富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「『善きサマリア人』のたとえ」 ルカによる福音書10章25~37節

2020-02-19 16:55:55 | キリスト教

                 ↑ ゴッホ「善きサマリア人」 クレーラ・ミューラ美術館 (オランダ)

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

       日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

    降誕節第9主日   2020年2月23日(日)   午後5時~5時50分

年間標語「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆこう。」(エフェソ4・16)

聖 句「御父が、その霊により力をもって、あなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソ3・16-17)

              礼 拝 順 序

                司会 斎藤 美保姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 204(よろこび日よ)

交読詩編   84(万軍の主よ、あなたのいますところは)                    

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)」ルカによる福音書10章25~37節(新p.126)

説  教  「『善きサマリア人』のたとえ」      辺見宗邦牧師

祈 祷                

讃美歌(21) 430(とびらの外に)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

           次週礼拝 3月1日(日) 午後5時~5時50分  

           聖 書  ルカによる福音書18章9~14節

           説教題  「ファリサイ人と取税人の祈り」

           讃美歌(21) 6 495 交読詩編 12    

 本日の聖書 ルカによる福音書10章30~37節

 10:25すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 26イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 27彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 28イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 29しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 30イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 31ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 32同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 33ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 34近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 35そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 36さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 37律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

          本日の説教

 ある律法の専門家が「イエスを試そうとして」立ち上がって、「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と問いかけました。律法学者とは、モーセの律法とその他多くの規則と規定のすべてに置ける専門家でした。この律法学者がその答えを知ろうとイェスに問いかけたのではなく、イエスをためし、律法を正しく解釈しているかどうか、イエスを厳しく追及したかったからです。

律法学者のたくらみを見抜かれたイエスは、彼の質問には直接答えないで、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と聞き返しました。すると彼は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」とありますと答えました。申命記六章五節と、レビ記十九章十八節の言葉です。

イエスは、「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と言われました。律法の教えを正しく解釈し、知っているだけでは、永遠の命を受けることはできません。律法の言葉を聞いて実行することが求められるのです。

律法学者は、愛を「実行しなさい」というイエスの言葉には答えずに、自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と聞き返しました。律法の隣人という言葉は知っていても、真剣に愛していないことが明らかになります。彼は愛することを考える前に、愛する相手である隣人について特定し、論争しようとします。

隣人について特定しようとしたのには、律法学者の意図がありました。イエスが交際してはならないと律法に定められている取税人、罪人、遊女たちと親しくしていたからです。彼らにとっては、自分たちの生き方と結び付く重大な問題です。イエスは、同じ論争の仕方では答えず、彼の「わたしの隣人とはだれですか」という問いが間違っていることを示す一つの例話を語ります。それが「善きサマリア人のたとえ」です。

ある人―それは疑いもなくユダヤ人です―が、エルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われました。海抜750メートルの山の上にある首都エルサレムから、ヨルダン川に近い海面下250㍍にあるエリコの町までは、1000㍍の上下差があり、その距離は27㌔ほどで、急な曲がりくねった危険な岩の多い坂道です。途中かなりの距離は人家のない寂しい道で、よく強盗が通行人を襲う道でした。

突然、強盗たちがその人に襲いかかり、服を剥ぎ取り、殴りつけ、半殺しにして、そのまま、す早く逃げ去ったのです。

 

 ある祭司がたまたまその道を下って来ました。神殿の仕事を終えて、エリコにある家に帰る途中でした。その倒れている人を見ると、道の向こう側を通って行きました。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行きました。レビ人(レビ部族の人)は祭司の下で神殿に奉仕ししている人でした。

祭司の登場も、レビ人の登場も、助けを要する同族であるユダヤ人に手をさしのべることは、当然行うべき行為でした。律法学者がイエスに答えた神と人への愛の戒めを、この祭司のレビ人もしらないはずはありません。しかし目の前に倒れている哀れな同族の一人を助ける愛を持っていませんでした。旅人の世話をするのが面倒だったのでしょうか、あるいは何かかかわり合いが生じるのを避けたかったのでしょうか、わざわざ道の向こう側を通り過ぎ、見て見ぬふりをしたのです。どんなに礼拝を守り、神殿に仕えていても、この祭司やレビ人のように愛を持たないならば、天国には入れません(マタイ25・41-45)。

ところが、旅をしていたサマリア人が通りかかります。当時ユダヤ人とサマリア人とは仲が悪く、対立し、互いの交流がありませんでした。

 その対立は、ソロモン王の死後、イスラエル統一王国が、ユダヤ人の住む南のエルサレムを首都とするユダ王国と北のサマリアを首都とするイスラエル王国とが分裂(紀元前922年)した時から始まりました。サマリアは、パレスチナ北部のガリラヤ地方と南部のユダヤ地方の中間に位置しています。

もともとは同じイスラエル民族ですが、政治的に分裂した二つの王国は、宗教的にも差異が生じました。サマリア人はエルサレム神殿とは別にゲリジム山に神殿を建てて礼拝をしました。イスラエル王国は、紀元前紀元前721年、アッシリア帝国の攻撃によって滅亡し、サマリアには外国人が流入し、雑婚が行われ、異教の影響を受けました。かつてのイスラエル王国の領土はサマリア(地方)と呼ばれ、部族民はサマリア人と呼ばれるようになりました。

