狂った義娘:前編 | ラスベガス的リタイアの法則

ラスベガス的リタイアの法則

在米30年をハワイと南カリフォルニアで過ごしたのちに、ラスベガスで始めた引退生活。ところが主人が悪性脳腫瘍に。ラスベガス大好き♡なヨメが、愛する主人のために古巣カマリオへ。
主人が天国に行き、ラスベガスに戻って来ました。時に泣きながら、一生懸命生きてます。

Hi everyone!

お元気ですか?

昨日はディリアと映画『Crazy Rich Asians』(邦題:クレイジーリッチ!)を観てきました。ロマンチックコメディですが、笑わせるし泣かせてくれるし、とてもキュートでよく出来た映画でした。

昔主人とよく行った映画館でしたが、今流行りのゆったりとしたリクライニングシートの全席指定に変わっていてちょっとびっくり。

座席は楽だし、ロマンチックコメディでもこの映画なら主人もきっと楽しんで観ただろうな、とかどうしても思ってしまって。汗

それがあったから余計に泣いちゃったのかもしれないけれど…。

この頃つくづく思うのは…。
人生ってなんて刹那的。まるで花火のよう。ドーンと上がって夜空を彩るとハッと息を呑むほど美しいけれど、すぐに跡形もなく消えてしまう。瞬きする暇もないくらい。生きるってなんて切ない…。

さて、数年前にようやく主人の娘レイチェルの本性に気づいてから、私はなるべく関わらないようにしてきました。

まだ以前カマリオに住んでいた頃、レイチェルが夫ブライアンと2人で電話で主人を責めたことがありました。

レイチェルは自分の気に入らないことを言われる度に主人を何カ月も無視の刑にしたのですが、
まるで10歳児。えー

その時は特に揉めて、主人のことを夫婦で責め倒したのです。

その理由がもうめちゃくちゃ。自分たちは近くまで来ても連絡もしないくせに、主人が孫と遊んでやらない。バケーションに連れて行かない。挙げ句の果てに家のローンの支払いを援助しない。

主人が「それでもお前を引き取って、結婚式も出したったやろ」と言うと、

「予算付きやった」

当たり前じゃ!プンプン

こういうことを平気で言うわけです。ただ主人はなぜか離婚して辛い思いをさせてしまったという負い目をずっと引きずっていたから、子供たちに対して決してキツイことは言わなかった。私に言わせれば、

「なんでいつまでもそんな気ぃ遣うの?なんで子供に嫌われるのを恐れるの? 私なんか離婚した時、うちの子2歳と4歳やってんで。でも私が引き取って育てたから、うちの子は育ててもらった恩は感じても、モンクなんか言わへん。今はあの子らが私の心配する立場やねん。レイチェルに一切そんな気ないのは、アンタが遠慮し過ぎてるからとちゃう?」

主人は子供や孫の誕生日には、欠かさずプレゼントを送ったり買い物に連れて行ったりしていましたが、レイチェルは主人の誕生日もクリスマスもタイムリーにカードを送ることすら稀。プレゼントがあったとしても自分たちのビジネスの商品か、子供の写真程度。

その感覚が私にはどうしても理解できませんでした。それを不快に思わない主人も、私には気の毒にしか見えませんでした。

レイチェルが夫婦で主人を責めた時、必死で電話で弁明する主人が見ていられなくて、私が電話を代わりました。

「アンタねぇ、自分は何にもせえへんくせに、孫に何にもしてやれへんとかよう言うね…」

私が話しているのに、レイチェルは興奮して聞く耳持たず。電話の向こうでまくし立てていました。

「ちょっと人の話聞きなさい」

と言っても止まらず。

「レイチェル!聞きなさいって!」

それでも止まらず。

「レイチェル!聞きなさい!聞けへんねんやったら切るよ!」

これで初めてレイチェルはひと息ついたと思うとこうのたもうた。

「ほんなら切ったら?」

プンプンプンプンプンプン

それで私はガッシャン。フェイスブックの友達も解除し、彼女とは一切関わらないつもりでした。

それでも主人にとっては、どんな痛い目に遭わされようが可愛い娘。おそらく彼女は4歳の時からどうすれば主人を手玉に取れるか心得ていたに違いないから、主人に勝ち目はありません。
彼女は元ミス・バレンシアで美人だし、果てしなく外面がいいので深く知らないと限りなく良い娘だと思い込んでしまう。だから皆んなに美人だ良い娘だと褒められて、主人にすればずっと自慢の娘だったのです。

