余りにも残酷なソ連軍侵攻による日本女性たちの性被害の実態

 

戦争で犠牲になったのは、兵士の方々だけではなく

日本人婦女子がどれほど凌辱され悲しみの中

亡くなっていかれたのか

その屈辱を思う時

胸が張り裂けそうになります。

満州、朝鮮半島からの引揚者の中で多くの女性たちが

秘密裏に堕胎手術を受けました。

 

 

二日市保養所(ふつかいちほようじょ)は、福岡県筑紫郡二日市町(現筑紫野市)にあった厚生省引揚援護庁の医療施設。ここでは、レイプ被害に遭った日本人女性(引揚者)に堕胎手術や性病の治療を行った。終戦直後より在満・在朝日本人は塗炭の苦しみを味わうことになった。追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちに斃れた者も少なくなかった。これに加えて女性は、朝鮮人やソ連兵、中国人等による度重なる強姦を受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいた。そして強姦により妊娠・性病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が少なからず出た。

 

 

満州の地にソ連軍が侵攻し、婦女子が集団暴行されました。

余りにも悲惨なことが行われました。

戦後生き残った女性が歴史の事実を語り継いでおられます。

 

 

 

 

余りにも残酷なソ連軍侵攻による日本女性たちの性被害の実態

              下差し

ねずさんのひとりごとより転載

若槻泰雄さんが書いた「戦後引揚の記録」という本があります。
そこには以下の記述があります。
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ソ連兵の日本婦人への暴行は、すさまじいの一語に尽きる。
それが12~3歳の子女であろうと、70近い老婆であろうと、そして人前でも白昼でも、また雪の上であろうとも、そういうことには全く頓着しなかった。

樺太の場合同様、女性たちは丸坊主になり、顔に墨をぬり、男装して難を逃れようとしたが、彼らはひとりひとり胸をさわって女であることを確かめると引き立てて行った。

南満へ疎開した人達が、終戦後また新京の自分の家に帰る途中、公主嶺の駅で進駐してきたソ連軍の列車とばったり出くわしたとき起こった事件は「誰知らぬ者もない事実だ」という。

それは、あわてて発車しようとする日本人の乗っている列車をソ連兵が止め、女は一人残らずプラットフォームに降ろされ、「白日の下、夫や子供や公衆の真ん前で集団暴行を受けた」のである。

もとより日本女性のすべてが唯々諾々とソ連兵の毒牙に身を任せたわけではない。
陵辱に耐えかねて、死をもって抗議する若い婦人、暴行から身を守ろうとみずから死を選ぶ人妻もいた。

例えば敦化の日満パルプ株式会社の社宅では、ソ連軍は命令によって男と女を分離させ、170人の婦女子全員を独身寮に監禁し、夜となく昼となく暴行の限りを尽くしたが、この際、23人の女性は、一斉に青酸カリによって自殺している。

(中略)

昭和20年8月20日頃であったろうと思う。
鞍山から新京守備のために北上したので新京の街は北も南もよく解らないが、たしか終戦の日から数えて4、5日たっていたと思われる頃の出来事だった。

そんな日、病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。

12~3の少女から20歳ぐらいの娘が、10名程タンカに乗せられて運ばれていた。
それはまともに上から見ることの出来る姿ではなかった。

その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。
大腿部は血がいっぱいついている。
顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞きとれない。

次の女性はモンペだけをはぎとられて、下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。

次の少女は乳房を切られて、片目を開けたままであったから死んでいるのかもしれない。
次もその次も、ほとんど同じ姿である。

「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」
次々と病室に運ばれて行く少女を目の当たりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も教養も平和の中にのみあるのであって、ひとつ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ・・・・。

一週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無惨、残酷さに敗戦のみじめさを知った。
銃で撃たれて死ぬのは、苦痛が一瞬であるが、自分の体重の三倍以上もある毛むくじゃらの男数名になぶられた少女や娘たちは、どんな苦しみであったであろうか。

医師の話では「10名に2~3名は舌を噛んで死んでいるんです」

新京でさえこのような惨状であったわけだが、ソ連軍占領下の治安は、一般的に小都会、田舎にいくほど悪かった。
毎夜、婦女子の一定数の割当供出が強要されたところもすくなくない。
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ブログの中でねずさんこと小名木善行先生が

「いま、私たちが平和な日本で生活できるのは、日本という国家があるおかげです。
国家の庇護を失ったとき、どんな酷い眼に遭わされるか。
その現実を、私たち大人はしっかりと記憶しておかなければならないと思います。」

と書かれた文章がこころに残りました。

 

今、一見平和に見える日本ですが、

日本を取り囲む世界の状況は、いつどうなっても

おかしくないような恐ろしい状況です。

一人一人が正しい歴史を知って

今の日本をほんとうに良くしていきたい気持ちに

ならなければ、いつまでも平和ぼけだと

いつ隣国の脅威に襲われるかわかりません。

 

終戦から74年が経って、あらためて戦争の犠牲になられた

方々のご冥福をお祈り申し上げます。

これからの日本の未来が二度と悲しい歴史を繰り返さないようにと

願います。

 

 

 

 

 

 

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