JR九州・783系
北海道の国鉄781系の次形式として登場した、JR九州の特急型車両783系です。
頭数字の7が表す通り、交流区間しか走れない上に、民営化後の車両なので南国九州のみで運行されます。
そして783系は、民営化後のJRグループ初形式でもあります。
1988(昭和63)年3月の誕生で、もう約32年も経っているし、そんな紹介説明なんて、今さらなんですけどね。
でも、デビューした頃の白い顔にシルバーボディ、赤いストライプだったカラーリングも好きでしたが。
南国風の派手なカラーリングは、そこはJR九州ってところでしょうか。
さて、今回の記事は昨年の9月に全写真と上段の文面までを"下書き(非公開)"で、今まで放置していました。
いつも"記事の編集・削除"一覧に表示されていて、そろそろいい加減にどーにかしないと(笑)と、今回公開してみました。
出し惜しみするような写真ではないので、取って置きにしていた訳ではないです。
正直にカミングアウトしてしまうと、九州だけではなくJRグルーブの特急型車両の全形式に対して、興味が持てないという訳ではないのですが、愛しくないというのが正解だったりします。
お出かけするのに乗って利用するには、とってもいいんですけどね。
ということで、JR型特急の写真が実は少し貯まってる・・・・そんな現状です。
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プロレスの日・・・・この日は日本にプロレスが誕生した日でもなければ、プロレスの試合が初めて行われた日でもありませんが。
敗戦から8年後の、まだ日本は貧困と挫折に満ち溢れていた時代だった1953(昭和28)年7月30日に、元力士だった力道山(りきどうざん)氏が日本プロレス協会を起ち上げました。
その2年後の1955(昭和30)年2月19日に、日本で初めてプロレスで、本格的な国際試合が開催されました。
初めての国際試合の対戦カードは、力道山・木村政彦 VSシャープ兄弟で、3本勝負1ー1から3本目は時間切れ引き分けだったそうです。
戦後の高度成長期へ突入する直前、日本人に希望の光を感じることが許され始めた時代、突然現れた日本復活という自信と誇りの象徴だったようです。
この3年後に151系特急こだまが運転開始され、9年後には東海道新幹線が開業します。
そして東京オリンピックでした。
ちなみに力道山の弟子の内、双璧だったジャイアント馬場が立ち上げたのが日本プロレス、アントニオ猪木が立ち上げたのが新日本プロレス。
ジャイアント馬場が死没した後に日本プロレスから独立したのがノアでした。
今年1月29日、このアメブロを運営するサイバーエージェントが、ノアを買収して100%親会社になりましたね。
私が好きなレスラーは、やっぱり佐山悟と三沢光晴ですが、理由はお分かり・・・・ですよねぇ(笑)