私も長い間翻弄されていましたが、彼女の高校時代からの友人ジャクリンに話を聞いて、私が予測していた以上に悪質だったと知ったのは、「義理の娘の本性」で書いた通り。

主人が脳腫瘍だとわかってから、彼女は1日に何度も泣いて主人に電話し、自分の友人のドクターに診てもらうように懇願しました。

主人もそのうち僻遠して彼女の電話に出ないようになると、今度は私にかけて来ました。私はすべて無視しました。

手術当日に友人ドクターの妻をスパイでラスベガスに寄越したと知った時は、怒りのあまりに身体が震えました。
下矢印
詳しくは「義娘の差し金」を見てね。

主人の希望や思いは一切汲めず、自分の主張ばかりを押し付ける彼女が許せませんでした。

主人の娘に対する愛情が深かった分、彼女の仕打ちが何よりも主人を傷つけたのです。無条件に愛していた分、彼女が主人の哀しみの最大の根源だったのです。

一生顔も見たくない。

そう心に誓いました。

でも主人の最期が近づいたら、私は主人のために折れたのです。主人は私にも側にいてほしいし、愛する娘の顔も見たい。私が大人になるしかありませんでした。

お葬式で彼女は音楽担当でした。式の間は流せないので、式が始まるまでの時間に思い出の曲をBGMで流す予定でした。

ところが。

私たち親子とティミー一家は式の1時間前に着いていたのに、レイチェル一家が来たのはわずか10分前。参列者もほとんど揃った頃でした。当然BGMを流す時間もありません。

さらに。

私はようやく現れたレイチェルを見て顎が落ちました。

彼女はなんと!
これから踊りに行くのかと思うような肩の開いたモスグリーンのシルクのミニドレスに、ピンクのハイヒールで、蝶のようにひらひらとお出ましになったのです。ガーン

夫ブライアンと3人の息子も、まるで往年のビーチボーイズのような超カジュアルなチェックのボタンダウンにチノパン姿。

親のお葬式やのに、どこまで無神経やねん。プンプン

ティミーはコントラクターなので、仕事もTシャツに短パンだからスーツは持っていなかったのですが、それでも父親のお葬式だからとスーツをレンタルしていました。

ネクタイの締め方も知らず、私がティミーとペイトンのネクタイを結んであげたのです。

私の息子に至っては、2人ともスーツから靴、シャツに黒いネクタイまで新調していて、私の方がびっくりしたほど。
しかもお揃いだから、アレでオソロの黒いサングラスしたらまるで『Men in Black』。爆笑

参列者だって皆んな黒だから、彼女はひときわ浮いていました。

極めつけは弔辞。

父親の思い出として話をしたのは、彼女がミスコンで優勝した時とクロスビー・スティル・ナッシュ&ヤングのコンサートで最前列に座った時のオハナシ。

「会場にいた父と目が合うと、父はニッコリ微笑んでくれたので、47人の中から優勝したのだとわかりました」

「最前列だったので遠慮して座って踊っていたら、クロスビーが立って踊っていいよと言ってくれて、横の父を見たら優しく微笑んでいました」

とわざわざ演台を離れて、ミニドレス姿で踊り出す始末。ガーン

どっちも父親の思い出は微笑んでただけかい!プンプン

私は家族席で白目を剥きましたが、さすがにティミーとダニーも苦笑していました。

私はこの時、もうこれが最後、彼女とは一生関わらないと心に誓いました。

ところが…。

…続く。

では、お元気で。

Have a nice day!

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