子供の育つ環境と脳の関係に興味を持つ | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

最近、精神分野が大いに脳と関係があるとして興味を持っています。

私の感覚として常にあるのが
心がどこにあるかと聞かれたら、脳にあるということなんです。

私は、自分の感情は自分の脳に支配されているというふうに感じていました。

自分自身の身体、その一部である脳が、
自分の感情を操り、自分を悩ませている、という考え方です。



まず興味深い得た浅い情報にて


虐待や家庭内暴力を経験している子供は、脳内の〝脅威や警戒を察知する領域が活性化〟するそうです。

PTSDの3大症状である
①再体験(フラッシュバック)
②回避(想起させるトリガーを避ける)
③過覚醒(些細なことで怯える、不眠症状)

③に大きく関与していると思われます。

これはまた、行動面として多動で落ち着きがなくなったりすることもあることが言われています。




そして、様々な虐待により、子供の脳は変化していくことが研究されているようです。


例として夫婦喧嘩を頻回に目にする子供は、脳の視覚野の一部である舌状回といった部分が通常の約6%減少することで、語彙力・理解力が低下するのだとか。


過干渉で育てゆくと、脳の扁桃体が変化し、大人になってもビクビクするようになると言われています。
扁桃体は情緒的・感情的なモノを処理したりする働きがあります。
強い不安や恐怖、緊張などが続くと、扁桃体が過剰に働くことにより抑うつ症状を引き起こしやすくなるそうです。


子供がこれ以上見たくないと思うようなものを見せ続けるような視覚的虐待
視覚を司る脳の視覚野が縮小し、記憶力・認知力が低下することが言われています。
視覚野は情報処理能力に長けるとされています。


兄弟・他人の子供と比較するといった虐待
脳の線条体の働きが鈍くなり、アルコール依存症や薬物依存症等を引き起こしやすいとされています。
線条体は意思決定、喜びや快楽を感じることと関与していると言われています。



今挙げたいくつかの項目らは、私の得た少ない情報の更に少なく浅い情報でしかありませんが、

今ザッと挙げただけでもこんなにも子供の育つ環境と脳の関係が強く、具体的に関与していることが考えられています。

し、考えられます。




結果としてよく言われているのが
〝虐待を受けて育った子供は脳が萎縮する〟ということです。


それが実は、私としてはイマイチあまりピンときてなかったのです。


虐待を受けて育つと脳が萎縮する?

なぜ?どういうふうに?それが結果的にどうなる?

というのは常に疑問でしたし、今でも疑問ですが、


私は自分自身で常に自分の頭がフル回転しているような感覚、等があって(一番最初に挙げたPTSDの3大症状のうち③の状態である可能性も高い)

虐待ありきの自分の脳の早いような動きがある、ような
なんとなくでしかないんですがそんな感覚がずっとあって不思議だったんです。




もし、機能不全家庭で、こんなふうに育っていなければ

今、こう行動を起こすことによって、こういった結果をもたらし、こう動くだろう

だとか


逆に結果から逆算して、この結果を引き起こすためにはこういった要素が必要だ、その要素を引き出す為にはこういったことが必要になってくる

だとかいったことを行動しながら考える、ことはここまでなかったかなと。



また、例えばの話ですが、先程述べた視覚的虐待に関して
子供がこれ以上見たくない、と思えば視覚野が縮小するのかもしれません。

しかし、視覚的虐待が存在すれば必ずしも子供が〝これ以上見たくない〟と感じるとも限らないのです。

私の場合も視覚的虐待がありましたが〝私が見ないで誰が見るんだ〟〝この状況を変えられるのは私しかいないから常に目を張っていないといけない〟とばかりに考えていました。

しかし、それは恐怖心からくる見なければいけないという強迫観念のようなものな気もします。


以前お世話になった主治医には「そんな小さな子供が大きな大人達を救えるわけがなかったでしょ?何もできなかったでしょ?」と言われました。

それを言われて、
確かにそうだよな、あんなに頑張って気を張る必要なんてなかったよな、と思いました。


父親はアルコールを辞めてから、母に対するDVは減ったものの消えることはありませんでした。
しかし、私は気のせいか?と思うこともありましたが、つくづく思うことがあったのです。

〝父親は私の目を盗んでDVしているな?〟と。

父のDVを真っ向から、被DV側の母が抵抗するのとは別で
否定するのは家族で私しかいませんでした。

父は少し私に怒られることを怖がっているように思えました。

この家を支配しているのは自分だ、という気分から
自分の行動を崩したり否定したりするような存在に恐怖心があったのでしょうか。


私の見えないところで、だとか、バレないように、だとかそういったことがよく見られたので
発見次第、父を怒鳴りつけては、母に謝罪するようお願いしていたのです。


しかし、父は根本から
どうして自分のした暴力がダメなことなのか全く理解できていないようでした。


私の前で謝った振りをしては、メランコリーに謝れって言われたから謝っただけだと言い放っていたのです。

じゃあ、自分が同じことをされたらどう感じるのかと説明しても理解力に乏しく話になりませんでした(とりあえずその場でDV自体は収まりますが)。

しかし、父の大切にしているファイルには
たくさんの〝お母さんいつもごめんね〟と書かれたテープが貼られてあり

〝(それが何故ダメなのかは理解できないが)謝らないといけないようなことを普段からしているのだ〟

といったレベルの認識はできているようでした。
それが本当に反省しているのだ、とか、相手に誠意を見せたいだけだ、とか
そういった父の感情的な部分は別として。


そんな話を最近母としていたら
「メランコリーの目を盗んでやることはあったね」と言っていたので
あ、私の気のせいではなかったのかな…?

と少しは考えられました。


それなら、同じ環境下で育った弟が
お姉ちゃんが介入するから自分は必要ないと無意識に感じた可能性も高いです。



といった、一概にこういった虐待や環境があるから
子供はこういうふうに脳がパターン化されていく、とも言い難いのではないかと考えているのです。



といったぶっちゃけオタクのような話はネットでしかあまりできないので
独り言のように書きたいように書きました。


長々と読んで下さった方はありがとうございます。



読んで下さった方は、

私は多くの研究論文を読み漁ってるわけでもないし、研究者でも何でもないので
ホンマでっか!?程度の気持ちで見てあげて下さい。