富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「世の富」 テモテへの手紙一、6章1~12節

2019-10-06 15:34:26 | キリスト教

      ↑ ㇵインリッヒ・ホフマン "キリストと金持ちの青年", 1889年

   聖霊降臨節第18主日  2019年10月6日  午後5時~5時50分

年間標語 「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆこう。」(エフェソ4・16)

聖 句 「御父が、その霊により、力をもって、あなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソ3・16-17)

      礼 拝 順 序

                 司会 千田 開作兄

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 214(わが魂(たま)のひかり)

交読詩編   49(諸国の民よ、これを聞け)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)テモテへの手紙一、6章1~12節(p.389)

説  教   「世の富」         辺見宗邦牧師

祈 祷                  

讃美歌(21)  56(主よ、いのちのパンをさき)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

            次週礼拝 10月13日(日)  午後5時~5時50分 

            聖 書 ヤコブの手紙、2章1~9節

            説教題   「金持ちと貧者」

            讃美歌(21) 197 545 交読詩編 73

   本日の聖書 テモテへの手紙一、6章1~12節

 6:1軛の下にある奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。それは、神の御名とわたしたちの教えが冒涜されないようにするためです。 2主人が信者である場合は、自分の信仰上の兄弟であるからといって軽んぜず、むしろ、いっそう熱心に仕えるべきです。その奉仕から益を受ける主人は信者であり、神に愛されている者だからです。これらのことを教え、勧めなさい。 3異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、 4その者は高慢で、何も分からず、議論や口論に病みつきになっています。そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、 5絶え間ない言い争いが生じるのです。これらは、精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考える者の間で起こるものです。 6もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。 7なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。 8食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。 9金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 10金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。 11しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。 12信仰の

戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。

     本日の説教

「テモテへの手紙一」、「テモテへの手紙二」と「テトスへの手紙」の三通は、「牧会書簡」と呼ばれています。他の手紙は教会宛てに書かれているのに対して、この三通は、教会の監督、牧師であるテモテとテトスに対して牧会者としての働きを指導するために書かれたものだからです。また異端に対する反論と、異端思想により教会内の分裂を生じないための教会制度や組織を整えるように勧めていることから、この手紙が書かれたのは紀元一世紀後半から二世紀前半に出されたものと思われています。したがって、この手紙の著者は、「パウロ」(1:1)とあるが、最近ではパウロ以後のパウロの信仰の遺産を十分に継承した彼の弟子、あるいは後継者によって書かれたものと言われています。そして、この手紙の書かれた目的は、三章十五節に明記されています。「神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたい」から、と言い、「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」とあります。この書簡はエフェソを含む小アジアで成立したと推定されています。

「テモテへの手紙一」の宛先人のテモテとパウロの出会いは使徒言行録に記されています。パウロはガラテヤのリストラという町で、ユダヤ人を母に持ちギリシア人を父に持つテモテと出会い、彼と共に宣教旅行に出かけました(16章)。

 テモテはパウロの弟子であり、パウロの伝道旅行の同行者であり、また宣教の同労者でもあります。パウロはテモテを、「わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれているわたしに生き方を、あなたがたに思い起させることでしよう」(コリント一、4・17)と紹介しています。テモテは宣教と指導の務めを託されてパウロのもとから諸教会に派遣されています。

 「テモテの手紙一」の1章3~4節によると、パウロはエフェソを離れてマケドニヤ州へ出発するときに、テモテをエフェソに残し、異端に対処するように命じたと書かれています。エフェソは政治、文化、商業の中心地でした。エフェソの町は「偉大アルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役」として信じられており、キリスト教信仰からすれば、異教の町でした。

 1章3節以下11節までは、福音と異なる教え(異端)についての警告です。12節から17節までは、パウロの回心と使徒としての召命について語られ、イエスにおいて現された神の絶大な愛の証です。18節から19節にかけては、テモテに対し、異端から教会を守る戦いの中で、任職の時の預言を支えとし、教会的信仰と正しい良心とを持って、雄々しく戦いなさいと命じています。20節の「ヒメナイとアレクサンドロ」の二人は、牧会書簡成立時に活動していた異端グル―プの指導的人物であったと考えられます。彼らの処罰はパウロの名により使徒的権威をもって行われました。

 2章1節から3章6節までは、著者の重視する教会の秩序の維持にたいする、テモテによって代表される教会指導者たちに対する教会指導の手引きです。

 2章3-7節は、人々のため、支配者のために祈るよう勧めた理由が述べられています。8-15節は、男性と女性に対して具体的な勧めがなされます。

 3章1-16節では、「監督」と「奉仕者」の資格について述べ、「信心の秘められた真理」という見出しの段落が続きます。

4章1-5節では、偽善的教えと戦うための教しえです。6-10節は、テモテに対しよき奉仕者となるための教えです。11-16節は、信じる人々の模範となるための具体的な教えです。

5章1節から6章2節では、教会にいける様々な立場の人々に対し、どのような対処と指導をしたら良いのかという「教会指導の諸問題」について、具体的な指示の展開が示されます。そして今日の聖書の箇所に入ります。

