久しぶりの更新 | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

お久しぶりです。

ブログを書きたいのですが、PCが壊れて以降なかなか手が付かず、でいます。

日常生活が忙しいというのもありますが。

最後に通院したのは、恐らく、4月とか。

だけど、もちろん毎日薬は飲んでいます。
薬を飲まないと眠れないのはたぶん一生変わらないことで、背負っていかないといけないことなので。

私は境界性パーソナリティ障害の診断が付いて以来(厳密に言うとそれ関連の薬でODし、事故を起こし車を廃車にして以来)、

ベンゾジアゼピン系の抗不安薬等も処方してもらえない為

眠るための薬さえあれば今は日常生活には困らないみたいです。


私の症状というのも相変わらず落ち着いてはいます。

もちろん、本当に健全で明るくて前向きな人と比べれば
情緒不安定で気性が激しい部分はありますが、病的とまでは言えないかな、とは自分では思っています。

少なくとも過去一年以上前と比べると。


潜在的に抱える希死念慮もないですし、
以前のように〝生きていて一秒一秒が辛い〟とか、死にたいとか思うこともなかなかないです。

去年一度だけ、ぼんやりと(ハッキリと方法まで考えるようなレベルではないものが)あったかな?


最後にODしたのは去年の9月です。

それも50T程度で済んでいます。


もう時期一年はODしていないですし、その他自傷行為もしてないです。

そういった日常生活を続けています。


今の私には、正直やりたいこともたくさんあって、
もちろん看護師という職業も続けたいけど

本も出版してみたいし、企業もしてみたいし、普通に結婚して家庭も持ちたいし

今は、人生足りないな、とも思ったりもするけど。



自分の中で、どのレベルから病的で病的じゃないかとかっていうのも
どこかハッキリわかっていて
感覚、といったらアレなんですが、

境界性パーソナリティ障害の症状が強く出ていた当時の自分、というのは
今症状が収まっているからこそ、

本来の自分とは違う自分=症状による自分=病的な自分

というふうに認識ができます。


だから、今日常生活で自分の中に病的な自分がいないということは
逆に言えば今の自分が自分の全てありのままなんです。

病的な自分が見え隠れしたりすることもあるけど、そういう時は予兆があったりなんとなく、わかったりするので

状況を回避したりすることで、なんとか本来の自分だけで今は生きている気がする。

けど、私はHSPだと自分ながらに思う、こともあって少し生きづらい。

もう少し自分のことだけを考えて生きていきたい、というのも少し語弊のあるような感覚で、

もう少し厳密に言うならば、

〝他人のことを必要以上に気にせずに生きていきたい〟
〝もう少し自分の脳内に入ってくる他人の情報を減らしたい〟
という感覚。

HSPに関しては、少ししか調べてないですが、
これは感覚の問題なんだって思って、なるべくシャットダウンするようにする他対処法がないんだなと思っています。

必要以上に気付きすぎるし、考えすぎてしまう、見えなくていいものが見えてしまう

だから私は昔から一人でラブホテルに行ったりなんかしていたんだなって

自分なりにその時その時で対処法はその都度見つけながら生きてきたみたいです。


という序盤でした。

文脈等考えずに思うままに綴りました。