能力(霊能力)もまやかし(1) | Pure Enlightenment -本質的な覚醒-

Pure Enlightenment -本質的な覚醒-

『本質的に生きること』
__人間の究極のテーマでもある『本質的な生き方』と『本質としての覚醒(悟り)』について、ここではその初級編を気の向くままに綴っています。

かなり前のことですが、
ある瞑想指導をされている北陸の霊能者の方の 
5日間の北陸セミナーを受けた事がありました。
私も瞑想講師になる事を考えていたのです。
その方は解脱を目的として活動されており、
瞑想の概念やら特殊な瞑想を教わった訳なのですが、
不思議なセミナーだったのが印象的でした。
セミナー5日間のうち実地での瞑想指導は皆無。
渡された資料を参考にしながら、
講師のお話を
メモしようとすると注意されるので、
その日のセミナーが終わった後にホテルに戻り
渡された資料を元に自主的に瞑想するという日々。
手探りに近かったです…(笑)
それを翌日、講師の方に報告するのですが、
セミナー終了までの数日間で
少しずつ瞑想体験も深まっていきました。
習得が早いね〜とか、僕より先に覚醒したら導いてね  
とか冗談混じりに言ってもらったのを憶えています。



そして、セミナー終了の数日後に、
このような決定的な体験が起きました。
イメージや感覚のような曖昧なものでは一切なく、
立体的なリアル感と圧倒的な体感…
実は見えない世界はこんなにリアルなものなのかと
あまりにも衝撃的な体験でした。
私…なんて凄い体験しちゃったんだろう…と
自分の能力の可能性も凄く感じました。
それをその講師の方に報告すると、 
それは凄いね、もっと凄い体験が起きるから
続けてまた報告してね…と連絡が来ました。



まぁそんなリアルで特殊な体験をしてしまうと、
自分は只者ではないんじゃないかとか、
もっと凄い体験が起こるだろうから
もっとこの世界を極めようとか、
その講師さんに依存してしまったり、
瞑想講師として生活を立てようとか思うのでしょうが、、
私の場合、そのような時に必ず問いが起こるのです。



そんな体験に何の意味があるのか?
そのような能力の元は何なのか? 



特殊能力開発というのは力への依存でもあるので、
このような能力開発は本来の目的を逸脱していないか?
という本質的な問いでした。
この瞑想の目的と本質としての部分に
乖離を感じてしまったのです。
なので、その瞑想をこれ以上すると、
本質から逸脱してゆくだろうと感じ、
それ以降その瞑想はきっぱり封印しました。
受講料は無駄になってしまったけど、
今でもそれは正解だったと思っています。



そして、その頃に学んだ事の殆どは、
私には過去の遺物になっていきました。



(2)へ続く…