東京都港区は、【トランスジェンダーなど性的少数者(LGBT)が】身体の性別にかかわらず職場や学校で制服などを自由に選択できるよう、男女平等参画条例を改正する方針を固めた。区によると、性別にかかわらず、服装などの自由を保障することを条例に盛り込むのは全国初という。四月の実施を目指す。
対象は、区民と区内で働くすべての人。【トランスジェンダーなど子どもの性的少数者は】、区立中学十校などで自分の望むズボンやスカートの標準服(制服)を選べるほか、区内で働く社会人も職場で性別の違いによる制服などを強制すべきでないとする。改正案には、こうした内容の条文を明記する。罰則は設けない。
上記引用した記事中の【 】部分に懸念があります。
この記事をそのまま読むと、(戸籍の性別と自分が自認する性別が異なる)トランスジェンダーなどの人が、制服を自由に選択できる、とあります。
裏返せば、トランスジェンダーなどの人だけに対し、制服を選択する自由を付与する、と読めます。
この条例改正案はまだ出ていませんが、そのもとになる審議会の答申が港区HPに出ています。
https://www.city.minato.tokyo.jp/jinken/documents/tosin.pdf
条例改正の概要としては
①性的指向・性自認の定義、明示
②性表現の定義、性表現の自由の明示
③性的指向・性自認に起因する人権侵害の禁止
④性的指向・性自認のカミングアウト(公表)への制約の禁止
他人の性的指向・性自認のアウティング(本人の意に反して公にすること)の禁止
⑤性的指向・性自認の尊重について基本理念、基本的施策への位置付け
⑥性的指向に関する制度の位置付け
などあるのですが、このうちの②がこの服装選択の自由にあたります。
これが単なる「性表現の自由」ならいいのですが、答申には「留意事項」が付されています。
「我が国で初めて条例で『性表現の自由』を規定するのであるから、外見に関して社会から求められる性表現に違和感を覚え悩む人を救うという狙いや理由を明確に示すとよい。」
この「社会から求められる性表現に違和感を覚え悩む人」というのは、本来ならなにも性的少数者に限る話ではありませんが、「トランスジェンダー等」と報じられています。取材してるでしょうから、港区の考え方がそうなのでしょう。
これが条例にそのまま書き込まれては、服装選択の自由が、「トランスジェンダー等のため」と理由付けされてしまいます。
学校の制服については、すでに文科省が通知で「性同一性障害などの生徒への配慮」を出しており、わざわざ条例をつくる必要はありません。
この条例改正のミソは、民間企業の制服などでも配慮がされるようにしようというものです。つまり、事業所等への啓発を行政が行うことになります。
その啓発で、「『トランスジェンダー等の社員のために』服装選択の自由を保障してくださいね~」とやったらどうなるでしょうか?
事業所のなかには、制服の変更を求める社員がいたら、「あんたトランスジェンダーか?診断書出して。あんただけ特別扱いする根拠がわしらも必要やからな」とならないでしょうか?
つまり、「トランスジェンダー等のため」という理由付けが、当事者に重大なプレッシャーを与えていないでしょうか。
それこそかえって当事者が、服装選択をしづらくなることにならないでしょうか。
そして一部の人への特別扱い、と考えてしまうことは、杉田水脈の「生産性ないのに予算かけるな」という暴言にもつながります。
性的少数者にだけ保障するような権利は本来ないと思います。権利はみんなにあるべきです。
そもそもこの条例の名称は、「港区男女平等参画条例」です。
「男女平等」というのなら、トランスジェンダーであるかどうかに関わらず、男でも女でも、さまざまな服が自由に選べるべきではありませんか?
それはダメ、性的少数者にだけ認める、というのなら、男女平等ではないし、「男は男らしく、女は女らしく」を行政が強制していることになりませんか?
「トランスジェンダー等のため」なんて言うべきでは思います。理解を得やすくする等のために、マイノリティを引き合いに出してはならない。
この条例改正で、真に注目すべきは「性的指向・性自認の尊重」だと思います。
答申によると、「基本理念として、すべての人の性的指向と性自認が尊重され、誰からも干渉されず、侵害を受けない旨を明示する。」とあります。
これこそ画期的な内容です。
性自認が尊重され、誰からも干渉されず、侵害を受けない。
つまり、戸籍の性がなんであろうと、男として生きている人は男として、女として生きている人は女として扱われることを保障しようというものです。
これがちゃんとできれば、当然制服のあり方も、その人の性自認に配慮することになります。男として生きている人に無理にスカートはかせたりしてはならないのです。
これで事足りてるのではないでしょうか?
にもかかわらず、「(服装などの)性別表現の自由」を「トランスジェンダー等のために」保障しようという条文を新たにつくることに、マスコミの焦点が当たってしまっています。
そうなると、「ほんまは男なんやけど、トランスジェンダーだから、女の制服を着るのを特別に保障しましょう」ということになりませんか。
本当に当事者が求めている扱いは、「女だから女の制服を着ている」、それだけのことではないでしょうか。
そして例えば「男だけどフェミニンな服を着たい」という人も、性的少数者じゃなくても、ふつうに着れるようにしたらいいのではないでしょうか。
だから私は、「性別表現の自由」は、「トランスジェンダー等のため」ではなくただ表現の自由や男女平等のために、すべての人に保障すればよいと思います。「性的指向・性自認の尊重」こそ、大プッシュすべきです。
いや、実際にはすべての人に保障する内容なのかもしれません。でもそこに「トランスジェンダー等のため」と理由をつけると、絶対狭くなると思います。
もっとも、条例案はまだ出されていません。私の懸念が杞憂になることを祈ります。
そして、もし雑なルールの定め方や雑な啓発をしたとしたら、苦痛を受けるのは当事者です。
SNSでも「心が女だと言って男が女風呂に入ってきたら」みたいなありえない話が拡散されて嫌な思いをされたり差別意識が再生産されたりしています。
常に完璧はないにせよ、現場で起こりうるさまざまな問題を議論しておくべきだと思います。
少数者の苦難や戸惑いを軽視して「良いことだからGO」と押し切ったりはせず、さまざまな角度から丁寧な議論と手立てがされることを願います。
またついでに、一緒に制定される「みなとマリアージュ(仮)」という同性パートナーシップ制度についても懸念があります。
https://www.city.minato.tokyo.jp/kouchou/kuse/kocho/kuseiken/191111-zhnken.html
実際には結婚と比べて著しく劣るパートナーシップ制度に、結婚と紛らわしい「マリアージュ」の名称はちょっと・・と思います。
全然対等じゃないものを対等なように称するのは誤解のもとです。「港区やったらゲイも結婚できるんでしょ?」・・でけへんがな。みたいな。
他自治体のことを名指しで批判するのは失礼とは思いながら、報道で気になったので、書かせてもらいました。杞憂であったら心からおわびします。また、条例改正自体には、とても期待しています。
また港区だけのことではなく、この「トランスジェンダーのために制服を自由に」という理由付けは、全国各地で見受けられます。本当にそれでいいのか、みんなで考えませんか。