失敗したことによって生まれる、リスクと方向性とは?? | キンジの自分軸哲学

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~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

何事も、

後々になって、振り返って見れば、

そこには、勿論、

 

成功した要素もあるでしょうが・・・・・・・、

全体像として、部分部分を見ていけば、

そこには、

これまた勿論、

 

「失敗したなぁ〜・・・・・・。」って要素が存在することが、

当たり前なものではあることでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

 

その失敗した要素ってものこそが、

 

これからの、未来視点での、

改善点ともなりうるだろうし、

 

その改善点を掘り起こしてこそ、

 

同じような事柄に、

チャレンジする場合においても、

 

日々のルーティーンのような、

当たり前な習慣となっているような物事にさえ、

 

新しい世界観とか、ゲーム性のようなものを、

紡ぎ上げて行く事が、可能になるってもんでもあるのです。

 

 

 

まただからこそ、

 

主観的な視点においては、

同じような繰り返しでは無く、

新しい挑戦と認識して行く事も、可能になるってもんではありますが・・・・・・、

 

だからと言っても、

 

目の前の物事の、

取り掛かるべき機能性を無視していては、

それは、

 

物事の本質から、

外れてしまう事にもなりうるだろうし、

それを持って、

 

同じような繰り返しを、

部分として最適して、

 

それを保持しながらも、

それ以外の部分において、

新しい楽しみとして行くのが、

望ましい在り方ではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

が、だからこそ、

そこには、

 

上記であげた通りの、

保持するべき部分的機能性という風な、

リスク管理が必要となるでしょうし、

 

それ以外の部分においては、

ただ単に、

 

惰性で、ラクさを求めるだけじゃあ無くて、

これまた、

 

日々の追求において、

新しいエンタメ的要素ってものを、

流用・応用して、

 

自分自身の充実感や、モチベーションを、

マネジメントして行くって事が、

大切な要素とはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

またまた、

それによって、

 

新しい方向性でもあり、新しい可能性ってものも、

生まれてくるものではある事でしょうが、

その、

 

新しい方向性でもあり、新しい可能性ってものも、

結局は、

 

その保持すべき、部分的機能性だけを見てみれば、

それは、結局は、

 

同じ事の繰り返しと見ても、

なんら遜色は無い事とはなる事でしょうが・・・・・・・・・、

それは結局は、

 

客観的な、外野的な視点とも言えるだろうし、

達観的な、俯瞰的な視点とも言えるものとはなる事でしょう。

 

 

 

が、だからといっても、

そのような、

 

客観的な視点や、俯瞰的な視点ってものが、

全く不必要とは、決して言えないものでもあるでしょうから・・・・・・・、

 

それらの、ある意味、

 

本質的な部分をまず押さえた上で、

 

我々は、

その遊びの部分において、

自分自身の自由度を、満喫して行く事が、

望ましいものでもあり、

 

そのような、本質的な部分ってものが、

たとえ、

 

お金に直結している場合においても、

 

それを、自分自身の全てとは決めつけてしまわずに、

部分として、機能として、

押さえるべき部分を押さえた上で、

それ以外の、

 

「より良く生活する為の要素。」を、

 

楽しみ尽くせれば良いものだと、

僕自身は思う次第ではありますね〜。

 

 

 

まただからこそ、

 

お金に直結している部分であっても、

 

その部分的機能性ってものを、

押さえる、押さえないって事は・・・・・・・、

勿論、

 

仕事においての、契約等の決まりが存在していれば、

それは、

 

自分自身だけの問題では無い事でしょうが、

 

そのような、決まり事が、

あやふやな場合においては、

結局は、

 

自分自身で、選択して行く他、

道は無いものではあるのでしょうね。

 

 

 

即ち、

 

自己責任だとは言えるものではある事でしょうが、

だからこそ、

 

お金だけで、行動基準を決定するだけじゃあ無くて、

 

その前段階の、機能性ってものを、

意識する必要性もありますし・・・・・・・、

そもそもとして、

 

その段階の機能性ってものは、

結局は、

 

生きて行く為の機能性といっても、

過言では無いものともなるでしょうから、

 

自分自身の生活を振り返って、

 

その機能性を、選択して行く必要性があると同時に、

 

その人によって、

 

得意な機能性と、不得意な機能性ってものもまた、

自ずと浮かび上がってくるものと、

なって行くのでしょう。

 

 

 

