終戦記念日 2018 | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

終戦記念日 2018


8月15日は"終戦記念日"です。

が、近年では"終戦記念日"とは言わず"終戦の日"と表記される事が多いようです。

しかし"終戦の日"と呼んでしまうと8月15日は、その根拠が曖昧になってしまうためか、カレンダー等では表記すら無い物が存在するようになりつつあります。

何故、曖昧になるのかと言うと、国際法と日本の国内法の差違があり、何を以て終戦と呼ぶのかによって、複数の日が対象になるためなんですが。

戦時国際法において休戦協定の合意は、口頭による同意があれば文書の署名は必要ではありません。

停戦後に、お互いが確認のために外交文書を交わして、それぞれの責任者が署名します。

連合国と日本の戦闘終了の時系列は、4月6日の日本海軍の連合艦隊滅亡から始ります。


日本はダブルスタンダードな国防国家で、政府を運営する内閣に大臣を置く陸軍省・海軍省と、天皇直属である戦時組織である大本営では、その立場の違いから異なった認識と見解を持っていました。

陸海軍省は日本と言う国家と国民の未来を考慮しますが、大本営ではそれを考慮する必要がありません。

本来なら省庁の下に大本営はあるべきなのですが、幕末・明治維新における近代日本の生立ちから、そういう正常な組織とはなりませんでした。

厳密に言うと多少の語弊があるのですが、おおまかとして表現するならば、大本営は国民の最後の1人が死ぬまで戦うことを善しとし、陸海軍省は外交を通じて戦争終結の落とし所を模索していました。

外交ルートを通じての終戦は実らず、戦闘継続の大本営は血気付くも、連合艦隊の滅亡で観念します。

戦争をどう終らせるか大本営と日本政府で駆け引きが行われている中、8月6日には広島が核攻撃を受け、9日には長崎が核攻撃を受け、10日に連合国に対して日本は降伏する用意がある旨を伝えます。

降伏後の国体(日本の国家体制)について連合国側へ問い合わせるも、その返答は無く、14日の御前会議で無条件降伏を受け入れる決議が天皇陛下によって下され、即日連合国へ伝えられました。


翌日の15日に、国民へ向けて戦争終結の宣言がラジオで流され、最前戦線においては自己防衛以外の全ての戦闘を止めるように通達され、戦闘行為の完全停止の命令は22日で、その内容は『25日の午前0時を以て~』でした。

しかし現実には、遠方の最前線では通達の届かない部隊もあり、実質的に戦闘行為が行われなくなるには、その後1週間程度かかったようです。

9月2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵(しげみつあおい)外務大臣と大本営全権の梅津美治郎参謀総長が降伏文書に調印し、即日発効しました。

1951(昭和26)年9月8日には、平和条約であるサンフランシスコ平和条約が調印され、条約が発効した1952(昭和27)年4月28日をもって、国際法上正式に日本と連合国との"軍事行動の終結"となりました。

簡単に整理してみます。

1945(昭和20)年8月10日連合国に対して日本は降伏する準備があると連絡。
〃8月14日
国内で閣議・会議で無条件降伏を決定。
〃8月15日
天皇陛下が国民に向けて終戦を発表。
〃8月25日
全ての戦闘行為を停止するよう命令。
〃8月下旬
全ての戦線で停戦。
〃9月2日
降伏文書調印。
1951(昭和26)9月8日
サンフランシスコ平和条約締結。
1952(昭和27)年4月28日
サンフランシスコ平和条約発効により、占領軍が日本より撤収。


こういった流れによって、連合国側は9月2日を対日戦勝記念日としていますが、ロシアや中国では9月3日としていますし、韓国や北朝鮮では8月15日としています。

アメリカでは国家としての終戦日は9月2日としていますが、米国内では州によって違いがあり、8月10日とする州の他、8月14日や9月8日や4月28日とする州に、日本と同じ8月15日としている州もあります。

日本国内では、天皇陛下の命令によって停戦となるため、8月14日が国内法として終戦した日となりますが、天皇陛下が国民に自らの声で終戦を発表した日として、8月15日を終戦記念日としました。

簡単に触れたので単純に時系列を並べましたが、実際にはその間、大混乱となっていて無条件降伏を連合国へ伝えた8月14日には、アメリカ軍による史上最大の空爆作戦が、岩国に対して行われたりしています。

