終戦記念日2019 / 戦艦大和 movie set 2005 -⑧ | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

終戦記念日2019 / 戦艦大和 movie set 2005 -⑧


今日は終戦記念日です。

1937(昭和12)年7月7日の支那事変から始まった日本の第二次世界大戦は、1945(昭和20年)8月14日に降伏する閣議決定が行われて、即日、連合国側へ伝えられました。

翌15日の昭和天皇による詔りによって、国民にも伝えられました。

実際の終戦の日は、降伏文書に調印した日付けで、9月2日となります。

事実、8月15日以降も日本と連合国との戦闘は行われており、全ての戦闘行為が終了したのは8月末期でした。

終戦記念日はあくまで記念日として制定された日であり、終戦の日とは異なります。

終戦記念日
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さて、今日は去日の広島平和宣言2019全文をUPします。

『今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。

このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。

二度の世界大戦を経験した私達の先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私達は今一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。

特に、次代を担う戦争を知らない若い人たちに、この事を訴えたい。

そして、そのためにも1945年8月6日を体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。


「おかっぱの頭から流るる血しぶきに 妹抱きて母は阿修羅に」

また「男女の区別さえできない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出して、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身血まみれの人、人」という惨状を18歳で体験した男性は、「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私達の苦痛は、もう私達だけでよい」と訴えています。

生き延びた者の心身に、深刻な傷を負い続ける被爆者の、こうした訴えが皆さんに届いています。

「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができると、信じています」という当時15歳だった女性の信条を、単なる願いに終わらせてよいのでしょうか。

世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば、願いが実現するという事例がたくさんあります。

インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。


「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです」

現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、私達一人一人が立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力するという"寛容"の心を持たなければなりません。

そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、また、被爆者や平和な世界を目指す人達の声や努力を自らのものとして、たゆむことなく前進して行くことが重要となります。

そして世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて、共に前進しなければなりません。

そのためにも被爆地を訪れ、被爆者の声を聴き、平和記念資料館、追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい。

また、かつて核競争が激化し緊張情態が高まった際に、米ソの両核大国の間で"理性"の発露と対話によって、核軍縮に舵を切った勇気ある先輩がいたということを、思い起こしていただきたい。


今、広島市は、約7,800の平和首長会議の加盟都市と一緒に、広く市民社会に"ヒロシマの心"を共有してもらうことにより、核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。

世界中の為政者には、核不拡散条約第6条に定められている、核軍縮の誠実交渉義務を果たすと共に、核兵器のない世界への一里塚となる"核兵器禁止条約"の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。

こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。

その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んで、リーダーシップを発揮していただきたい。

また、平均年齢が82歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を充実するとともに「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

本日、被爆74周年の平和記念式典にあたり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。


令和元年(2019)年8月6日 広島市長・松井一実』

続いては要旨ですが、安部首相の挨拶です。

『今から74年前の今日、原子爆弾により、十数万とも言われる貴い命が失われました。

街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。

一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。

核兵器によってもたらされた広島と長崎の悲劇を、決して繰り返してはなりません。


唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた努力を、たゆまず続けること。

これは令和の時代においても、変わることのない我が国の使命です。

新しい時代を平和で希望に満ちあふれた時代としなければなりません。

近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています。

我が国は、核兵器のない世界の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ、被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります。

核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく決意です。


明年は、核兵器不拡散条約発効の50周年という節目の年を迎え、5年に一度のNTP運用検討会議が開催されます。

この会議において、意義ある成果を生み出すために、一昨年、ここ広島から始まった核軍縮に関する"賢人会議"の提言などを十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。

私達には、唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を、世代や国境を越えて伝え続ける努めがあります。

被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと若い世代へと語り継いでいく。そして広島や長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。

そうした取り組みを我が国として、着実に推し進めてまいります。

被爆者の方々に対して、保険・医療・福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、今後も、被爆者の方々に寄り添った援護施策を総合的に推進してまいります。