勿論、

その中には、

 

得意だからといっても、

生きて行く為には、それほど必要無い機能性ってものも、

存在しているだろうし、

 

不得意だからといっても、

生きて行く為には、必要不可欠な、

機能性ってものも、存在しているだろうし、

もっと言えば、

 

「より良く生きて行く。」為には、

 

その個人個人にとって、

特化すべき機能性ってものが、存在して行く事にもなり、

 

誰かに委任すべき機能性ってものもまた、

存在して行く事とは、なって行くものではある事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

御体満足な人にとっては、

 

出来うる限りは、自分自身で、

生きて行く為の機能性を、押さえて置くことに、

越した事は無いでしょうし、

 

自分自身、得意だと思う、

もしくは、

やる事自体に、

あまり、リスクを感じないような機能性を持って、

 

人の分も、頑張るって事もまた、

大切な要素となりうるだろうし、

そうやって、

 

生きて行く為の機能性って部分においては、

我々は、本当に、

 

「お互い様。」の精神において、

補い合う必要が、出てくるものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

まただからこそ、

 

ビジネスや、お金の投資先としては、

「より良く生きる。」為にこそ、

自己投資して行く事が、望ましいものでもあり、

 

だからといっても、

最優先すべきなのは、

 

生きて行く為の、部分的機能性である事は、

言うまでも無いものでしょうが・・・・・・・、

 

そこばかりに、

フォーカスを当てていても、

 

「より良く生きる。」事や、

「在りたい自分。」と行った風な、

自己実現欲求でもあり、

自己超越欲求ってものを、

満たして行けるもんじゃあありませんし、

結局は、

 

そのような、

 

上位の概念を、意識におくって事が、

大切にはなる事でしょう。

 

 

 

が、

 

その上位の概念ってものは、

決して、

 

満足を求めるんじゃあ無くて、

納得を追求するのが、

望ましいものでもあるでしょうし、

何よりも、

 

「生きて行く為の部分的機能性。」ってものを、

完全に無視する事は出来ないでしょうし、

 

それを無視してしまった時点で、

それは、

 

「絵に描いた餅。」に、ならざるを得ない代物とは、

なって行くものではあるのでしょうね・・・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、まとめてみれば、

 

「同じ事の繰り返し。」ってものが、

ある意味、

 

エンタメ的要素や、モチベーション管理において、

失敗とカテゴリーされてしまいガチなものとはなっていますが・・・・・・・・・、

 

生きて行く為の部分的機能性、

即ち、

本質的な部分ってものを、

押さえて行く為には、

 

これまたある意味、

 

「同じ事の繰り返し。」ってものを、

避けては通れないものともなるだろうし・・・・・・・・、

だからが故に、

 

それを部分として、肝として、

出来るだけコンパクトに、最適化して行く必要性もあるって事なのです。

 

 

 

コンパクトに最適化されていれば、

その、

 

「同じ事の繰り返し。」に、

束縛されるって認識じゃあ無くて、

 

押さえるところは押さえた上で、

それ以外の部分で楽しんだり、充実するって認識が、

可能になるだろうし、

 

その、部分的機能性を押さえるエネルギーってものも、

同じく最適化されて行くことによって・・・・・・・、

 

省エネで済むようには、

なって行くものではある事なのです・・・・・・・!!

 

 

 

また、結局は、

 

主観がどうたらとは言いましても、

 

人からの意見はともかくとしても、

 

人からデキるとか、

 

サボっているとか言う、

不本意なレッテルを貼られるのは、

回避したいのが人情ではあるでしょうが・・・・・・・・(苦笑)、

 

それも結局は、

 

自分自身の行動を持って、

実感を得て行くのが、

 

在り方からの理解の仕方とは、なって行くものではあるのでしょう。

 

 

 

要するに、

 

言葉の上では、

批判や、悪態をつかれたとしても、

 

「在り方。」的には、

自分自身の納得ラインってものが、

キチンと存在するとも言えるだろうし、

 

大絶賛されたとしてもまた、

これまた、面倒くさい奴とは、

一定数の人からは、言われかねないかも知れませんが・・・・・・・(笑)、

 

自分自身の納得ラインってものが、

また別に存在する事ともなるでしょうし、

 

だからと言っても、

 

妥協ラインってものも、

人間ですから、勿論、

存在しますって事ではありますね・・・・・・(^^)

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は下記から・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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