1941年(昭和16)のこの日、第3次近衛内閣の総辞職のあとを受けて、東条英機内閣が成立しました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
1941年(昭和16)10月半ばになり、近衛首相はなお開戦をためらい、中国からの撤兵問題ではアメリカに譲歩しても、日米交渉を継続しようとしましたが、陸軍大臣の東条英機は撤兵に強く反対し、交渉打切りを主張して譲らず、ついに第3次近衛内閣は総辞職してしまいました。
昭和天皇は木戸幸一内大臣に後継内閣について下問し、木戸主宰の重臣会議が開かれました。
木戸はあらかじめ近衛と相談し、東条に国策を再検討させようと、後継を東条に決めていました。
そうして重臣会議は東条を推薦し、これに対し、昭和天皇も
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ということだね」
と賛成されました。
こうして、1941年(昭和16)のこの日、東条英機内閣が成立しました。
東条は現役陸軍大将のまま首相に就任し、陸相(はじめ内相、のち軍需相も)を兼任しました。組閣に際して9月6日の決定の再検討という昭和天皇のご意向が伝えられ、東条はその再検討を行いました。
9月6日というのは、当日行われた御前会議のことで、その日に帝国国策遂行要領を決定しているのです。拙Blogでも記事にしていますので、どうぞご笑覧下さい。
→ 9月6日 <帝国国策遂行要領を御前会議で決定(1941年=昭和16)>
しかしながら、東条は日米交渉による最後の関係打開の機を逸し、太平洋戦争を開始してしまうことになってしまいます。このことはまた別項で、という事に致しましょう。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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