人生はなぜ苦しいのか

学生の時も社会人として働いてからも、定年退職し後期高齢者になった後も人生は苦しいものです。

もちろん楽しいこともたくさんあります。

例えば第一希望校に合格した、好きな人と結ばれた、希望の職種に就職できた等、ある瞬間の喜びは叶う可能性が少なかった事程嬉しく感じるものです。

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喜びは長続きしない

しかしどうでしょう、叶った夢も三か月もするとほとんどの喜びも薄れて、あんなに喜んだことが嘘のように感じるのではないですか。

喜び勇み希望校に入り三か月もすると様々な困りごと、友人とのトラブル、希望した学部内容でなかったなど様々な苦しい事が起こります。

大好きな彼女と結婚するまでは夢のような二人の世界だったけれど、いざ結婚すると相手の荒ばかりが見えて当初の喜びも嘘のように感じてしまいます。

 

また希望の職種に就職しても、数か月後には全く違う部署に飛ばされ、同期のライバル関係に嫌気がさした等次から次へと思わぬ苦しみが襲ってくるものです。

退職してからも同じことが言えます。

忙しく40年間働き詰めで遊ぶこともままならなかった人が、退職したら好きなことができると楽しみにしていたがいざ退職してみると、することなすことがつまらなく感じて時間をもて遊ぶようになったりします。

これはほとんどすべての人に共通する苦しみなのです。

坐禅とは

2000年以上前から人類は瞑想、坐禅などを行ってきました。

坐禅とは何も考えずにただ座ることが基本になります。

何か雑念が起こっても、その思いを否定しないでそのまま放っておくと自然と消滅していきます。

 

坐禅を行う上でよく言われることは、何かを期待して坐禅をするなということです。

たとえば坐禅をして集中力を付けたいとか、健康になりたいとか動じない強い心を持ちたいなど、何かを期待して行うと必ず何かを失うということです。

 

これはよくある西洋の願望達成法とは全く逆の発想です。

願望法はなりたい自分を強くイメージすれば夢は叶うとか、常になりたいイメージを持ち続けなさいなどといわれます。

自分も若い頃はアメリカの有名な人が書いた願望達成法にはまり、数年続けましたが全く夢は叶わなかったし精神的にバランスを崩したこともありました。

今考えると、そんな願望法で100万人に一人くらいは夢を叶える人もいますが、ほとんどの人には全く逆効果になります。

 

坐禅では作務といって、床の掃除をしたり、雑草を抜いたり落ち葉を拾ったり、何も考えずにただもくもくと作業をします。

座って坐禅をするのと全く同じで、床をきれいにしてやろうとか雑草を上手く取ってやろうなどとは考えずにただひたすらに行うのです。良し悪しは考えず、ただ行うことに専念するということです。

このことが昔から坐禅で一番大切なことだといわれてきました。

一般的な思考

我々は子供の頃から、良い学校に入るために勉強しなさい、体の健康のためにスポーツをしなさい、常識的な教養を付けなさいなどと言われてきました。

何か良い事のために努力をするということが生きることだと教えられてきました。

 

しかし数千年前から続く坐禅の世界では全く逆の考え方なのです。

坐禅では何かを期待して行うと必ず何かを失うという発想なのです。

子供はなぜ楽しく振る舞うのか

小学生の低学年以前の子供を見ていると、何をするにも笑顔で楽しそうに振る舞っています。

それは何も期待しないで何かを行っているからです。

遊ぶのがただ好きだから楽しいのです。

そんな子供を何処角度から見ていても楽しさがにじみ出ているものです。

 

ところが小学生も高学年になってくると、他者との優劣、好きでないことを強制される等により、何かのために行動を起こすという考えになっていきます。

 

今行っていることが将来の役に立つというような思考法です。

これは何かを期待して人生を送るということです。

ただ夢中で遊ぶことが楽しいという子供の状況から段々外れていくことになるのです。

そうなると人生はつまらなく味気ないものに段々なっていくのです。

人生はなぜ苦しいか

人生はなぜ苦しいか、それは何かをするときに必ず何かを期待して生きるからです。

小さい子供は何も期待しないで生きているから、どこから見ても楽しそうに見えるのです。

しかし大人になるにつれて何かを期待して生きるようになり、その時から苦しい人生が始まるのです。

 

何も期待しないで何かを行えば人生は楽しいことだらけになります。ただ行うことに専念すると世界は開かれるのです。

生き物の中で思考を持っているのは人間だけです。

動物は決して悩まないし苦しみません。

それが宇宙の本当の生き物の姿なのです。

宇宙では人間は極めて異例な生き物なのです。

 

何か足りない物を得ることが、人生の生きる意味では決してないのです。

宇宙は、動物や植物、昆虫のようにただもくもくと生きることに適したように作られたのです。

人間のように何かを得たり達成することを目標にしても、決して最終的には喜びは得られないのです。

コロナウイルスよりも人間は宇宙に適していない存在なのです。


何も期待しないで生きているから人生は楽しいのです。

色々書きましたけど、一言で言うと考えないで生きるということが、今の人類に欠けているということです。

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