大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

四天王寺・西国巡礼三十三度行者満願供養塔

2019年12月08日 | 四天王寺
12月6日、祖母の50回忌で境内のイチョウが黄金色に輝く四天王寺へ。
お墓参りの後いつもの六時堂へ、なんと階段下に鎖が張られ入堂できません。聞いてみますと、「お身ぬぐいで午前中は閉鎖です、代わりに北鐘堂(写真下右)へお参りください」、と。

道理で、いつも込み合っている六時堂前には殆ど参詣者がいません、代わりにいつもより鐘の音がひっきりなく鳴っている北鐘堂へ入っていく人多数。
北鐘堂で回向を済ませて頂き、頂いた経木を亀井堂(写真下)で流します。
回向の際の読経の間、通常は木魚が叩かれますが、北鐘堂では鐘が撞かれました。また、亀井堂で経木を流すと極楽往生できるそうです。

北鐘堂
正式名、黄鐘楼。北の引導鐘・鐘つき堂とも呼ばれ春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえし、このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のための鐘の音が絶えません。
当堂の鐘は天井裏にあり、綱を引いてつく形式のため鐘は見ることができません。

境内の四天王寺学園校門横に立派な供養塔(約5mの巨大な宝篋印塔)があり、そばに説明板には西国巡礼三十三度行者満願供養塔とありました。
宝篋印塔・・塔の中に宝篋印陀羅尼経や法華経・舎利を納める仏塔。

西国巡礼三十三度行者満願供養塔
西国巡礼三十三度行者とは、大きな寺が支配する特定の会所に属し、その支配を受けることで、自由に移動し巡礼を続ける特権を得た人々のことで、その人は1年に3回ずつ、本物の西国三十三箇所観音霊場を巡礼し、11年これを繰り返して合計33度の巡礼を行った。女性の行者もおり、尼三度などと呼ばれた。

江戸時代には、人々は自由に移動することが禁止されていたが、ある程度自由に旅行のできた行者に対し人々は願いを托し全国の霊場を巡ってもらっていた。
この供養塔は、住吉神社の近くにあった西の坊というお寺が組織した住吉組の真道という行者の巡礼を記念した文久2年(1862年)のもの。大阪市有形民俗文化財。

私達も西国33か所巡礼を数年かけて1回巡りましたが、それを年に3回11年続けられた行者の存在を今回知り、人々の願いを叶えるという責任感や信仰の深さに心から敬意を表したく思いました。


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