セルフエフィカシーとは何か??人生の主人公となる為には?? | キンジの自分軸哲学

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どもども。

 

キンジです。

 

 

※この記事は、2018/1/29の記事のリライトとなっております。

 

 

セルフエフィカシーと言いますと、

要は、

「やりがい。」とか、

「充実感。」といった類の概念の事でもありますし・・・・・、

 

結果的に、

モチベーションに繋がっていく概念の事ではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

また、

 

人生の主人公を目指すって事は・・・・・・・、

 

実は、

 

それ自体を目指す、体現する事自体が、

所謂、

 

ある種の、アート性を追求して、

体現していく事に、他ならないものでもある事なのです・・・・・・!!

 

 

 

・・・・・・っと言うのも、

 

結局は、

 

みんながみんな、

公共の場や、公衆の面前で、

誰も彼もが、主人公づらをする事を、

ちょっと想像してもらいたいのですが・・・・・・(苦笑)、

 

 

まぁ、

 

その中に混ざって見れば、

客観的に観て、

 

「うざく感じる。」のもまた、

 

人の自我の習性であるとも言いますし・・・・・・、

 

これだけ、

 

多種多様な人々で、

構成されている、社会の中で、

 

人とのまともな関係性を、構築していく為には、

 

逆に言えば、

 

いぶし銀となりうるような、

黒子な役割を、キチンと体現出来ているような人の方が、

 

何かと、

 

人との良い関係性を、築き上げ易いってのも、

何かと、理解可能なのでは無いでしょうか・・・・・・・??

 

 

 

 

要するに、

 

その為には、

 

陰徳となりうる行動ってものが、

必要となるものではあるのでしょうが・・・・・・・、

 

 

まぁ〜〜〜〜〜〜〜、

 

陰徳とか、言葉では言いましても、

中々、

 

自分自身の、根源的な欲求を持ち合わせている、

我々には、

 

いきなり陰徳と、結果的になり得る行動って言うのは、

 

あまり、

 

自分自身で意識しては、

とって行きづらいものでもあるのでは無いでしょうか・・・・・・・??

 

 

 

だからこそ、

そのような、

 

ベースとなりうる、

自分自身の、根源的な欲求を満たしながらも、

自分自身のゲーム性でもあり、

世界観でもあり、

アート性を持ってして、

 

 

少なくとも、

 

自分自身の主観的な領域においては、

「人生の主人公たる。」必要性も、

何かと出てくるもんでもありますし・・・・・・、

 

それでこそ、

 

ただの綺麗事のような、

無茶振りの自己犠牲をする必要性無く、

 

人々にとって、

結果的に、

 

陰徳となる可能性が出てくる行動を、

とっていく事が、可能になると言う風な・・・・・・、

算段である次第ではありますね・・・・・・・(^^)

 

 

 

だからこそ、

 

「人生の主人公。」を、目指す必要性が出ると同時に、

 

そのプロセスにおいて、

 

自分自身のアート性とか、

セキュリティ性を高める必要性が出てくるものでもありますし、

 

そのプロセスにおいて、

 

ギブアンドテイクを超えた、

ギブアンドギブたり得る結果を、

紡ぎ上げる事が可能となり、

 

それによって、

良い循環が起こるとも言えますし・・・・・・・、

 

良い循環を、

何よりも、

自分自身が、信じる事が可能となり、

 

これもまた、良い意味で、

受け取る事もまた、

可能になっていくものではあるのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

多分に、

 

「自分自身が提供出来得たものが、因果応報の如く、循環する。」と、

 

大きく言えば、

言えるものではあるのでしょうが・・・・・・・、

 

それもまた、

 

逆に言えば、

 

循環してくるものが、

自分自身の主観的視点から観て、

解りきっているようなものには、

 

段々と、

 

自分自身に慢心の心が出てくるのか・・・・・・、

 

単純に、

 

飽きが出てくるのか・・・・・・・・、

 

あまり、単純に、

 

感謝出来なくなってしまうのもまた、

 

我々人の、

習性の一部では無いでしょうか・・・・・・??

 

 

 

 

要するに、

 

そこに、

ゲーム性でもあり、アート性が必要となるとも言えるだろうし・・・・・、

 

自分的には、耐えがたいような解釈を、

せざるを得ないような循環があったとしても、

 

主観的な、主人公視点においては、

 

別の解釈に、書き換える事も可能だろうし・・・・・・、

 

結果や、構造が同じであれば、

 

自分自身の、主観的視点であれば、

どんな解釈をしても、構わないとも言えるだろうし・・・・・・、

 

その解釈に、不味い部分が存在していれば、

 

結果的に、

 

その不味い部分も、因果応報なごとく、循環する事によって、

 

結局は、

 

「自分自身のペース配分。」によって、

成長でもあり、乗り越えていく事には、

なっていくものでは、あるのでしょうね・・・・・・。

 

 

 

まただからこそ、

 

自分自身の、主観的視点において、

「人生の主人公となろう。」って事ではあるのですが・・・・・・・、

 

そこのアート性でもあり、ゲーム性のようなものの、

レベルが低ければ、

 

あまり、

 

人にとって、陰徳となり得る行動には、

 

特に、

 

始めたての人々の場合においては、

ならないものだろうし、

 

だからこそ、

 

そこからの、モチベーションには、

最初は期待せずに、

 

主人公たる世界観でもあり、

ゲーム性でもあり、

アート性の方に、フォーカスを絞って、

 

行動していく方が、

 

何かと、

 

小さな結果を、継続して出していく、

エネルギー源とは、なっていくものではあるのでしょうね・・・・・(^^)

 

 

 

まぁ、簡単に言えば、

 

同じ結果でもあり、

同じ運を引き寄せる為にも、

 

その役割分担でもあり、

その人のキャラクター性によって、

 

視点は無限数存在しているものでもありますから・・・・・・、

 

まずは、

 

等身大での大きさでの、

 

マクロで言えば、

小さな結果を出す事を、心がけて、

 

その小さな結果を持って、

大きな結果でもあり、

運気を引き寄せる事が、大事になっていく・・・・・・・、

って言う事ですね・・・・・・!!

 

 

 

要するに、

 

「結果が結果を呼ぶ。」って事ですね。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・。

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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