弟とは | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

続編


自分が精神科に通っていると

〝同じ環境で育った兄弟はどうして精神科に通っていないのか〟と思ったりすることはあると思います。

どうしても自分が苦しんでいるとばかりに思い込んでしまい
精神科に通わなくても日常生活に支障をきたしていない兄弟達と比較してしまうのです。


では、弟は全くもって精神を病まなくてもいい程に苦しまずに幼少期を送っていたか?

と考えると

私は本人に聞いたことはありませんが、
絶対にそんなことはないと自信を持って言えます。

その当時、幼い時は泣いていましたし、物心がついてからは家では自分の世界に閉じこもり殻を作り無口で話さない弟でした。

しかし、そんな弟ですが、外ではリーダーシップを発揮し目立っていたと聞きました。

となると、やはり家にいるとどうしても殻に閉じこもりたかったのであろうとしか考えられません。


例え環境が良かろうと悪かろうと
兄弟として別の人間である限り、違うタイプになるのは当たり前。


ですが、弟が精神科に通わずにいられている理由については全くもってわかりません。


同じような環境で育ち、ほぼ同じように育てられた弟です。


私は家にいる時に余計なことを考える時間がとにかく嫌でした。

物心つかない頃から字を書いたり絵を描いたりしていたと聞きました。

幼稚園に入る頃には子供用の図鑑を買ってもらい、国旗や天気の仕組みを覚えたり図書館に行っては偉人に興味を持っていました。

小学生の頃も今住んでる地域に移ってからはすぐに虐めにあったため友達はあまりできず、暇であったため読書や勉強ばかりしてました。

1日4ページやってきなさいという指示の宿題を20ページやるのが日課になり、
結果として読書冊数の多い生徒、宿題提出の多い生徒として1位となっていたため

いじめっ子には「これ以上宿題をやるのはやめて」と言われ(だったらお前が私と遊んであげろよ)、勉強ドリルを買ってもらい2学年上のものまでやっていました。

それくらい暇でしたし、異常に〝退屈な時間が嫌=何かを考えていないと気がおかしくなりそうだった〟のです。

そんなこんなで小学校、中学校と入学式の代表挨拶に選ばれることもあり
優等生として育ってしまった自分自身。

しかし、そういった面で親に躾けられたことは一度もありません。


私が勉強している姿を見ては「こんなに勉強していては疲れないか」「いつも勉強しててエライね」と言われていました(そういった褒め言葉等が私の心に響くことは全く無く、親が話しかけてきて気持ち悪い、といった感覚しかありませんでした)。

親に教育面に関してこうしなさいと言われたことはありません。

金銭面には少し厳しく
塾に通うのはダメ、習い事をするのはダメ、ゲームを買うのはダメと許されませんでした。



身体的・精神的虐待については私に対しても弟に対しても殆ど変わらなかったというふうに認識しています。


しかし、弟は
大して金のかからない姉の下に生まれたからか、ゲームを小さな頃から何台も買ってもらっていましたし、習い事もしていました。

その時から自分(弟)主体で興味を持ったことはさせてもらえてたような気がします。

しかし、成績は良くはなく、かと言って悪くもない普通の子でした。
勉強があまり好きではなくて宿題も手がかかっていました(それだけ他にやりたいことがやれるなら勉強しないでしょうね)。

なので、親に「お姉ちゃんは頭が良いんだから、勉強しなさい」「見習って宿題をしなさい」とよく叱られていました。


私がどうして、私にはそういうことを言わないのかと聞くと「お姉ちゃんは言われなくてもやるからだ」と言われました。



けれど、弟も友達があまりいなかったのか、
私が外に出ると自分も出ると、どこまでも付いてくるような子で、
私が友達と遊ぶ機会がある時も一緒に付いていきたいと言われていたので
友達にも了承を得てずっと一緒に遊んでいましたし、

両親の喧嘩が始まると両親に聞かれないように2人で紙に愚痴を書きあったりしていました。
凄く仲が良かったんです。昔はね。



しかし、私が中学にあがって半年後くらいから
私は家に帰ることがほとんど無くなりました。

警察沙汰になることや
学校の先生からの呼び出しがあったため
その時に親と顔を合わせて家に帰るような程度で、

だからその間の家の事情は何も知りません。

ただ、あの父親が私が帰ってこない、悪さをしている、ことをネタに八つ当たりとして母親にDVしていた可能性は十分にあります。

私もそこまで考えていましたが、その時に一緒にいる友達と同じ時間を過ごすことに重きを置いていたため、
親のために帰るというのは馬鹿馬鹿しくて仕方なく心配ではありましたが、考えないようにしていました。