南のユダ王国もバビロニア帝国に滅ぼされ(紀元前586年)、民の主だった多くの者は、三回にわたって連行され、捕囚地バビロンで過ごしました。ペルシヤ帝国のキュロス二世がバビロニヤを征服し、捕囚のユダヤ人をエルサレムに帰しました(紀元前539年)。47年ほど続いた抑留から解放され故国に戻ったユダヤ人は、エルサレム神殿の再建にとりかかりました。この再建に、サマリア人が援助しなかったこともユダヤ人とサマリア人の対立を深めました。新約の時代に入っても、不和は解消されず、ユダヤ人たちはサマリア人を混血の異端者として蔑み、交際を断ち、サマリアを通ることも避けていました。

  David Teniers the younger「Good Samaritan」 コートールドギャラリー(ロンドン)

このサマリア人は、ユダヤ人が、強盗に襲われて半死状態で倒れているのを見ました。普段互いに交際も断っているユダヤです。ふつうなら関係ないと言って通り過ぎたでしょう。同族であるユダヤ人の祭司やレビ人でさえ、かかわりをきらって通り過ぎた後のことです。だが、このサマリア人は、このユダヤ人のそばに来ると、その人を見て憐れに思い、ろばから降り近寄りました。そして傷に油とぶどう酒を注いで消毒し、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋まで連れて行き、その晩介抱しました。翌日になると、デナリオン銀貨二枚(労働者二日分の賃金)を取り出し、宿屋の主人に渡して、「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」と言い、後を託しました。

 

レンブラント 1630年製作(Wallace Collection , London ) 「宿屋の主人に託すサマリア人」

たとえを語り終えたイエスは、「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と最後の問を発しました。律法学者は、「その人を助けた人です」と答えました。そこでイエスは、「あなたも行って、同じようにしなさい」と言われました。

律法学者は、隣人の範囲を狭め、隣人愛の律法を自分たちが守りやすいものにして、自己満足をしたいのです。それに対して主イエスは、どれだけの人があなたの隣人であるかということが問題ではなく、あなたが愛の心を持ち、あなたが助けることのできるすべての人々の隣人であることが、「隣人を愛する」ことだと教えられたのでです。

隣人を特定し、人を枠づけて愛する律法学者やファリサイ派の人々は、自由な愛を持たず、律法解釈で決められた範囲内での愛で満足しようとします。

多くの人は、ヒューマニズム(人間尊重)にもとずく人類愛を尊重します。1978年から毎年8月下旬の土曜から日曜にかけて生放送されている「愛は地球を救う」というチャリティー番組もそうです。地球規模の人々を愛するすばらしい標語です。この活動が、「愛は隣人を救う」という日常的な活動となれば、もっとすばらしいと思います。ロシアの作家ドストエフスキーは「人類全体を愛すれば愛するほど、個々の人間に対する愛が薄らぐのだ」(「カラマーゾフの兄弟」より)と語り、人類愛が具体的に生きている人間から離れ、一般的な人間を考え、抽象化し、観念化することを戒めています。

帰途を急いでいたサマリア人は、自分たちを嫌い、蔑視しているユダヤ人であるにもかかわらず、自分の目の前にいるこの傷ついた旅人がどうなるかを案じ、自分の旅程を変更してまで、この人の「隣人」となり、自分のお金まで使って助けたのです。はたして、このたとえに出てくるような、サマリア人はこの世にいるのでしょうか。そこで気付くのは、この「善きサマリア人」とは、主イエス御自身ではないか、ということです。主イエスは、自己本位に生きている私たちを責めず、神の愛をもって私たちの世界に来て下さり、罪と死に苦しんでいる私たちを救ってくださった救い主です。この主イエスに救われた感謝と喜びが、私たちを神を愛し、隣人を愛する者にしてくださり、それを行う力をも与えてくださるのではないでしょうか。

 福岡市のNGO(非政府組織)「ペシャワール会」(「ペシャワ―ル」はパキスタンの州都の名)の現地代表として、長年パキスタンとアフガニスタンで、現地住民の人道支援と復興に力を尽くしてきた中村哲医師(73歳)が昨年の12月4日、現地で何者かに銃撃され死亡しました。中村さんは、医師として最初はハンセン氏病の治療に当たり、その後2000年の大干ばつ時の赤痢患者急増をきっかけに、清潔な飲料水の確保にも取りかかり、彼らの生活改善のために農業用水路の建設に励み、灌漑(かんがい)用水事業の進行を確認のため車で移動中に銃弾に倒れました。クリスチャンの中村哲さんは、神を愛し、アフガニスタン人の真の隣人となった方でした。中村さんは、息子さんに、「口先ではなく、行動で示せ」と普段よく言われていたそうです。ペシャワール会の村上優会長は、「中村先生の精神・魂は今でも私たちの心の中に強く大きく存在しています。先生の意志を共有し、継続してご支援いただけるようお願いいたします」とお別れ会に集まった五千人もの支援者に呼び掛けました。中村医師の隣人愛とその思いが継続されることは、大変喜ばしいことです。

 

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