(好きな作曲家100選 その20 ハインリヒ・シュッツ) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第20回である。

 

 

前回の第19回では、16~17世紀の前期バロックのイタリアの作曲家、ジローラモ・フレスコバルディのことを書いた。

これまでイタリアとフランスを中心に、イギリス、スペイン、オランダと各国の作曲家を取り上げてきた。

今回は、これまで一度も取り上げてこなかったドイツの作曲家を、ついに取り上げることにしたい。

ドイツ前期バロックの巨匠、ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)である。

 

 

ドイツでは、ロマネスク期の世俗歌集「カルミナ・ブラーナ」に始まり、ゴシック期には吟遊詩人ミンネゼンガーたちの歌(その記事はこちら)、ルネサンス期にはハンス・ザックス(1494-1576)ら職人歌手マイスタージンガーたちの歌が栄えたものの、ヨーロッパ音楽をリードするフランスやイタリアに比べると長らく後れを取ってきた。

それが後には、J.S.バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、リスト、ヴァーグナー、ブルックナー、ブラームス、マーラー、R.シュトラウスといった歴々を見て分かるように、クラシック音楽の大半をドイツ音楽が占めるようになる。

この華々しい系譜の最初の人が、シュッツだった。

 

 

ドイツ中部テューリンゲン州ケストリッツに生まれた彼は、若い頃から音楽の才能を見出され、10歳代にはヘッセン州カッセルの教会学校の歌手として活動した。

20歳代には奨学金を得てヴェネツィアに留学し、ジョヴァンニ・ガブリエリ(1554/57-1612)の弟子となった。

留学の成果としてマドリガーレ集第1巻(1611)を作曲したが、これを聴くと彼が音楽の先進国イタリアの技法を十全に会得したことが分かる。

 

 

30歳代にはドレスデン宮廷楽団(現在のシュターツカペレ・ドレスデン)の楽長に就任し、以後亡くなるまでこの職務を全うする。

「ダヴィデ詩篇歌集」(1619)や「イエス・キリスト復活の物語」(1623)を作曲し、イタリアの技法に立脚しながらもドイツらしい重厚な味わいを出す彼のスタイルを確立した。

この頃に始まった三十年戦争によって、彼は以後長らく楽団の維持のために苦労することとなるが、創作の筆は充実していた。

 

 

聖歌集(1625)、ベッカー詩篇歌集(1928)、シンフォニア・サクラ第1集(1629)を書いた40歳代には、ヴェネツィアを再訪しクラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)(その記事はこちら)に会って、20年前の留学時代からまた変化したイタリアの新しい音楽を吸収した。

そして50歳代には「音楽による葬儀」(別名ドイツ・レクイエム、1636)、小宗教コンチェルト第1、2集(1636/39)、60歳代には「十字架上のキリストの7つの言葉」(1645)、シンフォニア・サクラ第2、3集(1647/50)、宗教的合唱曲集(1648)といった中期の傑作群を次々と書いた。

 

 

長く苦しめられた三十年戦争がやっと終結するも、70歳時には娘が逝去してしまう。

孤独な彼は、12の宗教的歌曲集(1657)、「イエス・キリスト降誕の物語」(別名クリスマス・オラトリオ、1664)を書いた70歳代を経て、枯淡の境地に入りゆく。

最晩年の80歳代、彼は同時代の華やかな中期バロック音楽には一瞥もくれず、ルカ・ヨハネ・マタイの3つの受難曲(1665/66)、「白鳥の歌」(1671)において独自の澄んだ音楽を書いた。

1672年、彼は87歳で生涯を閉じた。

 

 

 

 

「マタイ受難曲」より導入(Introitus)(なお全曲聴くにはこちら、YouTubeページに飛ばない場合はhttps://www.youtube.com/watch?v=NJ1o-bXPnEg&list=PLq7MWRGJO0XyvFWOgG6Nb5CFZGz8y6SaAのURLへ)。

中期の「音楽による葬儀」や「十字架上のキリストの7つの言葉」といった曲のほうがシュッツの多声書法の妙が分かりやすいが、ここでは彼が最晩年に到達した境地として、あえてこの曲を選びたい。

バッハの「マタイ」のような劇的な効果のない、無伴奏歌唱によるひたすら渋い音楽。

墨絵にもたとえるべきモノクロームの世界は、宗教音楽の本来の姿を私たちに示してくれるかのようである。

 

 

専ら宗教声楽曲を残したシュッツだが(1627年の彼のオペラ「ダフネ」は現存しない)、それらはいずれも当時の他国の最良の音楽家たちに劣らぬ傑作となっており、彼はドイツにおける最初の真の音楽の巨匠と呼ばれるにふさわしい。

彼が長い生涯をかけて追求した宗教声楽曲の様式は、同時代の南北ドイツ・オルガン楽派(その記事はこちらこちら)の器楽曲の様式と並んで、彼のちょうど100年後に生まれたJ.S.バッハへ至るドイツ・バロック音楽の基礎を築いた。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1~10のまとめ 1500年以前

11. ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ

12. オルランド・ディ・ラッソ

13. ウィリアム・バード

14. トマス・ルイス・デ・ビクトリア

15. ヤコポ・ペーリ

16. ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク

17. カルロ・ジェズアルド

18. クラウディオ・モンテヴェルディ

19. ジローラモ・フレスコバルディ

 

 


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