D51-200号機 80年の歴史 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

D51-200号機 80年の歴史

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10月6日はD51-200号機がデビューして、ちょうど80周年でしたが。

天気は好かったものの、台風25号のコースによる影響を懸念して、残念ながら運休となりました。

実は誕生日に当たる落成日は9月30日で、これもまた台風24号によって運休となっています。


前日の西日本豪雨後"やまぐち号復活運転"は、迫る台風の影響で大雨だったにもかかわらず、運転されたんですけど。

6日は瀬戸内側の天気は好くても、日本海に近い山間部はヤバかったのかも知れません。

どちらにせよ、9月30日も10月6日も、D51-200号機にとっての記念日はツイてない傘寿となってしまいました。


せっかく、やまぐち号の運転日と傘寿が重なったのに、とても残念で仕方ありません。

で、10月7日とD51-200号機の関係を調べてみましたが、まったく何も無くて、ムリヤリ記述するなら梅小路機関車館にて動態保存をするために整備中・・・・1972(昭和47)年のことです。

なので、10月7日の運転は通常のヘッドマークを掲げてのD51-200号機でした。


80周年記念をやらないとJR西日本が発表したのは7日の8時50分でしたが、もし反対に順延していたら『へぇ~、やるんだぁ』とかえって驚いたかも知れません。

今回の80周年記念ヘッドマークは掲げられることも無く、幻のヘッドマークとなってしまいましたが、何かのイベントで展示ぐらいはして欲しいものです。

鉄道の日も近いですしね。


冒頭の写真は、想像で自分でデザインしてみたヘッドマークを、貼り付けてみました。

と、言うことですが、それでも7日はD51-200号機に会いに行ってきました。

新山口駅に着いた頃は天気も好くて、日射しがすごく暑かったんですけど、その後どんどん雲が厚みを増して来て。


雨が降って無いだけで、先週と似たような空模様となったしまいました。

ただ気温は高かったので、7日はホワイトアウトすることも無く。

なら、青空だった方がねぇ。


撮影場所は前回のリベンジってことで、下郷踏切で撮りました。

黄色いのが入らないよーに & 手ブレしないよーに(笑)

で、今回はこんな感じの写真たちです。


昨年、SLフェア 新山口 2017 ー⑤の記事で簡単に、D51-200号機の略歴を紹介しましたが。

今日はちゃんと年月を追って紹介しようと思います・・・・恒例のヤツです。

1938(昭和13)年9月30日、鉄道省浜松工場にて品番№025として落成。


名古屋鉄道管理局の稲沢機関区に配属され、10月6日より使用開始。

1943(昭和18)年3月8日、米原機関区へ転属しますが、夜間回送のために到着は翌9日でした。

1944(昭和19)年11月27日、アメリカ軍による東京湾岸地域に空襲の帰路に、残った爆弾を棄てる目的で浜松を爆撃。


1945(昭和20)年2月15日~5月19日、三菱重工業や浜松基地の他、浜松都市部への空爆が行われ、死者約1600名を出す。

6月18日、浜松都市部を第一目標とした、市街地への空爆(浜松大空襲)が行われ、死者約1,800名。

7月29日、国鉄浜松工機部・浜松駅・日本楽器・東洋紡績などに対して、戦艦サウスダコタ、マサチューセッツ、インディアナ、キング・ジョージV世などによる艦砲射撃を22時より1時間強に渡って行い、死者約170名を出す。


D51-200号機はこの夜に浜松駅構内で停留中だったため、約2500発の砲弾の内数発が命中し、缶胴を中心に複数の砲弾の貫通被災を受けました。

7月30日には戦災修繕のために浜松工機部へ入場し、8月9日に出場しました。

終戦は米原機関区で迎えましたが、11月27日付けで大垣機関区へ転属。


戦災修繕は終戦間近の戦時下だったため、最低限の簡易修理しか行えなかったため、1946(昭和21)年2月某日~15日にかけて浜松工機部美濃太田支部臨時局部にて修繕。

