モチベーションの使い方と、失敗を覚悟する方法とは?? | キンジの自分軸哲学

キンジの自分軸哲学

~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

 

 

どもども。

 

 

手術&入院の傷がど〜こ〜よりも、

暑さに参っている、

 

キンジです。

 

※まだ、お尻の別の穴はふさがり切って無いのですが・・・・・・!!

 

 

 

 

あ、さてさて、

 

 

モチベーションって言いますと、

所謂、

やる気とか、充実感と呼ばれるものではありますね。

 

 

けれども、

 

モチベーションってものは、

そもそもとして、

 

言葉で表すものじゃあ無いって認識も、

必要とはなってくるものでしょう・・・・・・・・。

 

 

 

と言うのも、

 

言葉とか、言語化がなされたものって言うのは、

ある意味、

 

すべってしまったり、流されて行くのが、

前提にあるものだとは、思いませんか・・・・・・??

 

 

 

要するに、

 

真の意味での、

自分自身をモチベートするものってものは、

ある種の、

 

秘匿性ってものも、必要となりうるものだろうし・・・・・・・・、

 

言葉にするなら、するならで、

 

それなりの、抽象度レベルを高めてしまうって試みも、

必須にはなってくるものではある事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

要するに、

 

言語化するからこそ、言語化するならするならで、

 

世の中の、

情報の大波に、飲まれてしまわないだけの、

足掛かりとなりうるような・・・・・・、

 

抽象度の高め方ってものが、

必須にはなってくるって事なのです・・・・・・・・!!

 

 

 

また、そこに、

 

成功の形ってものを、求めるにしても、

その成功の形ってものは、

 

「言語化の上での成功としたいのか??」

 

もしくは、

 

「行動の上での成功としたいのか??」

 

って事自体も、

ある意味、

 

自問自答の末に、

自分でこそ、自分ならではの答えってものを、

導き出しておく事も、

 

肝要にならざるを、得ない問題とはなってくるものでしょう・・・・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、だからと言っても、

 

言語化だけの成功とか、行動だけの成功ってものは、

現実的には、「あり得ない。」ものともなるでしょうから、

結局は、

 

どちらかをベースにした上での、

もう片一方ってものが、出来上がっていかざるを得ないようには、

なって行くものではある事でしょう。

 

 

 

だからこそ、

ある意味、

 

その両面からのアプローチの上での、

抽象度ってものが、出来上がって行くものでもあり、

それは結局は、

 

それぞれの、得意な在り方によって、

紡ぎ上げて行く事が、

望ましいものとは、なって行くものではあるのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

また、

だからと言っても、

 

もしくは、

 

言葉からの在り方創造だからとは言っても、

 

ビジネスや仕事でもそうでしょうし、

結局は、

 

機能性ってものが、そこに存在しない事には、

それは、

 

「在り方」として、体現しているとは言い難いと言いますか・・・・・・・、

 

 

まぁ、

 

 

「在り方」として、体現する事自体は、

ハッキリ言って、

 

「誰でもそうである。」とも、

言えてしまう側面が存在するだけに、

 

その「在り方」によって、

関わる人々にとって、

 

「どれだけ、機能的価値が存在するか??」って問題ってものは、

 

ある意味、

誰しもが、

 

シビアに取り掛かって損は無い、

問題意識とはなるものでしょうし、

そもそもとして、

 

機能性も無く、無駄に関わる事自体が、

「在り方」的に見れば、

 

関わる人々にとって、

マイナスの機能的価値を、振りまいている状態と、

同義と定義しても、

 

何の遜色も御座いません。

 

 

 

 

だからこそ、

 

自分自身の機能性ってものを、

ある意味特化して、

 

それを軸として、人と接する必要性が存在するのです。

 

 

 

 

勿論、

特化するからには、

 

全体的に見れば、

マイナスの機能的価値が存在していたり、

その特化する段階においては、

 

あえて、無視する必要性が存在する、

機能性ってものも、存在してくるのもまた、

 

「当たり前。」な事ではある事でしょう。

 

 

が、

何よりも、

 

機能性をベースにおいた、

「在り方。」としての、

循環ってものを、意識におけば、

ある意味、

 

確かに、循環するものが存在していて、

 

それを自分自身は、確かな価値だと言う、

確信が存在している事って言うのは、

 

人と接する際の、

「確かな強み。」とは、

なって行く代物では無いでしょうか・・・・・・・・・??

 

 

勿論、

全体性で見れば、

 

全然、未熟な部分が存在しているでしょうし、

またある意味、

それでこそ、

 

人であり、人間としての、

人生を歩んでいるとも、言えてしまうものだろうし、

またまた、

 

その未熟な部分が見えているからこそ、

 

特化された、機能性を持って、

「在り方。」としての、

機能性を持った、価値の循環ってものを、

 

充実して楽しんで行けたり、

開拓して行けたりする側面が、

存在しているものだとも、

言えてしまう事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

まただからこそ、

 

失敗ってカテゴリー自体も、

そもそもとして、

 

「楽しさ。」や、「充実感。」と言う意味合いでの、

小さな成功とする事が、

可能になるってもんでもあるのですし・・・・・・・、

そもそもとして、

 

機能性に特化するからと言っても、

 

そこは、あくまでも、

 

ベースの部分でもあり、

 

その機能性の隙間でもあり、

その機能性以外の部分において、

我々は、居場所ってものが、存在するって事でもある事でしょう。

 

 

要するに、

 

まとめてみると、

 

機能性ってものは、

人々との関わり合いにおいての、

循環ってものを考慮すると、

 

「無くてはならないもの。」ではある事でしょうが、

 

だからと言っても、

 

機能性だけでも、

「息が詰まる。」のが、

我々の習性でもある事でしょう・・・・・・・。

 

 

だからが故に、

 

自分の居場所とか、自分達のコミュニティってものが、

必要とはなってくるのでしょうが、

だからと言っても、

 

機能性を無視していれば、

そこに、

 

そもそもとしての、

場ってものが、出来上がら無い事でしょうし、

 

機能性だけだと、

お金のやりとりだけで、完結してしまう代物となり、

それだけの場となってしまい、

そこは結局は、

 

「短い寿命。」が存在している前提での、

場とかコミュニティに、

ならざるを得ないものともなる事でしょう・・・・・・・・・(^^;)

 

 

 

まぁ、

 

そんな場でもあり、コミュニティってものが、

無数に存在していれば良いのでしょうし、

そもそもとして、

 

そのような場でもあり、

コミュニティってものは、

 

この、

資本主義社会の世の中においては、

必ず存在する代物でもあり、

なくなるものでは無いものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

だからこそ、

 

自分の居場所とか、自分のコミュニティってものを、

そこに、

 

例え、便宜的であっても、

創造する必要性も出てきますし、

 

それが為されないから、

 

自分自身のアイデンティティを、

見失いガチになってしまうってもんではあるのでしょうが。

 

 

 

 

即ち、

 

失敗は失敗でも、

その失敗の「在り方。」を、

選択する事が重要となり、

 

出来うるかどうか??甚だ怪しいものでもある・・・・・・(苦笑)、

成功の形よりも、

 

必ず何かしら、やらかす事にはならざるを得ない、

失敗の形でもあり、

「在り方。」ってものを、

 

我々は、選択する事が必要だろうし、

その選択ってものは、

 

意外と、

色んなシチュエーションに、

応用・流用可能ですよ??って事ではありますね。

 

 

 

ま、

 

それが、普遍性と言えるかどうかは、

 

各々各自で、

試して貰えば良いものではあるのでしょうが・・・・・・。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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