また、ロシア(ソ連)は日本が降伏することを決めた途端、急遽不可侵条約を破棄して樺太(サハリン)や北方四島を侵略し、北海道を侵攻しようとします。

が、本題は"終戦の日"と"終戦記念日"の違いなので、今回はその辺りの話しは割愛します。

最後の岩国空襲については"今日はD51-639の日"で、詳しく語っていますので、日本史に興味のある方はご覧ください。


終戦記念日と呼ばなくなり、終戦の日と呼ぶのなら、冒頭の通り曖昧になります。

日本政府は、これからこの日をどうしたいのでしょうか。

昭和天皇が崩御されてから30年、平成も終わろうとしている今の時代。

次の新しい時代が始まったとしても、歴史はその積み重ねの延長上に現在があります。

今、まばたきや呼吸をした瞬間も、人類の歴史の最先端に居るに過ぎません。

終戦記念日を他の名称に替えて、アメリカの国家としての終戦日に合わせて9月2日に変えたいのでしょうか。

8月15日は慰霊のためだけの日ではありません。

憲法9条に記される"戦争放棄"の条文。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


平和国家と言う表現は好きではありませんが、それを理想と掲げて新しい日本を創ろうとした心意気と。

そしてそれを未来に向けて日本が歩む路線としての誓いと努力に"終戦記念日"と言う名称を与えて、永遠に希求しようとした日でもあります。

それを曖昧にしようとしているのと同じ事・・・・つまりは憲法9条の改正に向けた布石では?とも、疑念を抱いてしまいます。

建国記念日・憲法記念日・終戦記念日は、変えるべきではありません。

恐らく憲法9条は近い未来に改正されるでしょう。

それはその必要があるからです。

しかし9条の第1項の"戦争放棄"の条文は、絶対に一字一句手を加えてはなりません。

終戦記念日と言う名称には、そう言った意味もあることを忘れないようにしなくてはならないのに。

カレンダーからその記載を消している現状には、日本の未来は暗いものしか残りません。

―追伸―

今上天皇が最後の全国戦没者追悼式で"おことば"を述べられました。

―天皇陛下の御言―
本日""戦没者を追悼し平和を祈念する日"に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

戦後以来すでに73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄は築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦渦に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
―平成30年(2018年)8月15日・全文―

終戦73年、不戦警う平成最後の戦没者追悼式でした。

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8月14日は国民皆泳の日
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8月15日の終戦記念日に対して8月14日は。

「Remember Pearl Harbor. 」に対して「Remember 14 August.」と訴えたいところですけど。

それはまた来年の6月25日にするので、今年は皆泳の日で。


海洋国家である日本の国民が水の事故から自分を守れるように、泳力の強化と健康の増進を目的として、日本水泳連盟がサンフランシスコ平和条約発効の翌年の1953(昭和28)年に制定しました。

が、これに先立つ1949(昭和24)年6月に国際水泳連盟への再加入(復帰)が認められ、8月のロサンゼルス全米選手権へ日本は招待されました。

日本代表の6選手はサンフランシスコ平和条約の締結前だったため、ひどい差別を受けました。

また、観客席からも『負け犬の敵が、アメリカへ何しに来た』『腹いせにまた誰かを殺しに来たのか』『選手が殺される前に、あいつらを殺してしまえ』などの罵声を受けながらの、親善水泳大会でした。

GHQのマッカーサー元帥からは、そういったこともあると、日本を出発する前に教えられていたため、日本選手団は覚悟を決めてはいたようですけど。

新聞でも差別的な誹謗中傷の記事が連載されていた中、日本選手団はその大会において快進撃をします。


中でも古橋廣之進(ふるはし ひろのしん=後の日本大学名誉教授・2009年ローマにて死去)は、400m自由形4分33秒3・800m自由形9分33秒5、1500m自由形18分19秒0で世界新記録を樹立しました。

それまで非難・誹謗中傷を煽動していたアメリカの各新聞では"フジヤマのトビウオ(The Flying Fish of Fujiyama)"と、態度を一変して称賛。

また、それまではアメリカ国民から差別をされていましたが、大会後は一躍ヒーローとなりハリウッドスターらにサインをねだられたりもしました。

今日は終戦記念日と言うことで、昨日の国民皆泳の日に因んで、敗戦から国際社会復帰までの7年間に、水泳で日本の魂を見せしめた古橋廣之進元選手と水泳日本代表選手を、簡単なエピソードで紹介してみました。

戦争で亡くなった人だけでなく、生き残って頑張った人たちのその先に、今、私たちは生きていることを、1年に1度ぐらいは感じてみたいものです。

-留意点-

8月15日は天皇陛下が詔を発した日として、引揚者給付金の起点日に終戦日と定義されていることから、戦争放棄をした日本国憲法に基づいて「終戦記念日」と呼ばれます。


正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈願する日」と言います。


停戦命令者は8月15日に出されていますが、実際に連合軍との戦闘が終了したのは8月下旬となっており、法律上の「終戦の日」は降伏文書調印が行われた9月2日です。




May the world be filled with peace and happiness.




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