八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

☆☆コロナウイルス禍と「池ビズ」講座の変更のお知らせです!☆☆

2020-04-20 14:44:31 | 思うこと、考えること!
 歴史をふりかえると人類は何度も、疫病に苦しんできました。
 しかし科学が進んだはずの21世紀も20年が過ぎたこの時期のコロナウイルスのもたらした禍。いままさに、まさかと思う大惨事が人類を覆っているわけです。
 この厄災についての原因からそれへの対応、そして独裁体制がいいのか民主的体制がいいのかといったありようについては、のちのち検証されることだと思いますが、それまでわが身が安全であるのか。不安と恐怖に憤りを感じているのが現実だと思います。
 もしかして人類は、気候変動しかり、遺伝子組み換えしかり、クローンや人工頭脳に至るまで、すべてが利便性と富を生み出だけの「科学」の一側面に目がくらみ、途方もない錯誤や瑕疵を生んでしまったのではないか。あるいは、あまりにもわれわれは、無頓着で無邪気にも開発と破壊を重ね、自己と少しばかりの係累との閉域に閉じこもり、動植物や微生物が主人公である〝自然界〟を痛めつけてきたのではないのか。

 いずれにせよ、いまコロナ禍で苦しんでいる方々。病魔の前線で身を削って対応している医療関係の方々。さらに仕事や職を失い、やりがいを失い、わたしをも含めて収入が途絶えた人びと。医療が進まず、ウイルス禍が野放し状態となっているアフリカ諸国や南米諸国の人びと。都会で人知れず罹患して死を受け入れざる状況になっている人びと。いまを生き延びていくしかない寄る辺のない人びと。そうした人びとの前に立ち塞がる「格差」の現実、くわえて権威と見せかけだけの政治権力・・・。そうしたすべての現実の前で、いまなにをすべきか。
 まずはその悲哀と貧困、困難を心に刻み、ひたすら頭を垂れて、そうした人びとの苦痛と慟哭の声を聞くしかないのかもしれません。
 むろん、薄っぺらな政治家や著名人と自惚れている者たち、芸能人がするように、やたらとSNSで発信し、自己顕示欲を高め、怒号と批判、中傷と焦燥を爆発させることはしたくはない。そうした品性には与しない。
 まずは沈黙と落ち着きを、しっかりと身に纏うこと。
 いま求められているのは、そうした過剰に蔓延する空虚な言説に、不安を募らせたり快哉をあげたりすることではないでしょう。とにかく自分自身いまどうあるべきか、そしていま、そして生き延びたあとで、何を語り、何をすべきなのかを練っていくべきときかと思います。
 もちろん口先だけの言説を弄する政治権力やその周りを取り巻く子どもじみた官僚の姿は、しっかりと見詰め、記憶に留めるなかで、抗う怒りとともに未来に生かす「精神の種子」を、いまはできるかぎり育てていくしかない。わたし自身は、そんなふうに考えています。

 それはさておき、2020年の夏学季講座について、お知らせいたします。
 こんな時代だからこそ、なんとしても今年の講座は実施したいと努力を重ねています。ただし、会場である「池ビズ」(としま産業振興プラザ)が、5月6日まで閉鎖となり、その後の目処もはっきりせず、そのため講座日程をたてること自体が、厳しくなりました。
 そこで、夏学季は『時代に杭を打つ!partⅢ』だけを開講し、『哀しみの系譜』は、秋学季以降に設置すると決断をしました。

 『時代に杭を打つ!partⅢ』の講座日時については、下記にフライヤーを添付しておきますが、会場の関係もあり、先に延ばして、初講日は5月24日(日)午前10時からとし、たいへんタイトな日程となりますが、初講日のほか、5月が31日(日)、6月は14日(日)、21日(日)、28日(日)、ここまではすべて午前10時開講です。そして7月12日(日)を第六講・最終講として、この日だけは午後13時開講と変更させていただきました。
 7月分までの会場はすべて、池ビズ第三会議室で開講するよう押さえております。

 講座の内容については、できるだけ受講するみなさんとの対話を考え、テーマとしては戦後日本の〝困難〟を自覚した思想家・文学者6名の事跡を通じて、いかにわれわれの住むこの国が、危うげで拙いものであったのか。コロナ禍のなか、いまこそこの国の現実を見返すという内容にしたいと考えています。

 日本の近代をながめると、福澤諭吉の言葉で「一生を二世の如く」生きた時代が二回ありました。ひとつは明治維新を一期として、それ以前とそれ以降。もう一つは1945年の敗戦を一期として、それ以前とそれ以降でした。
 明治維新のことはいつか触れるとして、1945年の敗戦を期に、比喩としてカーキ色の国防服を身に纏っての超軍国主義体制の時代とお仕着せの体格に合わない背広を着だし、外からやって来た民主主義を享受した時代と、このころの日本人は、まさに「二世」を生きたと言えます。
 しかし、昭和天皇が象徴するように、戦前まで軍服姿で、膨大な人びとを死に追いやる戦争を、仮に〝傀儡〟だとしても行った人物が、戦後は平和の象徴の如く背広姿で現れ、戦前のありようを無かったかのようにした虚偽性は、戦前は参謀本部詰めのエリート軍人、戦後は戦略産業商社の取締役幹部。戦前は有無を言わせない軍国主義者であり強圧的だった教師、戦後は組合活動に奔走し民主主義を体現したかのような教師。戦前は軍国主義・天皇主義のイデオローグ、戦後は反体制・共産主義のイデオローグとなった思想家と変わることのない、まったく同じ質の〝罪責〟そのものだったのではないのか。
 そしてそれは、ほかの多くの「二世」を生きた人びとに、「戦前」をあたかも無かったものとして、その歴史性の否定を強要したことで「歴史という根」を失わせ、「戦後」そのもの自体の虚妄を生み、同時に歴史の事実や真実に対しての後ろめたさをおぼえさせることではなかったか。
 その結果、戦後を生きる人びとは、その後ろめたさを隠蔽あるいは粉飾、忘れ去るために、東西冷戦の奇禍を好景気に変換させ、経済、いわば金儲け奔走し、自ら「経済大国」だと嘯いて納得させるしかなかったのではないのか。そう考えていくなら、わたしたちのいまにつながる「戦後」は、いったい何だったのか。あたかも根の腐った土壌のうえの禍々しい花畑だったのではないか。それを踏まえ、本講座では、そういった課題性を中心において、考えていきたいと思っています。

 とはいうものの、コロナウイルス禍のなか、講座をはたして開講できるか。それ自体、おぼつかないのですが、かねてお知らせしたように、じゅうぶんな「ソーシャルデスタンスsocial distance」が取れる広い会場をご用意しています。まずは5月24日から無事に講座がはじめられますことを、願っているしだいです。
 また講座日程がタイトですので、一回での参加もできます。ぜひ、ご参加ください。「三密」を防ぎつつ、みなさんが講座に参加できますことを願っています。



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