今回も俳句のお話です。

 

 

暮れてなお命の限り蝉時雨

 

 

この句は、11月29日に亡くなった中曽根康弘氏の作品です。夏の宵に、濃くなる闇と暑気に抗うような蝉時雨が聞こえて来そうです。心にしみます。写生本位のホトトギス俳句とは異なりますが、「命の限り」が効いていますね。自分の心と向き合い、自己流ながら俳句で研鑽を積んできた人の作品だと思います。

 

 

中曽根氏の首相在任期間(1982年~87年)は、私の学生時代と重なります。反権力志向がもっとも強かった時期ですので、その頃権力の中枢にいた中曽根氏に、よい印象があるはずもありません。防衛費GNP1%枠を撤廃し、靖国に公式参拝した「ナチソネ」であり、ロッキード事件、リクリート事件、佐川急便事件に関与し、「塀の上」を歩いてきたダーティーな政治家でした。「不沈空母発言」や「知的水準発言」など問題発言も多かった。私にとって中曽根氏は、戦後の宰相の悪しき面を象徴する存在でした。

 

 

しかし、この句を知って印象が変わりました。絡まっていた悪感情の糸が少しほぐれたのです。これも俳句の力でしょうか。

 

 

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中曽根氏の俳句には次のような作品があります。

 

 

つつましく 老ゆる心に 梅の花

*2007年2月11日の結婚記念日に

 

頼みあう 夫婦となりて 年のくれ 

*先だった蔦子夫人のお棺に入れた句

 

埋もれ火は 赫く冴えたる ままにして

*97歳のときに

 

 

雲の峰 鶯かしこ 我はここ

雨だれを 心音ときく 夜長かな

鯉一念 沈みたるまま 動かざる

したたかと いわれて久し 栗をむく

俗論は 潮騒のごと 雲の峰

 

 

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梅原猛氏

 

 

哲学者の梅原猛氏といえば、「九条の会」の呼びかけ人の一人であり護憲主義者として知られています。靖国神社への公式参拝にも反対していました。中曽根氏と政治的な主張は大きく異なりますが、梅原猛氏は中曽根氏の俳句をほめていました。

 

 

「政治と哲学」(PHP研究所)でこう言っています。「私は中曽根さんの俳句を評価していますが、なぜかというと、わび、もののあわれなどというものとは非常に遠い俳句で、そのことを面白く思うからです。王者の俳句なのですよ。政治家の益荒男ぶりが表現されている。益荒男の和歌というのはあるけれど、益荒男ぶりの俳句というのは、私ははじめてだ。」

 

 

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「暮れてなお」や「鯉一念」の句には、「何を言われようが心の命じるままに」という気概が込められています。こうした、およそ俳句とは縁遠い意思表明をしながら俳句として成立しているところに中曽根氏の作品のユニークさがあります。梅原氏がいう「益荒男ぶり」とは、そういうことでしょう。

 

 

もっとも、中曽根氏には、こうした俳句を発表することで「政界の風見鶏」といわれた印象を払拭する狙いがあったのかもしれません。しかし、俳句というのは小手先では、なかなかうまく作れないものです。少なくとも現宰相には、このような句は作れないでしょう。

 

 

中曽根氏のことを「生涯一書生」と呼んだ人がいました。同様に「生涯一書生」を目指す私としては、中曽根氏の句境に感嘆を禁じえません。