しかし、親との関係性とは全く別件で医学部に行きたいという夢だけを持ち、そのことは話していました。


中学3年にあがった頃に進路を聞かれた時に
行きたい高校は友達と同じところ、大学は医学部に行きたいとだけ考えていて

その旨を先生達に話した時に
初めて、普通校(専門校=工業・農業・商業高校等以外の高校)じゃないと厳しい、進学校じゃないと厳しい、大学に行くために試験がある、ということを聞き


そこでまた勉強に再び立ち向かうことになりました。
大学に行くために勉強、試験が必要であることを知らなかったので。

でも、時既に遅し、行ける高校は普通校の偏差値が一番低い(30台)高校のみ。
そこから頑張って大学に行くしかないと決意し今に至るのです。


私にとって失われたその中学学生生活の間に、弟が家でどう過ごしたか知りませんが、そのタイミングから

弟と私は同じ場所に居合わせても一切会話をしなくなりました。
最初は思春期なのか、と思いましたが、成人してからもそうです。

確かにあんな家庭の中、弟を1人残すことになってしまったのは辛い思いをさせることとなったでしょう。


私は高校に入ってすぐに大学受験のための勉強を始めました(なのでちゃんと家には帰ってます=家で寝てます)。
その頃弟は中学生ですが、いじめられているという話を耳にしたことがあります。

ですが、私はどうしても予備校に通わせてほしいとなんとか親を説得し、高校2年から予備校に通い、
そこから家にいる時間が減りました。

なので、その間も正直よくわかりません。


ただ、私が中学生の時に父親が弟に「いつまで寝てるんだお前もあんなふう(お姉ちゃんみたいに)になりたいのか?」と暴言を吐いていたことを覚えています。

しかし、私が高校の頃は「昔みたいに良い子になってるね」と言われました。


そういう気分で評価をコロコロ変えるような父親だったので。

私は大学に本当に合格することができ、ちょうどその頃弟はスポーツに専念するようになっていました。




父親は「お姉ちゃんは医学部だ、弟はスポーツを頑張っている」と近隣住民に自慢して話していたらしいです(その時恐らく既に癌だったでしょうね)。

弟は中学生の頃もまた可もなく不可もなくといった感じで勉学には励み、
努力すれば進学校に行くことはできるし、努力しなければ簡単に普通レベルの普通高校に行くことができる(内申点かな)と言われ、後者を選んだそうです。


そこでやりたいことが見つかってそれに向かって頑張ってるのならどこに行けど良いと思いますけども。



どちらにせよ、ポジティブに動いた面で考えると
私も弟も
自分でやりたいことを決めて自分で努力して自分で結果を出している、ように見えます。


親が両親ともに進路に対して金銭面以外ではあまり口出ししないような人だったので親のレールに敷かれた人生にはどちらともならなかった。



しかし、この差は何なのだろうと思ってしまいます。
一見、弟の方が苦労してるようにも私には見えます。

なんだか、自分がどういうポジションでいるか、どの程度の距離感で親と接するか、どれが自分の精神衛生上一番良いのかといったことを考えて過ごす方が良さそうですね。 

分類されるアダルトチルドレンで例えるならば
弟は〝ロスト・ワン〟タイプに回るようにしていたのではないかと考えられます。


弟に悩みがあったとしても、
3秒あれば寝るような人ですし、睡眠も浅くなく、アルコールも家では一切摂取せず、夜中に家から出るようなこともないので
病的な範囲で症状が見られるとはなかなか考え難いです。


私の主治医が言っていました、身体の健康作りが精神的な落ち込みを防ぐことに凄く効果的であることを。


弟はスポーツをしている上で、体調管理には人並み以上に気を遣っているためなのでしょうか。


私と同様に
人を特別視すること(この人とは他の人よりも仲が良い、と言える特別な存在を認識すること)が難しそうなイメージはありますけども。


真相は謎です。