歳をとることの意味!安らかな人生を送るために

人は歳と共に成長していくと言います。

本当なのでしょうか。

自分は世渡りが上手くなっただけで決して成長していると感じることはできません。

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孔子の世界

約2500年前の中国に孔子という思想家がいました。

孔子曰く、人は30歳にして立つ、40歳にして迷わず、50歳にして天命を知る、60歳にして耳順う、70歳にして自然の法則から外れない悟りの境地になるということを書いています。

意味としては50歳にもなると自分の生まれてきた使命を知り、60歳にもなると他人の言葉を自然と受け入れることができ、70歳にもなると自然の真理にかない悟りの境地になると言っています。

 

自分を含めて、世の政治家・著名人などを見ているとそんな人は一人もいないとさえ思います。

最近北方領土問題で戦争発言した政治家の行動を見ていると、私欲のためだけに生きているとさえ感じてしまいます。

 

歳を取るということ

還暦になるまで生きてきても、子供の頃の自分の心と変わらないと思うことがありす。

心が成長していくというよりは、油絵のように昔の心の上に新しい心を上塗りしていくようなイメージです。

 決して子供の頃の心が無くなる訳ではなく、新しい心の下に隠されているだけと感じます。

学生の時は学生のような心を上塗りして、就職したらそれらしい社会人の心を上塗りし、子供ができたら親らしい心を塗り込んでいくのです。

社会的に偉いといわれる立場になったら、そのような手本になる人を真似て偉そうに振る舞っていくのです。

 

人は歳と共に成長するのか

子供の頃は皆思いやりがあり優しく純真です。

自分と他者の区別なく考えるので自分のことのように他者も大事にします。

しかし小学生の後半にもなってくると成績・スポーツなどの競争心が芽生えてきます。

自分を他者より良く見せるように振る舞うのです。

 

そうなると競争に勝つために皆自分と他者を区別していくことになるのです。

自分より優れた人に嫉妬したり憎んだりする心が強くなっていきます。

そうなると他者を愛することは非常に難しくなってきます。

 

就職してからも益々他者との競争が激しくなってきます。

同期で一番早く昇進したいとか、一番美人な女性と結婚したい、有名IT企業の彼氏を射止めたいなど欲望が膨らんでいくのです。

 

そうなると家族親戚などの身内の人以外は皆敵とみなしてしまい愛することはできなくなるのです。

もしも他者を愛することができると言う人でも、利害関係を愛と錯覚していることも多いのです。

 

こんな人達がはたして孔子が言うような立派な成長ができるのでしょうか。

個人的には、人は成長しているように演技をしているに過ぎないと思います。

先ほど書いたように心の上に様々な思いを上塗りしているに過ぎないということです。

 

例えば本心は違うけれども親切で思いやりのある人に見られるような心を上塗りしていくのです。

決して成長していることにはならないのです。

 

フラッシュバック

普段は上塗りした一番新しい心が今の自分を支配していますが、何かのきっかけで古い心が表に出てくることがあります。

 

例えば酒に酔っぱらった時、重大な事件が起こった時、身内に不幸が起きた時などです。

今回の北方領土問題で戦争発言した議員は酔っぱらって発言したと言いますが、いつも立派に演じていた化けの皮が剥がれて本心が出たに過ぎません。

失言の言い訳などをテレビで見ていると幼稚園児程度の頭であることが分かります。


人は自分の基本的な本心からあまりにもかけ離れた日常を送っていると、思わぬ行動をしたりうつ病などの心の病にかかることもあります。

 

あまり表面には出てきませんけれど、一流企業の重役が赤ちゃん返りをするクラブに密かに通うというような、180度立場が違う行動に惹かれてしまうこともあります。

サドとかマゾ嗜好のクラブなどがありますが、それも普段の行為とは違う事への憧れではないでしょうか。

 

多重人格的な生き方

子供時代からの心の上塗りが上手くできず、多重人格的な性格になることもありま

す。

今行っている事が、どの上塗りの心を使えば良いのか分からなくなってくるのです。

子供時代に受けた虐待などが原因になるようです。

 

しかしほとんどの人の場合は、本心との違和感があるにしても自分でその瞬間瞬間に一番適した自分の心を引き出して演じているのではないでしょうか。

 

回帰

還暦も過ぎて定年して社会的に演じることも無い年代になってくると、心の葛藤が生まれてきます。

自分の本心ではない生き方に対する後悔の念のようなものです。

自分の本心に生きなければ苦しいことが分かってくるからです。

 

何か忘れ物をしてきたような違和感なり焦燥感が出てきます。

そんな中で上塗りしてきた自分の心に疑問を感じ、逆に上塗りした心を外したくなってきます。

それがいわゆる老人の子供帰りなのではないでしょうか。

 

子供の頃の心が自分の本心だったことに気付くからです。

上塗りされた心を剥がしていくことは簡単なことではありません。

しかし本当の自分に気づくためには必要不可欠なことなのです。

それがうまくできた時に初めて心の底から湧き上がる安らかな心境が待っているのではないでしょうか。

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