 「軛の下にある奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。それは、神の御名とわたしたちの教えが冒涜されないようにするためです。」(6:1)

 <軛の下にある奴隷>という言葉から、自由を奪われた奴隷の苦境が示されています。ここではキリスト教徒の奴隷です。<主人を十分尊敬すべきものと考え>ることは、模範的な奴隷として主人に服従し、仕えることです。それは教会の外の者たちのあいだでキリスト教の評判を悪くしないためです。

 「主人が信者である場合は、自分の信仰上の兄弟であるからといって軽んぜず、むしろ、いっそう熱心に仕えるべきです。その奉仕から益を受ける主人は信者であり、神に愛されている者だからです。これらのことを教え、勧めなさい。」(6:2)

  奴隷と主人の両方がキリスト教徒である場合ですが、信仰上の兄弟であるからといって、相手の立場に対する当然の考慮を怠って振る舞うことのないようにいましめています。むしろ、<いっそう熱心に仕えるべ>であるとすすめています。その主人は<神に愛されている者>だからです。<これらのことを教え、勧めなさい>と教会の長老たちに命じています。

初期のキリスト教会の信徒の中で、奴隷の占める割合は大きかったので、奴隷に関する勧めがなされ、主人に対する奴隷の義務だけが語られているが、奴隷に対する主人の態度にはふれていないのが問題です。奴隷制度が当然のものとしていた当時の社会常識なるものの限界を明らかにしています。

「異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、その者は高慢で、何も分からず、議論や口論に病みつきになっています。」(6:3-4a)

 <異なる教え>に対する警告がここでも繰り返されます。<わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉>とは、イエスの教えです。<信心>とは、「神に対して人間が本来的に取るべき態度や姿勢」を意味し、「神への畏敬」と同じであると言えます。すなわち神への畏れに基づく真の教えを受け入れない者は、<異なる教えを説く>ことになり、いくら説いても、どんなに議論しても、高慢に目をくらまされて、何もわかってはいないと言います。

 「そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争いが生じるのです。これらは、精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考える者の間で起こるものです。」(6:4b-5)

イエス・キリストを否定し、信心しない、異端の生き方のあやまりのもたらす結果が悪徳があげられます。<ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争い>です。異端教師は<信心を利得の道と考える>人たちです。その教えを聞く者達から法外な多額の謝礼金を要求したのです。正しい信仰の欠如は、実に愛の、それも隣人愛の欠如につながっていくのです。

「もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。」(6:6)

しかし、信心は人間が<満ち足りることを知る>ことです。信心は人間に平静さと自足をもたらし、さらに永遠の命を約束するゆえに大いに益があります。

「なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。(6:7)

人の命は財産によってどうすることもできません。人間は本来無一物なのです。

「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。」(6:8)

<食べる物と着る物>は聖書においても、生きるための最小限の要求とされています。「貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしたちのために定められたパンでわたしたちを養ってくさい。飽きたりれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません」(箴言30:8-9)福音書の「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6・33)とあります。ヨブ記1:21には、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う、主の御名はほめたたえられよ」とあります。

 いずれにせよ、ここで重んじられている「清貧」は、単なる「貧しさ」、「簡素さ」そのものを目的にしているのではなく、教会の指導者たちの「牧会活動や宣教活動」とかかわりのある限りでの、それらの活動を益する限りでの「清貧」です。

「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。。」(6:9)

 著者は<富んでいる人々>(6:17)ではなく、<金持ちになろうとする者>を批判しています。<金持ちになろうとする者>の金銭欲のもたらす害悪が述べられます。ここでは特に異端教師を考えているようです。その欲望は<誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥り>、人を破滅に陥れてしまいます。

「金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」(6:10)

<金銭の欲は、すべての悪の根です>は、当時一般に知られていたことわざです。金銭欲のゆえに信仰から脱落し、さまざまの精神的苦痛(幻滅、良心の呵責(かしゃく)、死後の不安など)に悩まされている者たちのことを読者に想い起させます。

 関西電力は幹部ら20人が高浜原発がある福井県高浜町の元助役から金品等 、約3億2千万円を受けたいたことが話題になっています。 工事を受注した吉田開発から出た金が元助役の森山栄治という人を通して、渡されたものです。九十歳で亡くなった元助役の住民の評価は分かれるが、貧しい高浜町の救世主として評価されていたとのことです。危険な原発稼働のかげに、電力会社幹部の金銭欲があったことは、嘆かわしいことです。

聖書では、金持ちになったり、有名になったりすることは悪いことなのでしょうか。いや決して悪いことではありません。クリスチャンには、自分に与えられている富や才能を正しく管理する使命が与えられています。自分の使命に忠実な人は、結果的に、裕福になったり、有名になったりする確率が高くなります。しかし、金持ちになったり、有名になったりすることを人生のゴールにするのは、間違っています。クリスチャンのゴールは、愛に生きることであり、神の栄光を表わすことです。成功した人は、それを神のご計画のために用い、天に宝を積むべきです。聖書を配布するクリスチャン事業のギデオン協会は、実業家やその家族などによって運営されています。

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