兵庫県立美術館のゴッホ展に行ってきました

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兵庫県立美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。

これ、東京で開催されてた頃ラジオでバンバンにCM流れてて「良いなぁ〜行きたいなぁ〜」って思ってたんですね。

なので、万象繰り合わせて日帰りで突撃してきまして、今日はその感想というか、この「ゴッホ展」のというよりゴッホの絵を見て思ったことを書こうと思います。

ゴッホってなんの仕事しても長続きしなかった人らしいんですよね。

そんな彼が30過ぎてから「画家になる!」って言いだして、彼は37歳で死んでいるので10年にも満たない間に後の世に世界中で愛される作品をたくさん生み出したことになります。

そう考えると「なんて駆け抜けた画家人生だったんだろう」って思います。

ゴッホ展では、初期から晩年の糸杉までの「画家人生」を追いながら、その時その時影響を受けた画家や絵の様式について紹介される形式で、関連作品も見られるようになっていました。

「この歴史が10年足らずの物語なのか…」って思いました。

疑うまでもなく、ゴッホはこの期間を絵を描くことにほぼ全振りしてたわけですよね。

でも、彼の荒々しいタッチを見ていると、それでもきっと描きたかったものに対して時間が足りなかったんだろうな、なんて思うんです。

そして「それに比べて自分はどうだろう?」ってつい考えてしまうんです。

大学卒業して、就職して「これからは余暇に絵を描こう」なんて思ってはや18年?

ずいぶん長生きしたもんです。

でも、全然絵上手くなってないよなぁ。

もちろん、弟に生活費も画材代も全て出してもらって、知り合いの画材屋さんに自分の作品をお代替わりに絵の具買って、そんな生活に憧れたりはしません。

就職や結婚に限らず、今ぼくの周りにある生活の全ては子供の性別を除けば全て自分が望んで手に入れたものばかりのはずなんです。

それでも虚しくなる。

「なんでこんなに絵が描けないんだ…」と自問自答したくなる。

そんなパワーを秘めた絵がゴッホの作品だな、と思うんです。

大人になれば大なり小なり抱く人生の「タラレバ」のひだに、グッと手をかけ、バリバリと開いていく、偉大な芸術ってそういうものなのかもしれません。

20代の頃には感じなかったゴッホの作品のパワーにただただたじろいた、そんな体験でした。

人生って儚いですね。

なんて思ってたら、夜ラジオで面白い話をしていて、ロシアには死体を100年後まで冷凍保存してくれるサービスがあるんですね?

style.nikkei.com

死者再生の技術が開発されてるかもしれない100年後に復活させてもらうためなのだそうです。

「全てを手に入れた億万長者が最後に求めるのは、やっぱり不死なんだろうな」なんて思ったら日本円で約385万円とからしいです。

「え?そんな葬式代くらいのもんなの??」ってちょっとびびりました。

でも、自分が100年後に生き返りたいか?って言われたら…うーんどうかな〜?