太極拳の本質

「太極拳の本質を知りたいのです!」と、公園で、あるオバサマに言われて、えらい難しいこと言わはるなあーと思ったのです。

オバサマ、公園に集まる他の人達よりは、多少センスがある感じで、推手もちょこっとやられるのですが、ちょっと自意識過剰なところがあって、「私は他の人達とは違うのよ!」という雰囲気を、なんとなく醸し出しております。

まあ、私自身もそんなところはあるので、同類だと思われたのかも。

太極拳の本質ってなんでしょう?

オバサマには、「がんばって見つけてください」と心のなかで答えていたのですが、自分なりに考えてみました。

武術であるとか、自然と一致した生き方だとか、太極門という生活様式の一部であるとか、いろいろな説明の仕方があると思いますが、私は「元気で長生き、死ぬまで勉強、みんな仲良く、心安らかに。」かなあ、と思い至りました。

もちろん太極拳は武術であり、護身術であるとは考えており、そのつもりで修行しておりますが、最近、年配の友人に教えるようになってから、若干考え方が変わりました。

武術っぽいやり取りを楽しむという要素は伝えていますが、友人は、年齢的にも、練習の質、量的にも、武術、護身術として使えるまでに至るのは、厳しかろうと思うのです。

そんなわけで友人にとっての第一目的は、健康かな、というように思ってきました。

その方、もういい年になってきて、腰やら脚やら痛い、階段を登るのがしんどいと言っていたのが、太極拳を始めてから、すっかり軽々動けるようになったと言われてます。そう言ってもらえると、教え始めてよかったな、と思います。

まだ、準備体操と基本功、套路は最初の単鞭のところまでをまだ覚えられてなくて、このペースだと、一路を通せるようになるまで3年はかかるなあ、というかんじですが、ずーっと新しいことを学べる楽しみが残っているわけで、生涯学習にもなりますね。

私自身、もう30年近く太極拳をやってますが、この頃は伝人の先生方から教わるようになって、新しい学びや、新発見ばかりです。

同時に、わかっていない人の誤魔化しや、デタラメも見えてきました。

やっぱり正しいことは「伝人」からでないと、教わるのは難しいような気もします。

「伝人」と、そんじょそこらの先生の言うことは、まるきり違います。そこらへんの先生の教えが、てんでデタラメではないとしても、奥深さや細かさは違うし、何よりの違いは、伝人の先生は、実演してくれるということです。

(この世界、「俺はできないけど、こうだ!」みたいな講釈垂れが多いように思います。)

そんなわけで、一生かけて正しく学べる喜びも太極拳の魅力だなあと思います。

で、みんな仲良く。

武術として学ぼうとしている人の中には、どうも、優劣を意識したり、正しいとか間違っているということに妙にこだわったり、ピラミッドの下の方で足の引っ張り合いをしているような人を見かけます。

正しいとか間違っているというのは、本当はあるとは思うのですが、話を聞いていたら、それ、どっちも違うよなあーということも多いです。私は聞かれてもいないのに、いちいち指摘したりはしないですけど、自己主張の強い人は多いです。

エラソーにして、敵を作ってはいけませんね。

太極拳は、自己主張しないで、己を捨て人に従うのが得策です。素直に学んで修行を積むのが良いです。

最上の護身術は敵を作らないことでしょうから、みんな仲良く。敵がいなければ、心安らかです。謙虚でいたいものです。

また、武術の動作ができるほどに至らなくとも、心構えを身につけて、危険察知、危機管理、事前準備ができておれば、心安らかに、自信を持って生きていけると思います。

身一つの一文無しになっても、健康な心身がのこっておれば、希望ももてますし。

というわけで、「元気で長生き、死ぬまで勉強、みんな仲良く、心安らかに。」を、当面の太極拳の本質だと考えようと思います。

また変わっていくかもしれません。

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