承認欲求のデメリット

すでに何度か書いていますが、私が生後8か月目頃から母が大病を患い長期入院を繰り返しながら人工透析を行っていた関係で、私はあちこちの親類の家に預けられていました。

記憶が有るのは4~5歳くらいからですが、その頃、私の中心に常時あった感情は「不安」でした。

先ず思い出すのは、「大人の都合から見て良い子でなければ、親類の家では大事にしてもらえない」という不安を強く持っていたことです。

だから大人達の気持ちを読んで先回りして行動して喜ばせたり、言外の意味を汲み取って期待に応えたりすることに一生懸命になっていました。

この性質は今でも変わらずで、この歳になっても、例えば小さな連絡事項においてもすぐに返事が無かっただけで「もしかしたらどう取られたのだろうか?」とか様々な不安を抱いてしまい、相手の意に沿えるように必要以上の気遣いをしてしまったり、普段の会話の遣り取りにも神経をすり減らしたりしてしまう事があります。

但しこの感情は私だけではなく、一般的な社会生活を営む中ですべての方が多かれ少なかれ経験する感情でしょうし、相手の気持ちを慮ることによって、社会性と人間関係の秩序が生まれるというメリットがあると思います。

また社会生活を通して子供ながらに自分自身が成長して行く過程で「気遣い」や「大人の都合」を受け入れる事は、感情面で「人生のバランス感覚」を養う上でも大切な生活態度だと思います。

別の角度から考えると、他者から認められ大事にしてもらいたいという承認欲求の現れでもあり、今でもこの承認欲求は向上心や自分自身を成長させていくために努力を惜しまない為の原動力にもなっているような気がします。

 

しかしながら、デメリットもあります。

会社を経営していると、「当てにされる」「頼られる」ことが頻繁にあります。

上で記したような性格から、頼られるとNOと言いづらく、本音では嫌々ながらも引き受けてしまう事も多かったです。

しかし初めは遠慮がちだった相手も、次第に頼ることに馴れ、簡単に頼って来るようになります。すると私は「頼られているのではなく、利用されているのでは?」と感じ不満や負担を強く感じるようになってしまいます。そう感じながらも、そんな小さな器の男だと思われたくなくて、その感情を隠すのです。

しかし、ある時ふと思いました。これは幼い時に親戚の家を転々としていたトラウマなのではないかと?

親戚を喜ばせることで、「僕はこの家に居て良いんだ」「この家にいる価値のある人間なんだ」と安心した時と同じです。

先方の期待に応え、多少なりとも恩を感じてもらうことで自分自身の存在価値を無意識ながらに確認していたのだろうと思います。また相手に私を「価値のある人間だ」と感じて欲しいという私の中の承認欲求が、依存しがちな人達を引き寄せてしまっていたのかもしれないと思うのです。

また本来私がするべきではない事にまで手助けしてしまうと、長い目で見れば本人の為になりません。

経営者ならば、もっと客観的・大局的・合理的な視点を持たなければならなかったのに、一部の他者の反応や評価を意識し過ぎて、経営者として正しい選択が出来ていない時があった。未熟であった。

と煩悶しながら、このブログを綴っています。

<お知らせ>

この度、丸竹コーポレーション株式会社では、健康経営宣言を行いました。

全国健康保険協会大阪支部様と連携を図り、全ての従業員が健康で元気に仕事に取り組めるよう健康経営の推進に努めてまいります。

 

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