遠になってしまいました」が、“noah”さんにとっての彼女は「大好きな友達でした」とのことでもあり、「池田市にまだ、実家があるのでしょうか?」とのことでもあります。
 インターネットの検索窓に「飛柿マチカ」と入力して、検索ボタンを押してみると、彼女に関する情報が幾つか検索できます。
 その中でも特筆するべきことは、彼女が赤坂のクラブ「月世界」の専属歌手であったこと。また、テレビ東京系列の連続テレビドラマ『純愛山河・愛と誠』(池上季実子・夏夕介主演)に“デビ”という愛称のスケバンとしてレギュラー出演していたこと。ドーナツ版のシングルレコードを何枚か出したものの、あまり売れなかったように思われることなどである。
 だが、それらのいずれもが、「全日本歌謡選手権」に出場したから間も無くのことであり、最近の彼女に関する情報は、何ひとつ手に入らないのが実情である。
 ところで、今更こんなことを申すのも恥ずかしいのであるが、インターネットというものはなかなか興味深く、便利な通信手段である。
 一人の暇人が自分の管理するブログの中に書き流した、一首の短歌の鑑賞記事の中に、ほんの思いつきで、今となっては無名とも言うべき一人の女性歌手の名を書き記す。
 それは、ほんの気紛れの行為であり、書き記した当人にとっても、翌日になれば忘れてしまいそうにもなる行為に過ぎなかったのである。
 それなのにも関わらず、それから三ヶ月も過ぎた頃に、たまたまその記事を目にした一人の女性が、その無名の女性歌手が、かつての自分のクラスメイトであったことを思い出し、ブログの管理者に、その女性歌手と自分との関わりを説明したコメントを寄せるのである。
 かくして、ブログの管理者にとっては、消閑の道具の一つでしか無かったブログの記事が、俄然生きたものとして立ち上がり、意味のあるものとして立ち上がり、その命の輝きを増すのである。
 印刷媒体での作品発表とは異なった、インターネット媒体での作品発表の利点とは、こうした点に在るのではないでしょうか?
 インターネットの双方向性とは、こうした現象を指して謂うのではないでしょうか?
 “ノワ”さんとお読みするのでしょうか?
 “noah”さん、この度は大変ありがとうございました。
 フリーライターとは名ばかりで、その実情は、暇を持て余している年金生活者の一人でしかない私は、このブログの更新を毎日の生活の要として居りますが、グーグル社から寄せられる情報に拠ると、私のこの拙いブログにアクセスされる回数は、連日二千回余りに達し、読者と呼べるような方々も、五百人余りもいらっしゃるということであります。
 だが、その管理者たる私には、当記事の執筆者たる私には、何処の何方がどういうお気持ちで、私の書き殴った記事をお読みになって居られるのか、さっぱり見当がつきません。
 したがって、私の毎日のそうした営みは、まるで暗黒の曠野を独り歩きしているような空しく当ての無い行為に過ぎません。
 そうした折に、私が過去に書き流した記事に関しての真摯なるコメントに接することが出来たことは、何物にも替え難い楽しみであり、励ましともなりましょう。
 つきましては、今後とも何卒宜しくご愛読賜りたくお願い申し上げます。
 お暇がございましたら、またコメントをお寄せ下さい。

「小中英之歌集『過客』」の鑑賞

2017年11月04日 | 諸歌集鑑賞
   小中英之歌集『過客』より

芹つむを夢にとどめて黙ふかく疾みつつ春の過客なるべし

嗟嘆にはことわりあらず月明の連翹一株ひたすら黄なり

ランタナの花衰へてゆくときをいろ濃くなりし罪の匂いす

蘭を売る店には寄らず帰りしがわがひとりごと蘭花のごとし

佐美雄死後秋立つ朝の桔梗のふたたび咲きてつねより白し

ぎんなんの散らばりてゐん革命をいへば必ず広場のありて

いろいろと木の実を置きてながむればわが感情も銀河のごとし 

椿には椿のいのちくれなゐのふかきに耐えて孤独なりけり 

海よりのひびきあつめて咲くやうな椿に逢へば合掌したし

山茱萸の花明るくて相聞歌ふさはしき花水ぬるみたり

そのうちに来るものとしてよろこばん柊の花は死のにほひして

「角川『短歌』2017年9月号」より

2017年10月11日 | 古雑誌を読む
「第四八五回『角川歌壇・安田純生選』」より

○  老いの身はどぎまぎしますこんなにも医師看護師の愛想がよくて   徳島県・新井忠代

○  亡き父の二十の日記の片思ひ相手がははで母も安堵す   愛知県・池田あつ子

○  鶯の初鳴きよりもめずらしき子供の声に窓開けて見る   千葉県・藤井京子

○  物忘れを相談すれば医者笑う「前よりいいよ様子みましょう」   茨城県・小野瀬壽

○  これはおそらく夢なのだけど腹満たすためにもたもた小銭かぞえて   愛知県・江口美由紀

○  母詠みし短歌はたつた四十五首父亡き後の寂しさを詠む   栃木県・栗田準子

                    (以上六首・特選)

○  伊勢海老のような翁がオートバイにまたがり腰のぴんとのびたり   和歌山県・久保みどり

○  テレビ消しひねもすグータラしておればミサイル発射を夜まで知らず   愛知県・園部淳

○  自由とは孤独でもある父さんよ私は誰にも抱かれぬつもり   福岡県・大石聡美

○  瓜坊の先頭転べば二頭目はぶつかり三頭目は避けてゆく   長崎県・田中光子

○  球児らの気合の声に満開の桜も恐れ花びら散らす   埼玉県・小柳好弘

○  退職を水槽の亀に告げたれば頭もたげて息ひとつ吐く   大阪府・後藤明子

○  デイケアの壁いちめんに銀紙の鰯泳げり目刺しも泳ぐ   神奈川県・川辺一穂

○  稀に飲み妻は必ず「甘口ね」さうでなくても我は頷く   群馬県・熊澤峻

○  紫陽花はキレイに泣くと君は言うぐちゃぐちゃ顔の我に苦笑し  福岡県・西岡ともみ

○  房総のぽっくりぽっくりした山に淑女のごとく藤の花咲く   千葉県・川﨑富子

                    (以上十首・秀逸)      






































































むより

「角川『短歌』2017年9月号」より

2017年10月11日 | 古雑誌を読む
      命の授業(31首群作『どこまで行こう』より)    俵万智


○  軽トラの荷台にりてコケコケとまだ食べ物に見えぬ鶏たち

○  首斬られなおもバタバタ動く脚 命はどこにあるのか脚か

○  放血ののちの体をお湯につけ毛穴ゆるめる手順通りに

○  熱いうち羽根をむしればなんとなく見たことのある鶏肉となる

○  青ざめて胃の腑おさえる男の子 心豊かに今日は傷つけ

○  解体をすればよくある肉となる手羽先ささみムネモモレバー

○  大中小の黄身並びおり命とは順番ありて生まれ出るもの

○  火をおこし肉を焼くこと人類の一員として君たちを見る

○  子らは今そのあいさつの意味を知る命「いただきます」ということ

○  花粉持つ雄蕊ぷちぷちカットしてユリの去勢を終える水無月

○  楊貴妃と名づけられたるカクテルのあかねさすアスタキサンチンの赤

○  二度寝して見る夢甘し冷蔵庫のマンゴー今日は食べてしまおう

○  カニカマのアヒージョに「いいね」仙台と福井と石垣島の友だち