奈良県人の私が最近よく聞かれることがあります。

「奈良公園のシカ、大丈夫?」

コロナ禍による緊急事態宣言の発令で、奈良公園の人出は9割減ともいわれます。観光客が減って、鹿せんべいをもらえなくなり、シカたちが飢えているのではないかと気にかけてくれるのです。

 

心配無用です。シカは元気です。

飢えてもいませんし、人を襲ったりしていません。初夏の木陰でのんびりしています。

5月から7月上旬は出産シーズンです。先日、今年最初のバンビが誕生しました。

 

今年生まれたバンビ(奈良公園の鹿苑で)

 

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現在の奈良公園は、インバウンドで賑わっていたほんの数か月前と比べると、隔世の感があります。東大寺参道、興福寺周辺にはまばらに観光客がいますが、春日大社の参道にいたっては、出会うのは、シカとランナー、散歩をする年配の夫婦くらいで、前を向いても後ろを向いてもシカしかいない、ということもありました。

 

 がらがらの春日大社駐車場

 

県庁前の歩道などで鹿せんべいの販売所は健在ですが、せんべいを与える人はめっきり減ったので、シカがお腹をすかして、観光客を見れば追いかけてくると思われているようです。でも、むしろ、コロナの前と比べて欲がなくなった。あまり寄ってこないのです。

 

 

鹿せんべいは嗜好品にすぎません。「なければ、なくても」と達観しているようです。シカは賢く、食べ物をくれそうな人にしか近づきません。そうした人がたくさんいる環境では、感覚が常に刺激されて、せんべいに対する執着が高まります。今は、くれる人がいないので、「せんべい依存」も起こらないのでしょう。観光客が少ない環境が、「ニューノーマル」になっているのです。

 

 

コロナ以前は、シカとの接し方を知らない観光客らの増加で、かまれたり、頭突きをされたりする事故が増えていました。バンビを触ると母シカは怒りますし、発情期の雄シカに近づいてはいけません。シカの立場になると、今は厄介者がいなくなって平穏に暮らせるという面があるのです。

 

 

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鹿せんべいは「おやつ」です。人間にとって、ポテトチップスみたいなものです。奈良公園のシカはせんべいで栄養を取っているというのは、まったくの誤解です。

 

 

主食は公園の地面に生えているノシバです。これが全体の36%。首を垂れてシバを食んでいる姿をよく見かけますね。次に多いのが葉っぱ。生葉と落葉を合せて35%ほど。以前、このブログでも書きましたが、奈良公園の木には「ディアライン」があります。シカたちが背伸びして葉や枝を食べてしまうので、枝葉の底がきれいにそろうのです。ドングリも好きですよ。愛護協会では、鹿苑で与えるドングリの寄付を募っています。

 

 

奈良公園の鹿の食性分析

https://naradeer.com

 

シカは一日にノシバなど5キロほど食べます。鹿せんべいは一枚3グラムほど。せんべいを2000枚くらい食べないとやっていけない。普段でも、そんなにせんべいをもらえません。年に2000万枚(1束10枚、200円)ほど売れますが、奈良公園のシカは19年度で1388頭もいますので、よくもらえて一日50枚ほどです。せんべいは、米ぬかと小麦粉で作られているので栄養素も不十分なのです。主食を食べる合間に、おやつが欲しくなってねだる。私たちと同じですね。

 

 

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鹿せんべいを食べられなくても大丈夫なのですが、シカの食べる植物が公園内に十分かといえば、そうは言えません。1頭につき日5㌔ほど食べるので、毎日何トンもの植物が要ります。慢性的な栄養不足状態だ、との指摘もあります。食べ物をもとめて山を越え、街に出て、農作物や庭木を食べて人間とトラブルになります。

 

 

公園内の生態系では、シカにとって困った現象も起きています。シバがあったところが裸地化する一方、シカが食べないナンキンハゼやワラビ、アセビなどが増えています。シカの「被食圧」が強すぎるのですね。天敵のいるところで生物は減り、天敵のいないところで繁殖するのは、自然の摂理です。シカを守るには、シカが食べる植物も守っていかなくてはならないのです。

 

 落ち葉を食べるシカ

 

コロナの奈良公園への影響としては、別の心配があります。せんべいの売り上げが減って、5つある製造業者の経営が苦しくなること、「奈良の鹿愛護会」の収入がダウンし、保護活動に影響が出ることです。愛護会は、けがをしたシカや、出産前のシカを鹿苑に保護しています。せんべいを束ねている証紙は、愛護会が発行しているもので、貴重な収入です。年間1億円ほどの事業収入の4割くらいを占めるともいわれています。

 

 

鹿せんべいは、人とシカをつなぐツールのような側面もありました。コロナ禍は、人とシカとのかかわりを見つめ直す機会にもなっているのです。