国家試験さえ受ければ後は別の道に進もうと思ってました。
だけど、僕の人生は僕だけの人生じゃないなと思いながら将来的なことを考えて
渋々看護師をやろうと思い立って、実際やってみたら
こんなに楽しいと思わなくて、
こんなに自分がハマると思わなくて、
気付いたら自分の人生の一部にすっかり必要な存在となった仕事でした。
だけど、看護師って
正直言うと
心を無にできる人こそが生き残っていく世界だと実感させられました。
心を無にする、というか。
患者より自分を守る、というか。
決して、僕が患者の気持ちや状態を第一に大切にしてるが故にそれが直接的に疲労に繋がっているわけではありません。
ただ、周りが残酷過ぎて、
僕の心が荒んでいくんです。
まるでその人たちにケアされている患者のような気分になります。
患者本人を目の前にして「臭い」「汚い」と平気で言葉を吐く人が多くいます。
患者はそんな言葉をかけられたくて今の状態にいますか。
あなたが同じ状態になって他人にケアされる時にそんな言葉を投げかけられたらどういう気持ちになりますか。
患者が殴れば殴り返すし。
正直、とても心が痛いです。
精一杯生き延びてる患者に対してナースステーションで「あいつまだ生きてるの?」と言葉を吐くスタッフもいます。
僕と同じ1年目ですよ。
考えられません。
ナースコールがうざい、だの、訴えがうざいだの、患者の文句ばかり。
前もブログに書いたかもしれませんが、
患者は24時間以上いつまで入院するかもわからない落ち着かない家でもない病院という場所で、家族でもない他人にケアされる日常を送り続けているのです。
そして、息を引き取る方もいるのです。
僕たち看護師は、
勤務帯が、トイレに行けないくらい忙しくても、休憩に入れないくらい忙しくても、水分摂る時間がなくても、
仕事さえ終われば自分の家に帰って好きなように過ごし、好きなように身体を動かし、ある程度は好きなように生活はできるのです。
患者にリスペクトの気持ちを持つこともできない人らがプロを語ってるんですか。
それが看護業界ですか。
僕はそんな言葉聞きたくもなくて、とても人間の口から出る言葉とは思えなくて、とてもしんどい。
一時は僕が部長にこれらのことを言うなりしてこの病院を改善していこうか、師長になるまで上に登って今の業界を改善していこうか、とも考えましたが、殆ど無理に近いと諦めてます。
これはもう意識的に変えられるものではないし、厳しい、自分自身が疲れ切ってて余裕がない時に出る
ある意味、その人たちなりの人間の部分でもあるのですから。
僕と似たような看護観を持ちながら働いてる看護師なんて殆どいないのが現実です。
みんな働く前は、患者さんの為にだとか色々綺麗事並べてるかもしれないですが、
働けば人って変わります。
自分が窮地(患者より全然窮地じゃねえんだけど。忙しいのも含めて仕事なんだから)に追いやられたら
結局は忙しいのを患者のせいにして患者責めてばっかの周りにうんざりしていました。
どこの病院に移っても働いてる看護師がそうなら、
僕はもう看護師として働くことは無理なのかもしれないと諦めかけていました。
それでも、同期のみんなが
早く戻ってきてよと毎日のように連絡をくれるので、みんなに会いたいなとは思っています。
みんなと一緒に仕事したいな、みんなとまた飲みに行きたいな、とは思うけど、
なかなか限界に近い気がして、
それを他人に言われたことで改めて実感させられました。
やっぱりそうなのか、と。
だから実際に休職という形に今なっているわけですしね。
休職中ももちろん患者のことで頭はいっぱいです。
あの患者は今どういう状態になっているだろうか。
ちゃんと幸せに安らかに眠れただろうか、それとも家に帰れただろうか、まだ病院に閉じ込められているのだろうか。
休職して1ヶ月以上経った今ではそんなことばかり。
最初は、同期にどんどん追い越されてしまう、できてたことができなくなってるかもしれない、夜勤もまだ入ってない、そんな焦燥感ばかりでしたが、
1周回って僕にとって1番大事なのは、患者の人生、患者家族の気持ち、これに限るので。
患者がどのように人生を終えるか、それを如何に良いものにする為にどれだけのことができるか、
それまでの間どれだけの幸福感を味合わせることができるだろうか、
家族をどんな気持ちで支えていこうか。
医師ですら残酷で、
僕は結構急変に当たるタイプだったので、急変慣れはしてる方だと思うのですが、
医師が来るなり、ご家族に言い放った言葉が
「今日で終わりっすね」
そう言って立ち去り、ご家族は涙ぐんでいました。
僕にかけられる言葉なんてたかが知れてますが、
「〇〇さん、今は酸素状態も良いですし、凄く頑張ってらっしゃるので、一緒に頑張っていきましょうね。〇〇さん、誕生日が僕と同じなので、入院した時からずっとみていたんですよ。なかなか同じ誕生日の方いなくて、〇〇さんが生まれた何十年後に僕が生まれたって考えると凄いことですよね。」と話したり等して。
僕がフォローできる言葉なんてこの程度のことしかないけど、
少しでもご家族の方が「ありがとう、ねえ、お母さん、メランコリーさん同じ誕生日なんだって。」とかって言ってくれたら、
その、ありがとう、という言葉が本当の気持ちなら
僕はほんの少しでも痛みを和らげることができただろうか、と考えるに考え。
他の看護師が患者に暴言を吐いた後も、その看護師がいなくなった後に
「ごめんなさいね、全然気にしないでいいんですよ。そんなこと本当に思ってるわけじゃないですからね。」と、フォローを繰り返し、
それなのに、周りの仕事は遅く、何をしてるから一体そんなに時間がかかっているのかもわからず、ペアが帰らないから帰れない時間が続き、
精神的にも身体的にも疲れました。
身体的に追いつけば精神的に疲れててもやっていけるんですが、
身体に症状が出てしまうとどうしようもないです。
師長と最近電話をしましたが、「今は状態が良くても、また復帰して悪くなったりしないかな。」と言われ、僕も全くの共感をしてしまいました。
看護職を続けていく自信を失っている状態ですよね。
といった感じで、意地でも張って
傷病手当金なんて貰わないと師長に断言しているのですが(ちゃんと貰いなさいと言われてはいる)。
戻れるのかな…。
また話は変わりますけど、
寂しくない自分に寂しさを感じる時がたまにあって、
〝寂しい〟という感情はつい最近?までの
僕のアイデンティティの一部でもあったような気がしています。
だけど、その感情が消えてしまって、
その弊害も少しはあったりして
寂しさを失うことも寂しいな、というか
余りに極端な変化をしてしまったなと思っています。
たぶんBPD患者どころか、健常者以上に寂しさがないと思うんですよね(周りの話を聞く限り)。
あの時の僕は何故いつどこへ行ってしまったんだろう。
と、ふと寂しくなる時があります。
でも、それってきっといなくなってしまった自分が寂しいだけですよね。
特に誰かを求めてるわけでもなくて。
今日簡単なアプリで適当に音楽を作ってみたんですが、自分で聴いてて暗い気分になってきて、
(笑)
僕の本当の心底にある気分を表してるのかなとか深読みしてしまって(笑)。
あの時の僕はどこへ消えてしまったんだろう。
あんなに寂しさを埋める日々を追い求め、寂しさという穴に埋れて
埋めるに埋めて全て零れ出してしまうような偽りだらけの日常生活を送っていた、
あの時の僕は一体…。