益田岩船

 

 

緊急事態宣言が発令されている間は、電車に乗って繁華な場所には行けないので、かみさんとひたすら近所を歩きました。すると、あるんですね、隠れた名所が。奈良はほんとに奥が深い。なにしろ2000年分くらいの文化的な人の営みが土地に刻まれていますので、1キロも歩けば、「へー」「ほー」「わー」と驚きと感動の連続です。

 

 

近所歩きのなかで出会った穴場の中で、みなさんにぜひご紹介したいのが、橿原市白橿町と南妙法寺町の境目あたり、標高130㍍の岩船山の山頂に近くにある益田岩船という巨大石造物です。ひとつの石ですが、とにかく大きい。東西11メートル、南北8メートル、高さ4.7メートル。重さは800トンと推定されています。ひとつの石の加工品でこれほど大きいものが日本国内にあるのでしょうか。寡聞にして知りません。

 

 

橿原ニュータウンの西はずれに案内板があり、そこから丘陵を5分ほど登ると、忽然と巨石が現れます。猿石や亀石といった飛鳥の石造物群に数えられていますが、飛鳥を歩く人は、ニュータウンまで足を運びませんし、奈良県民でさえも、ほとんどこの巨大石造物を訪れたことはないでしょう。誰もこないのでソーシャル・ディスタンス100㍍保証です。最寄りの駅は「岡寺」。今は竹林に囲まれていますが、以前は石の上に立つと見晴らしがよかったといいます。橿原市史にも当時の写真が載っています。

 

 

 

益田岩船の古写真

 

上面には四角い深い穴が二つ開いていて、これが謎を深めています。寸法は1.6㍍四方で深さが1.3㍍。1尺=35センチの高麗尺が適用されているので、7世紀中頃より古いものだと考えられます。大化の改新より前ということですね。片方の穴には雨水が満ちていますが、もう片方は漏水していて底の方に少し水が溜まる程度です。石工が手作業で一日に削る量は1㍑ほどです。二つの穴の容積は3200リットルあるので、4人がかりで2年3か月かかるといいます(奥田尚著「古代飛鳥『石』の謎」)。

 

 

この巨石は、いったい何なのでしょうか。数々のミステリーハンターが仮説を出しました。それを見ていきましょう。

 

①ソロアスター教の祭祀場

松本清張氏の説です。穴二つは「水を溜める施設」であって、ゾロアスター教の水の神・アナヒータをここで祭ったと主張しました。

 

 

②太陽信仰の基点

これは仏像写真家として知られ、「太陽の道」を提唱したことでも有名な小川光三氏の説です。小川氏は、仏像をよく撮るためには歴史を知らなくてならないと、古代史の研究に勤しみました。そして、地図上に様々な線を引き、大胆にも、古代遺跡の配置を幾何学的に読み解くことを思いついたのです。

 

 

岩船と三輪山と八王子神社を結ぶと直角三角形となり、岩船と泊瀬山と八王子神社を結ぶと正三角形になります。奈良盆地の東の方にある三輪山や泊瀬山は太陽の力を宿すポイントであり、八王子神社は日に対して「陰」の存在である玉と剣から生まれた神霊を祀ります。

 

 

この陽と陰と岩船が作る二つの三角形に小川氏はこだわりました。「日の出の山の三輪山と、天照大神影向(ようごう)の山とわれる隠国(こもりく)の泊瀬の山の神霊を大和平野に導いて、豊穣を祈念するために設定されたものであるに違いない」(ヤマト古代祭祀の謎)。岩船は、陽と陰のバランスを取り、太陽の力を西側に引き入れるための「基準点」だというのです。

 

案内板

 

③益田池の碑の台石

 平安時代の初期、弘仁13年(822)に空海の弟子らが築造した益田池というため池が、かつて岩船の北の方に存在していました。堤跡の高さは約8メートルあり今も児童公園に一部が保存されています。池の面積は40ヘクタールほどだったと推定されています。「橿原市史」では、岩船は益田池を築造したときの記念碑の台石だと説明しています。

 

 

そうすると、二つの穴は石碑を差し込むための「ほぞ穴」ということになるのですが、先述の通り1.6㍍四方、深さ1.3㍍もある「ほぞ穴」を使って建てられる碑は想像を絶する巨大さでしょう。そんな碑が必要でしょうか。台石を作るのだけでも数年かかるのです。モニュメントに労力に見合うだけの価値があるとは思えません。「益田岩船」という名称を除くと、岩船を碑に結び付ける十分な根拠はないのです。

 

 益田池堤跡

 

④横口式石槨

これが最も有力な説とされています。古代の古墳で、遺体を納めた木棺を収納する外箱を石槨(せっかく)といいます。岩船をごろんと90度回転させて穴を横向きにすると二つの部屋からなる石槨になります。穴の形は、500メートルほど南方にある牽牛子塚(けんごしづか)古墳の横口式石槨と似ています。古墳に使われず放置されたのは、加工途中に亀裂が見つかったからだと考えられています。

 

 

しかし、これにも疑問が残ります。岩船の周囲は格子状に削られており、表面を平滑化するための加工途中だったとみられていますが、石槨は土をかぶせると外側は見えなくなりますので、そこまできれにする理由がわかりません。また、深さ1.3メートルでは、寝棺は入れられません。

 

⑤星占い台座

古代の天体観測法をよく知りませんが、2本の柱を立てて、横棒を通し、星の位置を確認していたようです。

 

⑥古代のロボット説

最後にかみさんの大胆な説を紹介します。岩船は古代のロボットの顔だというのです。ふむ、ふむ、言われてみれば、ジブリの「天空の城ラピュタ」に登場する兵士の顔にも見えてくる。ラピュタは、特殊な石の力を利用できる古代国家が天空から地上を支配していたという設定でした。廃墟に放置され、苔むしたラピュタ兵の顔は益田岩船のイメージに合います。

 

 ラピュタの兵士

 

以上、諸説を紹介しましたが、「人間の心の謎を石が背負っている」(五来重氏)というくらいですから、石の謎は人間の心と同じくらいにわからないのです。ロールシャッハテストのように、岩船は見る人の心に様々な像を結びます。