フィレンツェのイタリア語学校イタリアンミーをサポートしています。最新の教授法、綺麗でモダンな教室環境の、今までになかったイタリア語学校です。留学ご希望の方、お気軽にご連絡ください。
https://www.italianme.it/ja/


上矢印クリック!



イタリアでは来週の月曜日からの”第2フェーズ”、つまり段階的な社会活動開始に向けてのお達しがあった。この2ヶ月できなかったことでできるようになること(長距離の散歩とか親戚を訪ねていくこととか、県内の移動とか)が増える。ニコニコ


これからの”復興”に向けての第一歩ということで嬉しいのと、気持ちが引き締まる思いである。・・・ただ、美容院とエステは6月からだって・・・てことはナニ?あと1ヶ月以上も自力でヘアスタイルをなんとかしろと?外出OKになっても大変だなあ。ガックリ


そんな中、昨日はオンラインで新しい日本語学習希望者との面談があった。その男性、Tさんは主に英語圏、ロンドン、そしてアメリカやオーストラリアといった新大陸でここ数年生活してきたのだがコロナ騒ぎでレストラン関係の仕事が難しくなり母国であるイタリアに戻ってきたとのこと。そしてこの転機に日本語を勉強したいと思ったそうだ。


ところで、私は日本人で今住んでいるところはイタリア。つまりどちらとも歴史がある国ということになる。日本では”欧米”と一括りにされているけど、ヨーロッパとアメリカには基本的に全然違う文化がある。それはなぜかというと、アメリカ創立の理念がヨーロッパのしきたりを脱ぎ捨て、”王を立てない、自由な社会”を目指したのだから当然といえば当然である。

そして、どーも、この新大陸の文化というものが自分に馴染まない。一言で言うと、フランクすぎる、のだ。真顔

私は決して堅苦しい人じゃない。むしろ初対面でも敬語を使うのは初めの10分くらいですぐに打ち解けてしまうし、見知らぬ人に話しかけられても全く躊躇しない。

でも、この新大陸独特のフランクさというのが、嫌なのではなくて、感覚が掴めないのである。どうしていいかわからない、と言った方がいいかもしれない。

昨日面談したT君は会話を初めて5分くらいですぐに「イイネー、ハシモト!スバラシイ」グッド!というような意味の(イタリア語で)ことを連発し始めた。


ハシモト?イラッ


ファーストネームの呼び捨てには慣れているし当たり前だが、苗字の呼び捨てをいきなり知らない人に、しかも生徒として接している26歳のワカモノにされると、悪気がないのは1000%わかっていてもなんだかいい感じがしないのは不思議である。うーん


”なんで苗字の呼び捨てがここまで不快なのか”汗


色々考えてみたのだが、


言葉というのはコミュニケーションで伝わる情報のほんの一部でしかなく、どちらかというと”なぜその言葉を選んで使っているのか”のほうが大切な要素だと思うので、やっぱりこの苗字呼び捨て事件の衝撃は彼の、”新大陸独特のフランクさ”が私にはピンとこなかったからなのかな、と思った。


まあそれにしても、このところ新しい人と会うのは久しぶりだったので良い刺激になった。彼のこれからの人生に幸あれ!である。