特に、原爆症の認定について引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。

令和元年(2019)年8月6日 内閣総理大臣・安倍晋三』

続いて同じく要旨ですが、湯崎県知事のあいさつです。

『74年前、この地は原爆により、あらゆるものも人も破壊され尽くしました。

しかし、絶望的な廃虚の中、広島市民は直後から立ち上がりました。

水道や電車をすぐに復旧し、焼け残りでバラックを建てて街の再建を始めたのです。


市民の懸命の努力と内外の支援により、街は不死鳥のごとく甦りました。

今、繁栄する広島には、国内外の多くのお客さまで賑い、街の姿は紛争後の廃虚から立ち上がろうとしている国々から訪れる若者に、復興の希望を与えています。

しかしながら、私達はこのような復興の光の陰にあるものを、見失わないようにしなければなりません。

緑豊かなこの平和公園の下に、あるいはその川の中に、一瞬にして焼き尽くされた多くの無辜の人々の骨が、無念の魂が眠っています。

辛うじて生き残っても、父母兄弟を奪われて孤児となり、あるいは街の再生のため家を追われ、傷に塩を塗るような差別にあい、放射線被曝による病気を抱え、今なおその陰に怯える、原爆のためにせずともよかった、筆舌に尽くし難い苦難を抱えてきた人が、数多くいらっしゃいます。

被爆者にとって、74年の時が経とうとも、原爆の被害は過去のものではないのです。


そのように思いを巡らせる時、とても単純な疑問が心に浮かびます。

なぜ74年経っても癒えることのない傷を残す核兵器を特別に保有し、かつ事あらば使用するぞと他を脅すことが許される国があるのか。

それは広島と長崎で起きた、赤子も女性も若者も、区別なく全て命を奪うような惨劇を繰り返しても良い、と言うことですが、それは本当に許されることなのでしょうか。

核兵器の取り扱いを巡る間違いは、現実として数多くあり、保有自体危険だというのが、アメリカ国防長官経験者の証言です。

近年では核システムへのサイバー攻撃も、現実の脅威です。

持ったもの勝ちと言うのであれば、持ちたい人を押し留めるのは、難しいのではないのでしょうか。


明らかな危険を目の前にして、これが国際社会の現実だと言うのは、"現実"ということばの持つ賢そうな響きに隠れ、実のところは現実逃避しているだけなのではないでしょうか。

