老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

今の世に信じられない嘘のような自分の体験

2020年07月05日 | Weblog
7人姉妹の下から2番男一人の私、女子は学校を上がると紡績や住み込み奉公に出る小学4年になった妹は夏、
冬休みは住み込みで子守に出て、家には小学6年の私と母、 田舎で男性達ちは山に入り木炭を焼く作業、
その木炭の入れ物を編むのが田畑のない母たちの主な仕事でした、夏場は農家の仕事、秋になると山に入り
スズキの葉の落ちたものを集めてきて保存するのですが、春早く、材料がなくなることがあります。そこでまだ
雪のある道を登り、秋にまだ若かったスズキを集める、葉っぱには氷が、それを素手でむしり取り荷を作り、
束ねたものを担いで遠い山道を帰ります。その途中、母が荷を捨てるように地面に置くと無言で、一生懸命に
足をさすり始めました。挫いたのでしょうが私には何が起きたのか分かりませんし、ただ見ているだけでした。
しかししばらくすると、荷を担いで今までのような足取りで家に帰り、家に帰ってから挫いたことを聞きました。
ただ、この事だけなら今取り上げることもなく私も忘れて居たかも分りません。 

それから数十年後徳島に帰り、訓練所を得て鉄工所をすることになり、少しずつ経験を積んて゛鉄骨で住宅を
建てる仕事も貰えるようになったある日、人里から少し離れた造成地の中に建てた鉄骨、木造住宅には、
棟上げとか建前とかは賑やかですが鉄骨は数日で少ない人数でやってしまうので賑やかさはないです。
それでも昼間はレッカーや鳶職、職人がいますが5時には皆帰ってしまいます。早く現場を済ませたいので
皆帰った後も、出来るだけ仕事をし、辺りが薄暗くなりだした頃、急いで片付けをしていて、いきなりぎっくり腰、
痛くて立つことも出来ず、このままでは家に帰る事も出来ませんし、とっさに出た言葉は自分を叱る事です。
自分に活を入れる事しかなかったんです。当時はまだすぐに迎えに来てくれる人もなく、来てくれたとしても
自分が動けないのは困ります。周囲には誰もいません、声を出して自分に活を入れていました、暫らくすると
いきなり何事もなかったかのようになったんです。それから片付けをして帰りました。その事があってからは
以前母も自分しか頼れないその時の気持ちが分かり決して忘れることが出来ずこの年をおくっています。










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