技術投資、一つ一つはよいものでも、大きな流れを変えていくこと、その意思が大切である。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

ずるずると道・郷・話を愛でる

房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

 

離れていたことからふと訪れた幸せの空間は見事に歪んでいた。それを受け入れるか逃げ出すか、現実を意識しすぎて壊れてしまうか。とんがって、ゆがんでいるとうまくバランスをとれないのかもしれないが、それは一人でやろうとするからかもしれない。多くの人を巻き込んでいけば、なんやかんやとバランスをとれてしまうということもある…かもしれない。(やはり俺の青春ラブコメは間違っている。完)

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200926/k10012635921000.html

 

 

 

素晴らしいことである。個別にモノを見れば・・・ということであるが。しかし全体と見れば、これが目立ってしまうほどに政府が国家レベルで支援したりするものがたいしたものがないという事であったりするのであるから、その状況に絶望するという機会にしかならないのが問題であろう。科学技術の発展が国力の成長に直結しているということを意識しているかどうかが、米国や中国との違いということかもしれない。この違いは、なんとなく「当たり前」だと受け入れている自分も含む多くの国民がいるわけであるが、その認識が本当に「常識的」なのかどうか、今一度20年前の中国と日本のポジションを思い起こしてみればよいだろう。

 

20年前は、親の世代の人もいるかもしれないが、いわゆる現役世代においては、若いころから中年に変わったというぐらいでつながった時代なのである。そのようなつながった時間を巻き戻しただけで、中国を下に見ることができた時代から、全く届かないと思ってしまうぐらいの存在になってしまったことを、よくよく考えて見なければならないのである。要するにこの関係が決して質善ではなかったことを意味するのである。

 

このブログで政治経済関係で述べている意見として変わらない土台となっているところであるが、政府が国内に投資をしなくなっているということが大きな原因である。それから派生することは、民間企業も国内に投資されない環境でカネを儲けるという本能を発揮して、さらに追い打ちをかけるように、国境に関する規制緩和を政府が行ったことから、すべてが外国を向いた活動に拍車をかけている。当然、国内の経済活動を十分に大きい経済規模があるがあるにはあるが、未来のとらえ方として、それにかかわるものは、「縮小」という前提でものを考えてしまう。金儲けの観点で、いかに手を抜いて、外から出来合いなものを取り入れるという考え方にシフトしていく。もともと、国民が営業相手であったはずの観光業も、中国をはじめとする外国人に来てもらえれば何とかなるという、よくよく考えてみれば、まったく部がよくないやり方にシフトしていたりするのだ。輸出産業に関しては、その考え方がもっと顕著である。技術を持続力の源泉とする製造業でさえも、その源泉を国内の組織から米中に頼り切るという中身をからにする・・すなわち、あえてこの言葉を使えば「ゾンビ」状態になるのである。

 

基本的な日本の未来について、継続して発展していくという「物語」を放棄し続けた結果が今起こっていることであり、技術の垂れ流しであり、外資にあらゆるものをとられていくことを放置している状態である。そして、今回の政府の技術投資も大きな技術投資の流れの中ではなく、ほとんど単発の1つにしか見えない。それはまるで、最終的には外資や外国に貢ぐための供物をちょっと作っているだけのようにしか見えない。作っても最終的に召し上げられることを「ヨシ」と思ってしまっていることから、そういうことになってしまう。要するに、大きな流れを変えていかなければ、細かい良いことも、まったく良いことにつながっていかないのである。