看護観 | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

この病棟の中でその時を懸命に生きているのは誰か?

患者だと思います


ご家族が面会に来る患者もいらっしゃいますが、

会いたい時に会いたい人に会えない、
食べたい時に食べたい物を食べられない、
なんなら食べることさえできず経管栄養、
排泄も自由にできない、
そんな生活の中患者によっては抑制帯で縛られ
少しの自由も効かない


そういった患者がいつも目にしているのはベッド上から
眺められる白い天井ばかりです

そういった生活を何ヶ月と送っているわけです

その生活の中で一番患者と接する機会の多い人間が
看護職なわけです

そういう存在である看護職が、接する度に
辛く当たってきたり、あまり親切じゃなかったりしたら
患者はきっと嫌な思いでいっぱいのライフスタイルを送っていることになります

更にはターミナルの患者もいらっしゃるわけですから
残り少ない人生の中で
嫌だな、怖いな、辛いな、という
気持ちばかりを味わって人生を終えるのは非常に辛いことと思います

ただでさえ苦痛なこの環境の中
如何に患者が少しでも喜びなどを感じることができるだろうか
もう少しレベルを下げて如何に不快な思いをせずに過ごせるだろうか

そういった細かな部分をチェックして介入していくのも
看護職の仕事だと思います


例えば失禁してシーツもオムツも全て汚してしまっている患者がいたとします
認知症で意思疎通が困難であっても
快・不快を感じることはできるはずです

そのシーツを見ても交換せずにそのまま放置して
仕事を増やさないように、早く終わらせられるようにする看護師はたくさんいます

患者も渋々あの人達は忙しいのだから我慢するしかない、仕方ないと耐えているのだと思います



では、自分が歳おいてそういった生活を送ることになり
看護師にそういったことをされたらどうですか?
何も言えませんよね

あなた達だってそうしてきたのですからね

患者は生まれてから職に就き家庭を築き病気を患い入院を経ているという
看護職の殆どの方がまだ経験をしていない一つの人生経験をしているのです


私は外来にしろ任意入院にしろ医療保護入院にしろ救急入院にしろ
患者でいる機会が心身健康な人よりは少なからずあったと思います


だから鼻に管を通すにしろ、尿道に管を入れるにしろ、睡眠時間や起床時間も病院のリズムに縛られていることでさえも

一つ一つが苦痛な時間であることを身に染みて感じてきました


もちろん高齢で手術までしている患者ほどではないですが、
それでさえも苦しかったのです


業務の多忙さ、人間関係の大変さ、はありますが

患者にとっては一看護師でしかないことを日々意識して考えて行動していきたいです
(業務の多忙さ、人間関係の大変さといったストレスは病棟勤務外で処理しましょう)

それが今一年目の私が考える看護観です