どもども。
キンジです。
※この記事は、2017/11/06の記事のリライトとなっております。
こう言うと、
元も子も無いとは思いますが・・・・・・、
そもそもとして、
「洗脳される必要性なんて、何処にも存在しない。」
って事が、
まず、言えてしまう事ではある事でしょう・・・・・・・・!!
何故ならば、
洗脳=環境や流れに流されると、
同じ定義でもありますから、
その定義から考察すると、
誰しもが、
多かれ少なかれ、環境や状況から、洗脳されてしまうものだとも、
言えてしまう事でしょうし・・・・・・・、
またまた、
流れに流される=セルフエフィカシー(自己効力感)を、
失ってしまうって事にも、
当てはまってしまう事でしょう・・・・・・。
だからが故に、
自覚的に、洗脳する術を、
構築する必要性があるとも言えますし、
そこにこそ、自分軸をおいて貰いたいもんではある事でしょう・・・・・・!!
要するに、
環境や状況如何にも関わらずに、応用・流用可能な何かってものが、
その為には、
必須の条件には、当てはまってくるものでしょうし・・・・・・、
それは、何も、
「仕事やビジネスの範疇に、含まれるもので無いといけない。」
って言う風な、
変な括り自体も、必要無いものだと言えてしまいます。
何故ならば、
仕事やビジネスの範疇に、収まってしまうって事は、
お金の論理で、全てが決定してしまう事を、
さし表す事でもあり、
お金の奴隷になりやすい側面を、
持ち合わせているからだとも、
言えてしまう事でしょう・・・・・・・!!
「お金の奴隷の何が悪い。」
と問われれば、
上記にあげた、
セルフエフィカシー(自己効力感)を、失ってしまう事と、
お金の大元ともなり得る、
価値の源泉たるものを、
他人軸に預けてしまう事が、問題であるとは言える事でしょう・・・・・・・。
要するに、
結果的に、お金の奴隷になってしまう事により、
自分自身を、安く買い叩かれる事になってしまいガチでもあるでしょうし・・・・・・・、
そもそもとして、
自分自身とか、自分軸ってものを、
お金だけの測りに、乗せてしまってはいけないとも言えるだろうし・・・・・・、
例え、
お金だけの測りに乗ってしまったとしても、
それ自体が、
結局は、
自分自身か、その相手を、裏切る事自体が、前提のスタンスとなってしまう事自体もまた、
必然ではある事でしょう・・・・・・・。
だからこそ、
お金の論理とは別枠として、
自分自身を、自覚的に洗脳する為の要素が必要となるとも言えますし、
その要素を持って、
仕事でもあり、ビジネスに向き合うって事自体に、
色々と、
付加的な価値が、宿っていくものではありますね・・・・・(^^)
また、
それらの要素を持ち合わせていたとしても、
そこに、
本当の意味での、応用性・流用性が存在していれば、
環境に洗脳されっぱなしでは無く、
環境に、キチンと適応する事が可能になるだろうし、
その為の、
自分自身の立ち位置でもあり、ポジションってものも、
便宜的に、企画して、創造する事が可能になるでしょうって事なのです。
まぁ、
そのポジションが、
仕事やビジネス的に、
上位のポジションとなるかはさて置き・・・・・・(笑)、
少なくとも、
自分軸に沿った、
世界観でもあり、ゲーム性を損なわずに、
その先の世界観でもあり、
その先のゲーム性を、
紡ぎあげて行く為の、糧となるような、
行動となる事自体には、
間違いが無いでしょうし、
それは結局は、
コミュニティ貢献という形で、
仕掛け側とか、仕掛けられ側を超越した、
自分自身の在り方に沿った、市場にとって、
何かと優位性を、構築していく行動となるでしょうって事なのです・・・・・・(^^)
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。
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