自分の才能を自覚する為には、中庸でその能力を発揮する事。 | キンジの自分軸哲学

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~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

※この記事は、2015/7/10の記事の、リライトとなっております。

 

 

自分自身の才能とか、利点ってものは、

あまり、自分自身では、解りづらいものではある事でしょう・・・・・。

 

 

また、

人によっては、

 

才能だとか、利点があるって、誰かから言われると、

逆に、意識し過ぎてしまい、

能力を発揮しづらくもなり、

普段出来ている事さえ、まともに出来なくなってしまうのもまた、

人間ではありますね・・・・・・・(^^;)

 

 

 

だからこそ、

 

才能とか、利点ってものは、

中庸の状態で発揮出来る事が、望まれるものでもありますし・・・・・・、

 

中庸で発揮するって事は、

「当たり前の状態にする。」って事をも、

意味していますから、

 

尚更、

普段から、PDCAサイクルの如く、

習慣化でもあり、

ある意味、

惰性のように繰り返す事が、望まれるものでもあり得るのです・・・・・・!!

 

 

 

またまた、

だからこそ、

 

お金をかける行為とか、

ビジネスってものを、

その行動のトリガーにしておく事は、

 

行動する為の、

自分自身以外の動機付けを、付け加えれるだけに、

望ましいものではあるのですが・・・・・・・、

 

だからと言っても、

それは所謂、

 

メンタルを鍛える手段でもあるので・・・・・、

お金とか、対価がかかっていないような部分にこそ、

 

そのような、

才能とか利点ってものを、置いておく事が、

 

何かと、

射幸性がかかってくるような、

メンタル負荷自体を、軽減する事にも繋がり、

メンタルを鍛えるどころか、

メンタルを現実的に、マネジメントしていく術とも、

なっていく事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

それって言うのも・・・・・・、

結局は、

 

漫画やアニメの世界と、

現実の世界ってものには、

剥離性が存在している訳でもありますし・・・・・、

 

実際の人って言うのは、

漫画のキャラクターのような、

神がかった、メンタルティを、持ち合わせている訳でもありませんし・・・・・、

 

その過信は、

何かと、無闇に、肉体の負担ともなっていくものでもあり得るのです・・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

 

人としての、

神性とか、メンタルティが、求められると言う事ですし・・・・・、

 

上記のような側面が存在するからこそ、

 

構造的なギャップにより、

メンタルティが、演出される事も可能となり、

 

客観的な視点からでも、

その凄みとか、才能とか、利点ってものが、

伝わるって事を、意味しているのです・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

それが、お金とか利益に、直結しているかどうかは、

いまいち解りませんが・・・・・・、

 

その解らないって事がまた、

 

素直に、

「良いものは良い。」とか、

才能を才能として、認めやすい事にも繋がり、

 

ある意味、

 

手放しで、称賛の対象になり易いものでもありますが・・・・・、

 

だからが故に、

 

そのような部分こそ、

キチンと、順々よく言語化しておいて、

序列ってものを、作り上げておく事もまた、

大事な事でもある事でしょう・・・・・!!

 

 

 

それらを踏まえて、

今回は、

 

自分の才能を自覚する為には、中庸でその能力を発揮する事。

 

ってテーマに沿って、考察してみましたよ〜(^^)/

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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