竹内結子に思う

あっという間の出来事とはこのことなのか。

平成の吉永小百合とも言われていた竹内結子が逝ってしまいました。なぜ人が羨むような人生を歩んできた人が自死を選んでしまうのでしょうか。

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身近な人の死

人生も半場を過ぎた人は、身近な人で自殺を選んだ人を数人見てきたのではないでしょうか。

自分もこれまで4人ほどそんな人を見てきました。

いずれも竹内結子と同じような突然の自死でした。

しかも皆、人も羨むような境遇の人達ばかりです。

 

例えば優秀な国立大学を卒業し順風満帆に出世するように見えた人、家を新築して露天風呂まで庭に作った人、幸せな結婚をしたばかりの若い女性など傍から見たら幸せそうな人達ばかりでした。

そんな人たちなのでその衝撃は皆すごいものでした。

 

自死する人は皆大きな悩みがあり、消耗しきって死んでいくものなのかと若い頃は思っていましたが皆その逆でした。


偽りの幸せ感

そんな幸せそうな人達ばかりだったので、色々考える機会がありましたがどうしても分かりませんでした。

不幸な気持ちを完璧に隠していたのかとも疑いましたが、誰しもそんな痕跡はありませんでした。

本当にどこから見ても幸せそうな人達ばかりでした。

人の気持ちは本当に謎だらけだと本当に思います。


そんな死

人生の価値観は千差万別です。

そんなバカなことと思っていることでもそうする人は世の中にはたくさんいます。

死ということもそれと同じことなのではないのでしょうか。

 

大半の人は、死は恐ろしいこと、悲しいこと、苦しいことと考えますが、もしもそれが輝かしいことと思っている人がいても決して今の時代不思議ではありません。

自分の人生の頂点で、自分の夢が叶ったその時に自分は死んでも良いと考えている人がいても違和感が無いのが今の時代なのではないでしょうか。

 

過去を振り返ってみても、著名人で人生の頂点で亡くなっている人はたくさんいます。

裕次郎、ひばり、プレスリー、マイケルジャクソン、尾崎豊、木村花、鷹野日南、三浦春馬など病気自死を含めても若い死はたくさんあるのです。

そんなことを考えると、人生には良い悪いではなく何かを成し遂げた時に、そんな死からの誘いが来るような気がしてなりません。

それが運命だったような痕跡を残して、、、

それが人生というものなのです。

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