なんとか無事に出産しました。

7年ぶりとは言え、カテゴリーとしては経産婦。
一人目よりは楽なお産になるはずだとリラックスして心構えをしていましたが、、

予定日から約一週間、、
自分でも早く産みたかったのと、
羊水がやや少なめ、ということもあり、
病院で陣痛を誘発して産むこととなりました。

薬の力を借りればすんなりいくだろう、
と思ったのに。。
入院初日は経口薬の力を借りるも、本格的な陣痛には至らず投与終了。相変わらず子宮口は2cmくらいのまま(10cmで出産になります)。
2日目は点滴で。
2、3分おきに30回くらい息を吐き続けて耐えるくらいの陣痛まできたものの、
たいして子宮口は開かず、
お医者さんの
「やっぱり自然な陣痛にのってこないね。今日はこれ以上してもしょうがないかもね。薬は一旦やめてまた明日」
との一言に絶望感が募ります。

お医者さんの言う通り、薬を止めると間隔が空いてくる陣痛の中、
明日はもう帝王切開を懇願しようと決意しながら、その夜病院のお風呂に入ったところ、
お風呂で急に強い陣痛が頻繁に来始め、
なんとか服をきて、ドライヤーまでかけたところで、心配した助産師さんが見に来て、部屋に連れ帰ってくれました。
そこから本格的な陣痛となり出産に至りました。
お風呂に入ったのが夜10時、出産が朝5時。
そこからカウントしても7時間。
入院してからは実に41時間。。
実際に耐えがたい痛みにのたうち回ったのは正味12、13時間、というところでしょうか。

といっても、初期のころの陣痛だけでも男性には耐えられないと思いますが。
耐えられる、耐えられないではなく、
耐えるしかないのですけれど。

出産の痛み、
腰の骨が、お尻の骨が、産み出すために崩壊していくようなあの痛み。この痛みを身体が自ら作りだし、出産に至る、というのは本当に神秘的です。
(最中は意識朦朧でそんなこと考える余裕はありませんが)
「産みの苦しみ」という表現を作ったのが女性であれば納得できますが、男性には軽々しく使ってほしくないくらいの言葉です。
でも、激しい痛みの先にたどり着くべくゴールがある、という意味をよく表している言葉だと思います。

ちなみに、
この分娩の苦しみ
というのは

知恵の実を食べてしまったイブに神様が与えた罰なのだと聖書にはあります。

イブよ、なんてことを!!チーン
罪深すぎます。

子孫を残してきた全ての女性、
古今東西、
身分の貴賤を問わず、
この痛みを体験
(昨今の無痛分娩が登場するまでは)
してきたと思うと
女性というのは何という業に苛まれているのだろうと思います。

夫と息子ちゃんは
私の話をきいて、
僕たちは男でよかったね〜

と話し合っていたのだとか。
(ちなみにコロナの影響で立ち合いも入院中の面会も禁止)

君たちの遺伝子を残すために女性にこんな痛い思いをさせるのだから、
一昔前なら、
男が前線で戦って当然、
今なら仕事で戦って当然、
と叫びたくなります。

今では分娩方法も進化してますし、
アメリカと日本の考え方の違いなんかもかなりあるかな、と思います。
次回はそのことなどについて。

とりあえず今は無事出産できた喜びと、
イブへの恨みと
ボロボロの身体の中、
3時間おきの授乳生活に浸りたいと思います。