セクマイの屈辱 | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

先ほどもブログに書かせていただいたんですが、

やっぱり受け入れられなくてですね。
書きたいように書きますね。


声が出なくて仕事ができないことにも困ってますが、声を出そうとして
精一杯力振り絞って出した声が

〝マジ女〟

ありえねえよもう

僕は物心ついた頃から低い声を出すように意識してたみたいです。

身長も低いし顔も童顔だから
声が低いということだけが
僕が女っぽい要素じゃない身体の一部分として
凄く大事にしてた部分だったんです。


僕がFTXであることを自覚したのは大学の頃で。

義務教育課程って男女で分けられること多いと思います。
ランドセルなんかも僕の時代は赤黒でしたし。
そういった頃から、正直言って
「かなり不愉快だな」とは思っていました。


でも、それが普通の感覚ではないということを今まで知らなかったんです。


父親に「ランドセルは黒が良かったよ」ってそのまんま言っても「そうだったか、ごめんね」って言われた覚えがあります。

友達にも「ランドセル交換しようよ」とかって言っても別に性別がどうこうという話になったことがそもそもなくて。


中学にあがってからは制服になりますが、スカートは殆ど着用しませんでした。
体育着のズボンで登校してました。
高校もそうしてやってきました。

僕は一言で言うと性自認が身体の性別と一致していない。

だけど、それはみんなも同じことだと思って過ごしていました。
僕だけじゃなくてみんながそんなふうに一致してないと思ってそれまでやってきてたんです。


友達と甚平着る時も男用を僕は着用しましたが、それについて何も言ってくる人はいなかったです。

そういうのもあってなのか、、

だけど、高校に入ってから
女制服で入学したのに学ランに制服を変更してる生徒が次々と現れました。

「え…そんなことできるのかよ…」って思って
僕もじゃあ学ランにしたい!って思ったけど一旦女用の制服を買ってしまったし、予備校にも通わないといけなくて金なく却下。


その辺りからなんとなく
ああ、他の人は普通に身体の性別と性自認が一致してるんだ…(もしくは性自認というものがあるんだ…)っていうのを意識し始めました。

でも、僕から言わせればその感覚が逆にわからないのでわからないですけど、


僕はFTM、ではないので
マジで性別がない感じなので、自分にしっくりくる性別があるっていう感覚がマジでわからないです。


(だけど今出せる声が女声であることが凄く嫌で嫌で気持ち悪いけどね)




女だからこういう服を着る、男だからこういう服を着る
という概念で洋服も着ていないし見てません。
どちらの系統も着ます。
自分が良いと思ったものを着ます。


だけど「女の子だもんね」って言われると酷くショックを受ける自分がいます。


「男だからこうなのかな…」といった友達の言葉もよく耳にしますが
そういうのとか耳が痛いです。


男だから、女だから、
そんな単純に人間二分割してたら
僕なんて地球にきっと存在できない生物であるし、だけど存在してるわけだし。


性別も戸籍外では無限に何分割にでもできるものだと僕は思っている。



というわけで、僕は今このどうにもならない声が嫌すぎて苦しくてとにかく苦しいつらい。


今までの低い声が一生出なくなってしまったらどうしようとばっかり思っています。


あーマジ泣きてー



ちなみにだが
無記名アンケートでは性別答える時
いつも男にしてるんだけどな。