どもども。
キンジです。
※この記事は、2014/2/13の記事の、リライトとなっております。
感謝の心を持つって事が、
まぁ、
人間関係を良好にする為には、
必要とはなってくるのでしょうが・・・・・・、
ただ、
何とは無しに、感謝とは言いましても、
まぁ、
「ありがとう。」って言う風な、
言葉から始まるものにはなってくるのでしょうが・・・・・・、
そのような、
言葉から始まると言う風な、
一種のライトな、お手軽な感覚から始まるものでもあり、
ある意味、
インスタント的に始まるものでもあるのですが・・・・・・、
実は、
感謝の感情ってものを、
決して、侮ってはいけないって見解も、
必要になってくるものでしょう・・・・・・・。
何故ならば、
感謝の感情ってものは、
「失ったものに対する。」自分自身を納得させる意味合いも、
含まれたものでもあり、
突き詰めて行けば、
そのほとんどの場合において、
本質的な見解に、たどり着く側面が、存在するからなのです・・・・・・・!!
だからと言っても、
例え、本質的とは言っても、
本質を叫ぶ事って言うのは、
一種の、
毒性も含まれた概念でもありますし・・・・・・、
本質=死でもあるでしょうし、
本質=自我を通す事では、決して、
たどり着く事が出来ない見解って理解も、
必要なものでもありますし、
それでこそ、
健全な、本質に近くプロセスともなっていく代物でもある事でしょう・・・・・!!
だからこそ、
感謝の心ってものは、
勿論、大切なものでもあるのでしょうが・・・・・・、
それはただ単に、
ポジティブシンキングの為の要素だけに、
使うのは、どうも、頂けない側面も、
存在している事でしょう・・・・・・(^^;)
要するに、
どちらかと言えば、
感謝の心に付随する、
そのマイナスの側面こそが、
結局は、
自分自身の、人生のステージとか、
魂のステージを高めると言ったような、
人生でもあり、生活においての、
ゲーム性を高めていく為には、必要不可欠なものとなり、
そのマイナスの側面を、
自前で用意出来る事により、
それを、
流用・応用していく事によって、
少なくとも、
世界の在り方自体を変えると言ったような、
大それた事は、出来なくても、
自分自身の主観世界でもあり、
自分自身の個人の領域での、世界の見え方には、
はっきりと、変化でもあり、進化が訪れるものではある事でしょう・・・・・・!!
それによって、
行動スタンスでもあり、行動が変わり、
変にふて腐れる事なく、
所謂、
「クソゲー。」に向き合う事も可能になるって事ではあるのですが・・・・・、
その為には、
感謝の感情そのものよりも、
その前提となる情報に対する、
勿論、
自分自身の個人の見解でもあり、
もっと言えば、
自分自身の個人の問題でも結構なのでしょうが・・・・・・、
それを持って、
納得感を得る事や、確信を育成していく事自体が、
大事な要素になるって事なのです・・・・・・!!
それらについて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は下記から・・・・・・(^^)b
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