核兵器不使用を絶対的に保証するのは、廃絶以外にありません。

しかし、変化を生むにはエネルギーが必要です。

ましてや、大国による核兵器保有の現実を変えるため、具体的に責任ある行動を起こすことは、大いなる勇気が必要です。

唯一、戦争被爆の惨劇をくぐり抜けた我々日本人にこそ、そのエネルギーと勇気があると信じています。

それは無念にも犠牲になった人々に対する責任でもあります。


核兵器を廃絶し、将来世代の誰もが幸せで心豊かに暮らせるよう、我々責任ある現世代が行動していこうではありませんか。

広島県としても、被爆75年に向けて、具体的に行動を進めたいと思います。

令和元年(2019)年8月6日 広島県知事・湯崎英彦』

最後に、やはり要旨ですが、アントニオ国連総長のメッセージです。

『1945年8月6日の壊滅的な出来事は、核兵器が決して再び使用されないようにするための、世界的な努力を引き起こしました。

勇敢な生存者である被爆者に導かれ、広島と長崎の人々は、その先頭に立ち続けてこられました。


核戦争がもたらす人的代償がいかに大きいものかを、私達に思い出させてくれる彼らの勇気と道義的リーダーシップに、世界は感謝の念に堪えません。

悲しいことに、今日、私達は国際安全保障環境の悪化を目の当たりにしています。

核保有国間の緊張が高まっています。

何十年にもわたり、世界をより安全にしてきた軍縮や、軍備管理制度を疑問視する声が聞こえ始めています。

私達はもう一度、被爆者が世界中に広めてきた重要なメッセージを、思い出さなくてはなりません。

それは核兵器の使用を防ぐ、唯一の確実な保証は、核兵器の完全な廃絶であるということです。


核軍縮は、1946年の国連総会の、まさに最初の決議テーマでした。

その目標は、昨年私が発表した軍縮アジェンダの基盤となっています。

本日、私は世界の指導者たちに、この目標に向けて一層努力するよう、再び呼び掛けます。

戦争で初めて核兵器が使用されてから74年目の今日、およそ1万4,000発の核兵器が未だ存在し、その多くがいつ発射されてもおかしくない警戒態勢にあります。

この危険を低減し、最終的になくしていくために、私達がすべきことがたくさんあります。

広島の人々の不屈の精神に動かされ、私は被爆者や総ての人々とともに、私達皆の共通目標である「核兵器のない世界」の実現のため、全力を尽くすことを誓います。

令和元年(2019)年8月6日 国際連合事務総長・アントニオ グレテス』


終戦記念日の式典は午前11時51分から、新たに即位された天皇陛下をお迎えし、令和最初の全国戦没者追悼式が行われます。

第二次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属の約230万人と、空襲や原爆などで死亡した一般市民約80万人に対して、正午から1分間の黙祷が捧げられます。

式典には先述の通り新天皇・皇后両陛下と、三権の長である内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、国会に議席を有する政党の代表者、都道府県知事、都道府県議会議長などが参列します。

また、各都道府県遺族代表、一般戦災死没者遺族代表、原爆死没者遺族代表らも参列します。

今回の写真は、これまでもUPしてきた46cm三連主砲ですが、最後の写真となります。

そして副砲です。


全写真の中で、1番のお気に入りの写真が、今回の記事にあります。

主砲身をバックに25mm三連高角機銃の銃口を撮ったもの。

この写真が、何となく1番好きな写真なんですよねぇ。

副砲は元々、最上型巡洋艦からの転用ですが、世界的に見て巡洋艦にとっては、あれが標準的な主砲です。

これまでの写真のように、人が主砲の側にいる写真が、1番その巨大さを知れる写真ですが、副砲の写真も撮ることによって、世界最大の大和の主砲が、どれだけ大きかったかが判る存在です。

ただ、いくら高性能な主砲を3基搭載していたとは言え、それを上手く戦略的に使えなかったのも現実です。


戦争が終わり、これだけの技術力を軍事利用ではなく、インフラや平和利用に注ぎ込めば、国民の生活も豊かになる・・・・。

実は憲法9条には、そんな願いも込められていました。

戦後の復興の基礎には、大和で昇華した弱電技術が一般家庭へと広がり、冷蔵庫や洗濯機や掃除機、そして空調器として国民の暮しを豊かにした、その遺産がありました。

そして零戦をはじめとした航空機の技術と融合し、幻の名車・トヨタ2000GTや世界を馳せた伝説のニッサンスカイラインGT-Rを産み出し。

世界の新幹線として、今尚、進化しつつ生き続けています。

今日は今日の日本ために、命を賭けた先人たちに感謝と追悼の気持ちを送りつつ、平和な現代をしみじみと感じて過ごしたいものですね。

では、大和の連載は、あと2回です。

あぁ、それと今日は台風10号が・・・・家でおとなしく過ごします。

-留意点-

8月15日は天皇陛下が詔を発した日として、引揚者給付金の起点日に終戦日と定義されていることから、戦争放棄をした日本国憲法に基づいて「終戦記念日」と呼ばれます。


正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈願する日」と言います。


停戦命令者は8月15日に出されていますが、実際に連合軍との戦闘が終了したのは8月下旬となっており、法律上の「終戦の日」は降伏文書調印が行われた9月2日です。




May the world be filled with peace and happiness.




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