れいわ新選組が醸している違和感はこれまでの国会の常識によるものだ。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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れいわ新撰組で当選したのは、最大の得票をした党代表である山本太郎ではなく、特定枠といわれる優先的に当選する枠の候補であった重度の障碍者2人の候補であった。その二人が当選後に行われる臨時国会において、物議をかもしている。どうやって登院するのかということである。これまでに施されてきたバリアフリーとは比較にならないぐらいにハードルの高い対応が必要であり、それが国権の最高機関である国会・参議院が行うことができるのか、試されている。国会議員が国会議員として活躍できる環境を整えなければ、議会の役割を果たせないはずなので、できうる限りの対応は求められるだろう。それでもできない部分は、特例として対応することが必要だが、姿勢としては国会議員の活動をいかにサポートするかというところであろう。被選挙権が国民に保証されている限りその対応を考えなければならないのである。

 

かなり過激なやり方には違いない。ただ、それを考えているといつまでも実現しなかったということではあるだろう。何も準備ができていない状況では実際はいろいろな不便を強要することになるだろうが、それが問題を明らかにしてそれに対する対応の必要性を訴えていくことになることは間違いない。

 

党首である山本太郎氏は、国会議員の身分を喪失し国会の外での言論活動に励むことになる。国会議員ではないが党首には違いない。また、れいわ新選組は政党要件を満たしていることもあり、メディアも慣例に従って無視するわけにはいかないという状況は、れいわの選挙戦略通りの状況となった。これまでは無視されていたメディアでの露出の突破口を得たといってもいいだろう。ただ、既存のメディアは当人を呼びたくない気が満々であり、テレ朝の番組を除けば出演している話を聞いていない。

 

これまでのように、各地の街頭での辻説法スタイルもつづけていくのだろうか。

いずれにしても、政党となったれいわ新選組は、メディアの露出の機会をとらえて、支持者を拡大する方針で行くことになるだろう。コアな支持者から、はやり物付きのB層の一部まで支持を広げられるかがポイントである。今回のこれまでの政治常識からすれば、過激ともいえる候補順位の決め方も、存在に気が付かせて、本来訴えたい経済問題(消費税廃止や財政出動の話)を浸透させようとすることが期待される。そこがうまくいくかが今後の党は拡大の肝となってくるだろう。

 

次の国政選挙は衆議院選挙である。どういうタイミングで解散されるかという問題があるが、短期から中期の可能性を考えながら対応していかなければならないだろう。既存の野党のように、解散してほしくないオーラを出して選挙に臨むのでは、勢力が削られる方向にしか働かないだろう。これまで政治をあきらめて結果として、与党政治の継続を消極的に支援している棄権者たちが投票に行きたくなるような訴えができるかということがポイントとなってくる。無駄遣い嫌い、貧困ルサンチマンの塊となっている多くの棄権者に向かってどのような政策を訴えられるかは興味深いところである。

 

政治には利権がつきものであるが、我々が放棄してきた、様々な土着共同体の利権を捨ててきたことによる、国の屋台骨を支える利権がなくなってしまったことが日本の衰退の原因であることを思い出す必要がある。今は利権がないといえばウソで、輸出企業、外資、アメリカに対する利権が横行しているのである。庶民はそれか目をそらされているだけである。日本国内に利権を取り戻す政策を期待したい。それによって、我々がいつ暗黒面に落とされるという心配をすることなく、仕事をしてまともな給料がもらえるような道が開けるのである。