経験を活かす意味はコレ!!過去の出来事の捉え方が大事?? | キンジの自分軸哲学

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どもども。

 

キンジです。

 

 

※この記事は、2017/12/26の記事のリライトとなっております。

 

 

過去の経験を活かすとは言いましても、

何も、

同じ事を繰り返す事を、手放しで賞賛せよ。」とは、

いっている訳ではございません

 

 

 

が、

だからと言っても、

 

過去の出来事ってものは、決して、

無くなってしまうもんでも無い事でしょう・・・・・・。

 

 

 

だからが故に、

 

過去の出来事の捉え方ってものを、

自分自身の納得を得る方向性に書き換える、

 

もしくは、

 

納得を得た捉え方ってものを保持する、

 

自分自身の自己責任として、

守り続ける心構えってものが、

必要となるでしょうって事でもあるのです・・・・・・!!

 

 

 

要するに、

 

過去の出来事自体は、

書き換える事が出来ないが故に、

 

我々は、

新しく行動していく方向性ってものに、

ある種の、縛りってものが、

存在している事でしょう・・・・・・。

 

 

 

が、

 

その縛りってものは、

 

勿論、

 

器でもある肉体や、

自我のパターン性によって、

 

決定している側面があるが故に、

 

縛りであると同時に、

安心出来うる領域でもある、

コンフォートゾーンってものを、創造しているものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

だからが故に、

 

そのコンフォートゾーンを意識に上げてきて、

尚且つ、

 

そのコンフォートゾーンから、

飛び出すと言うよりは・・・・・・、

 

はみ出す事自体が、大切な要素となり、

 

そのコンフォートゾーンを保持しつつ、

はみ出す行為自体が、

 

自分自身にとっての、

微差の変化の領域となる事で、

 

結果的に、

 

未来視点でもあり、未来の展望としては、

大差の現実を、受け取ることが、

可能になるでしょう・・・・・・って事だと言う事なのです。

 

 

 

またまた、

 

過去の出来事ってものは、

自分自身の納得を得た経験であれば、

 

それはそのまんま、権威付る事自体が、

 

何かと、

同じような経験を持った方達にとっても、

力強くもあり、

勇気を奮い立たせてくれるものとはなる事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

だからが故に、

 

過去の出来事そのものと言うよりは・・・・・、

自分自身の納得を得る事が出来た経験ってものを、

 

まず、自分自身が守っていく必要性があると同時に、

 

少なくとも、

 

それを蔑ろにするって事自体が、

自分自身の主観的な、

人生の主導権を、手放してしまっていると言うくらいの、

認識を持っておいた方が、

 

何かと、

 

不要な自問自答でもあり、

自虐的な評価を、回避する為には、

必須になるでしょう・・・・・・って事なのです。

 

 

 

けれども、

世の中は、

 

情報的に見ても、

流動的でもありますから、

 

何かと、

 

上記のような、保守的でもあるスタンスってものは、

 

自分自身がルールとして、

保持しない限りは、中々、

 

流されがちになる傾向があるものでもありますね・・・・・・??

 

 

 

だからこそ、

 

その納得を得た経験を保持する、

もしくは、

 

その納得を得たコンフォートゾーンを保持しながら、

そのコンフォートゾーンからはみ出して行く為には、

 

その模範となりうる経験ってものを分析して、

 

行動に落とし込んだ上で、

 

自分でこそ、自分ならではの、

アート的な答えを、

便宜に応じて、用意していく心構えってものも、

必要となるものでしょう・・・・・!!

 

 

 

アート的ではありますから、

決して、

 

「解りやすい答え」ってものは、

そこには該当する事が無いものでしょうし、

 

「解りやすい答え」ってものは、

人々の、指標としては存在していても、

 

決して、

 

個人単位での答えには、ならないって事を、

忘れてはいけないものではあるのでしょう・・・・・・。

 

 

 

要するに、

 

人間のする事を、

大まかな概念的に見れば、

何かしらの結果を出す為には、

誰しもが、同じような行動を、

とっていくようには見えますが・・・・・・、

 

個人単位の、細かい行動まで、

自分自身で分析して、見ていく事が可能であれば、

 

そこには、

行動から描いていける、

ある種の、アート性ってものが存在するでしょうし、

 

それによって、

 

自分自身の内に存在する「答え」ってものが、

 

決して、

 

人と同じを目指す必要性すら無くなる事により、

 

自分自身のアイデンティティの追求を、諦める事無く、

 

役割分担の世界観によって、

他の人と協力し合って、コミュニティを形成出来うるであろうって事でもあるのです・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、そう言うのも、

 

僕自身が、

グループワークってものを、

苦手としている為でもありますが・・・・・・、

 

だからと言っても、

 

一人で出来うるだろう事柄を、

あえて、二人でするって言うのは、

 

まぁ、

 

ゲームとしては、

楽しめるものではあるでしょうが・・・・・(笑)、

 

能率的に見ても、アイデンティティの追求的に見ても、

能率が悪くなる代物ではあるでしょう・・・・・・。

 

 

 

 

要するに、

 

そのような場合においても、

 

僕自身の主観的には、

棲み分けの個人個人の、

役割分担として、捉えた方が、

 

何かと意義が存在すると同時に、

「楽しみが増える」事に、繋がりやすいって事ですね・・・・・・!!

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に、掘り下げておいた記事は下記から・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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