1947(昭和22)年9月8日~10月31日の間、上諏訪機関区へレンタル移籍。

1950(昭和25)年5月10日付けで中津川機関区へ転属。


6月27日~30日の3日間、木曽福島機関区へレンタル移籍。

1961(昭和36)年1月17日、浜松工場臨時修繕入場にて、運転室換気装置を取付。

1964(昭和39)年1月19日、長野工場臨時修繕入場にて、過熱管部蒸気管不良個所の交換。


12月18日、長野工場臨時修繕入場にてATS-S取付。

1966(昭和41)年3月5日、長野工場臨時修繕入場にて後照灯"LP405"取付。

1968(昭和43)年7月24日、長野工場臨時検査入場にて、長野式集煙装置取付。


1972年(昭和47)年10月2日、長野工場中検A出場。

10月4日、長野から中津川へ戻ること無く、梅小路機関区へ転属。

書類上は中津川機関区から梅小路機関区への転属。


10月10日付けで、梅小路機関車館にて動態保存機となる。

1979(昭和54)年3月28日付けで、車籍末梢。

展示走行用備品(有火)として動態保存され、長野式集煙装置の取外し。


1987(昭和62)年4月1日、国鉄分割民営化された際に車籍復帰。

1990(平成2)年12月23日、柘植〜四日市開通100周年記念イベントにて、亀山運転所で展示会。

1997(平成9)年10月10日~11日、福知山~福知山運転所間にて、JR10周年記念イペントで12系客車を牽引。


2006(平成18)年10月14日、鉄道の日に『梅小路の蒸気機関車群と関連施設』として"準鉄道記念物"に指定。

2010(平成22)年4月10日、梅小路蒸気機関車館・英国国立鉄道博物館の姉妹提携10周年記念式展で、1号機と共に屋外展示。

2014(平成26)年10月17日、C56-160号機の動態保存終了に伴い、D51-200号機を本線営業運転に復活すべく整備開始。


2016(平成28)年4月29日、京都鉄道博物館落成に伴い、本線復帰用の復元工事完了までの間、扇形庫に移設し公開展示。

2016(平成28)年10月20日、復活試運転に臨むべく東海道本線回送中に炭水車の軸焼けが発生。

2017(平成29)年5月12日、梅小路運転区全検出場。


5月19日、北陸本線・米原~木ノ本間にて試運転(試9291レ・試9292レ)

6月13日、下関総合車両所新山口支所(旧小郡機関区)へ貸出で、到着は15日。

11月25日、山口線にて"SLやまぐち号"の牽引において本線復活運転。


翌26日、C57-1号機と重連で"やまぐち号"を牽引。

2018(平成30)年7月6日、新山口から梅小路への帰路途中にて西日本豪雨(平成30年7月豪雨災害)に遭い、広島駐機中にJR全線が被災したために、そのまま駐留。

9月9日、山陽本線の西側が全線復旧。


翌10日、EF65-1132号機に牽かれて新山口へと回送。

9月29日、豪雨後"やまぐち号復活運転"の記念ヘッドマーク"がんばろう西日本"を掲げて復活運転。

10月6日、台風25号の影響により"D51-200号機・80周年記念"の"やまぐち号"運転取り止め。


と、D51-200号機の80年の生涯を記してみました。

全検などの記録は省きましたが、多分、主だったものは全部拾ったと思います。

D51-200号機のこれからの歴史、いったい何が待っているでしょう。


ますますの繁栄と活躍を祈りながら、この記事をD51-200号機に捧げます。

さて、当日ですが。

文頭でも触れましたが、最初は晴れていたのですけど、だんだん雲が厚くなってしまって。


時折、薄日が射すものだから、露出や発色が難しかった日でした。

冒頭の写真は別として、2枚目以降は時系列で列べています。

時間割りについては、撮影場所は先週と同じなので、気になる方は参考にしてくださいませ。


ラストの2枚は、出区からの転線待ちで3番ホームに駐機中で。

機番は不明ながら、厚狭機関区から移設されたD51の第3動輪と併せて。

今年は明治維新150年と言うことで、12月まで運行される"やまぐち号"を牽引する、80歳を迎えたD51-200号機・・・・なのでタイトルは『D51-200号機 80周年記念やまぐち号』に、したかったんでよ本当はねぇ。

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盗難防止の日。

鉄道関連の盗難が無くなりませんし。

自転車の盗難も無くなりません。

欲しい気持ちは分かりますが、それを強奪しようも思う気持ちは理解できません。

体育の日は10月10日・・・・ってのも、忘れたくない記念日ですね。

今はハッピーマンデーで移動してしまう休日になってしまいました。

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